広島復興大博覧会について
                              (31佐藤さん 『昭和十三年早生まれ』より)

 スプートニク打ち上げの次の年、1958 年に「広島復興博覧会」というのが開催され、
私達「広大天文学会」会員はその中の「宇宙館」のアルバイトを頼まれました。

 ドーム状の建物で、控え室に壁はあるのですが、天井が無かったので、どこかで自分の悪口を言って
いるのが上からガンガン聞こえてくるのです。ドームが球面鏡の働きをして、別の所で悪口を言って
いるのが私達の所に焦点を結んでいたのですね。宇宙館には五藤光学の口径15cm 屈折赤道儀が
来ていました。博覧会後、広大に半無期限に貸してくれるとのことでしたが、広大には観測室を作る
資金がなく、国泰寺中学校の屋上にかなりの期間設置されていました。中学生の親達がスライディン
グルーフの観測室を作る資金を募金してくれたと聞きました。

 スプートニクに話をもどしますが、この広島復興博に1 号と2 号の実物大模型がソ達から展示さ
れ、レニングラード大学日本語学科の学生が解説係として来ており、私達広大天文学会員と親しくな
りました。彼は今も元気でしょうか。なお、スプートニクの展示会場は宇宙館ではなく、高床式の「原
爆資料館」の床下でした


                            「史上初の人工衛星「スプートニク」の観測」より抜粋させていただきました(編集者)