キャンプ報告
50岩本さん 『あしあと』 1976(昭和51)年8月4日より
初日は、ほんとうにすばらしい星空で、私が今までキャンプで行った冠高原や深入山のいずれの空よりもよかったように思う。特に星雲・星団の観望には最適で、6pの単眼鏡でみると、広島でみる25pよりはるかにすばらしかった。
それはそれでよかったのであるが、2日目からが大変であった。2日目、私と井上氏は何と望遠鏡をドロボーから守るために外で寝ることにした。朝3時ごろ、私は顔に吹き付ける風雨で目を覚まし、井上氏といっしょに荷物を風雨から守るべく手段をとった。望遠鏡だけは井上氏の野性的なカンにより前日から風雨のあたらぬ場所においてあったのでぬれずにすんだようだ。我々にとって命の次にだいじな望遠鏡(?)をぬらさなかったのは、さすがである。そうこうしているうちに夜が明け、テントの連中をおこして飯をつくった。飯については、ほぼPerfectにできたようだ。量的にも質的にも一応非のつけどころがなく(??)うまくできた。(編集者註1)
この日には一日おくれで森氏が合流する予定であったが、そこはすっぽかしの前歴を2度ももっている男だけあって、バンになっても来ず、とうとうこのキャンプは一年4人、二年1人で行うことが決定してしまった。この日は一日中飯作り、トランプ、麻雀で終わった。
三日目に入ると今までほとんど人の出入りはなかったのに、何と若い女性がおしかけてきた。我々は横目でみつつ例によって飯をつくっていた。「お砂トウ分けて下さいませんか」「みりんはありますか」が我々に話しかけてくれた唯一の御言葉と記憶する。夜になるとキャンプファイヤーなどをしおって、おしりとおしりをぶっつけあっておどっている姿を双眼鏡で観望する。(編集者註2)
四日目、台風がすぎさり今晩あたりがんばろーかと思ってオリンピックなど聞いているとNEWSで何と次の台風が大急ぎで我々めがけて来るそうではないか。これにはもういや気がさし、望遠鏡を車にしまいこんで「すずめ座」の観測にテッすることに一同賛成した。
いよいよかえる朝、空は青くすみわたり、今晩はすばらしい星空になるであろう。バスの時間を気にしつつ荷物をしまう。
帰りは汽車を待つのに3時間の間があるので三段峡の黒淵まで行って、朝つくったにぎりめしを人目をさけてくった。
(編集者註1:この風雨は台風によるもので、終日強い風雨との格闘することになりました)
(編集者註2:こうして踊る「バンプ」というダンスが当時はやっていました)
1977(昭和52)年刊行の 『Summer Camping Guide '77.7』に、あしあとより転載されていたものを収録させていただきました
入学して初めての合宿。天文ファンになってからずっと憧れて来た、山奥で星を見るキャンプが、ついに実現しました。顛末は、上記50岩本さんのご報告の通り。終生忘れられないキャンプになりました。
横川駅に集合して可部線で三段峡へ。そこからバスで、長者原を目指します。点在する民家に荷物を降ろして行くという過疎地のバスを初体験。他にだれも客のいない貸し切り状態のバスは、谷底に転げ落ちそうな道を進んで、やがて、樽床ダムの上を通過します。立ち枯れの木も見られる聖湖(ダム湖)は、まるで上高地の大正池のような雰囲気、その向こうに柔和な姿を見せる臥竜山。ヒグラシの鳴く、人気のないキャンプ場・・・ああ、ついに始まるんだと言う気分でした。
帰りの、水墨画のような三段峡の美しさも格別で、その景勝の地に、キャンプ用のナベににぎりめしを入れて持ち歩く異様な集団、我ら天文学会!大学生になれて、このクラブに入れて、本当によかったと思ったものでした。
さて、初日は、素晴らしい星空でした。星は、1等星も2等星も、もっと暗い星も、みんな一様にギラギラと明るく輝いていて、どれが一等星か分からないほど、まさに満天の星でした。
タカハシ8p屈赤にカメラを載せて、交代で手動ガイド撮影をしました。 私は、微動装置のない簡易赤道儀でのガイド撮影は経験がありましたが、ちゃんとした微動装置付きの赤道儀でガイドするのは初めてでしたので、大変うれしかったのを覚えています。
下の写真はその時の撮影メモです。その合宿に参加した5名全員の名前が書かれています。
この紙は、当時のコンピューターにプログラムやデータを読み込ませるためのカードの裏面です。小さく長方形に開いている穴の組み合わせが文字情報となって、コンピューターに読み込まれました。大変質のよい、丈夫な紙でした。
BOXに不要になったデータカードがどっさりあり、メモ用紙、木星スケッチ用紙、伝言板に貼り付けるメッセージカードなど、いろいろに活用されていました。(あ、木星スケッチ用紙は、作ったけれどあまり使われなかった?)
合宿で、風景や人物の写真を撮らなかったので、このメモで代用します。
51-小林