塚原学園20センチ屈折用レンズ 設計秘話
(当時国産最大の60センチ反赤に同架)
反射望遠鏡メーカーの老舗、西村製作所は1959(昭和34)年、当時としては
国産最大の60センチ反赤を製作し、長野県松本市にある塚原学園高校に納入
しました。
このことは、1970年前半の同社カタログにも出ていましたし、2011年現在、
西村製作所のホームページにも記載されています。エポックメーキングな
望遠鏡だったわけです。
その、60センチ反赤に、20センチ屈折望遠鏡が同架されているのですが、
その対物レンズを設計したのは、会員の荒木さんでした。
数年後の、1962(昭和36)年10月、広大天文学会は、この学園を訪れ、60p反赤で、
土星食の観測をしています。荒木さんが20pのレンズを設計した御縁だったのでしょうか。
この20センチレンズを研磨されたのは、かの、木辺鏡でおなじみの、
木辺先生でした。木辺先生は、しばしば我がクラブを訪れられ、会員の何人かは
直接反射鏡研磨のご指導をいただいていたそうです。
ともあれ、パソコンも電卓もない時代、計算尺を使ってのレンズ設計は根気のいる大変な
作業だったそうです。
どうして荒木さんが設計を担当することになったのか、佐藤さんから伺うことが出来ました。
(31佐藤さんのメールより)
20cm屈折の対物レンズは会員の荒木さんが木辺先生のお宅で、
木辺先生の設計を見て、「設計がまずい」とコメントしたのです。
それで木辺先生から「それじゃーキミが設計してくれ」となったのだと
聞いています。
英語とドイツ語の授業中に設計計算したのが最大の原因だと
思いますが、(・・・中略・・・)
木辺先生の名誉のため付け加えますと、研磨の名人であれば、
ガラス面の概略のカーブが分かるだけで十分で、後はテスト
しながらトライアンドエラーで完璧な面にもっていけると聞きました。
その人は研磨の名人のための計算は10分でできるが、メーカー
のように、どの職人が研磨しても同じようにできるようにするためには、
膨大な計算が必要だと言っていました。
写真は、その20センチ屈折(60センチ反赤と言うべきか)を納めているドームです。
この学校は、その後経営母体が変わったため、校名も変更されています。
(2011年撮影)