楽々園閉鎖の新聞報道に接して
(50岩本さんよりいただいたメールです。岩本さんは当時中学生でした。)
私は、楽々園が閉鎖されると新聞に出た日、何を勘違いしたのか、その日が最後なのだと
思い込み、家族で遊んだ遊園地の思い出やプラネタリウムの懐かしい思い出が浮かび、
別れを惜しむため一人で朝一番に出かけ、一番に入場しました。
夏だったので園内のプール利用料が含まれ、結構いい入場料だったです。
しかしながら、ほかに客はほとんどおらず、プラネタリウムもやってなく、十分程度で
すごすご帰宅した苦い思い出があります。
最後の日はその何ヶ月か後、盛況のうちに閉園したことをニュースで知りました。
楽々園プラネタリウムの跡地について
(33細井さんよりいただいたメールです。一部編集・省略等させていただいています。)
楽々園は海水浴場として古いものでしたが、楽々園遊園地としてプラネタリウムと反射望遠鏡が設置されました。
初代館長が佐藤さん、天文學会からもお手伝いに行っておりました。羅臼へ行った(編集者註)山本君などはほぼ専属の学芸員でしたね。
しかしその遊園地はたぶん昭和46年には閉じられて、ショッピングモールになり、海水浴場は埋め立てられて、そこにできた
公務員住宅に私が住まう事になりました。望遠鏡の土台がわかる程度には残っておりました。
(編集者註) 1963年7月21日、北海道知床半島羅臼岳での皆既日食観測のこと
楽々園プラネタリウム25センチ反赤のその後
(31佐藤さんよりいただいたメールです。一部編集・省略等させていただいています。)
鈴峯女子高校屋上の25cmf/8反射赤道義(木辺鏡、西村製作所)とドーム(西村)は楽々園遊園地が廃止された際に同校に移設されたものです。
1971年8月末に遊園地が廃止されたので、移設はそのすこし後です。
私としては広大(編者註1)に移設したいと考え、(株)広電楽々園の上司とも話がついていたのですが、鈴峯学園から楽々園の親会社の
広島電鉄(株)の本社に直談判して、そちらに行くことになったのです。
広島電鉄はこの学園の経営に関係していたそうです。といった事情でしたので、勝負になりませんでした。
広大総合科学部の25cm反赤は楽々園のもの(鈴峯高のもの)と双子と言ってよいものでしたが、いつできたか記憶がはっきりしません。
編者註1:広大附属東雲小学校にドームが出来るので(1974年に完成)、
そこに移設したら、と考えられたそうです。