天文研特派員報告
    -村上忠敬先生御叙勲祝賀会開かる-
                               
一特別派遣委員

 天文学研究会の前身たる天文学会の残した足跡の偉大さは、
改めて述べるまでもないと思う。その天文学会を育て上げられ
た、我が広島大学の、というよりも日本の誇る天文学の権威、
村上忠敬先生が叙勲なされたことは、我々にとっても感動の
ビッグニュースであった。

 去る12月10日、ところホテルニューヒロデンにて、天文
学会他の人々の手によって、村上先生の御叙勲祝賀会が盛大に
催されました。我が天文学会からは、森さん、草加くん、水野
くんの3名が代表として出席しました。彼らは会の代表であり、
しかもクラブ費からの補助を受けて出席しましたので、ここ
蒼穹の紙面を借りまして、祝賀会出席の模様を手短かながら
報告しておきましょう。

 祝賀会は10日午後2時より開かれると言うことになって
いましたが、我がクラブ代表の3人は何やら手伝いをさせられ
るとかで、1時間程早く会場の方へ出向きました。いくら会費
を払うとはいえ、彼らが最後輩なのですから、手伝いくらいや
らされるということは彼らもある程度覚悟していたようです。
当日はあいにくの雨模様で祝賀会日和りと言うわけにはいきま
せんでしたが、
{印刷不鮮明で十文字ほど判読不能}わけでも
なく、まして記念観測会をやるわけでもないのでして、雨が
降ろうが雪が舞おうがかまわないわけです。

 森さんも草加くんもスリーピースで決めていましたが、
水野くんはブレザーに替ズボンでみじめでした。なんでも
彼は、成人式まではスーツなんかいらんわい、と主張して、
今だスーツを持っていないという話です。

 会場は2階、春日の間(だったかな)。すでに数名の方々が
お見えになっていまして、その中に宮本正太郎さんの姿もあり
ました。森さん、草加くん、水野くんの3人は、さっそく受け
付けの仕事を仰せつかって、会費の徴収と出席者のチェックを
行いました。中には名前のチェックだけ済ませていっこうに
会費を払うそぶりを見せない人もいまして、手こずったりして
いました。女性の方々も結構出席なさっていまして、皆さん
今や良きお母さんといった感じでした。結局のところ、出席者
は59名という事でした。

 村上先生御夫妻がお見えになりまして、午後2時すぎ、出席
者の入場をほぼ済ませ、開会されました。会場内では次々と
あいさつ、祝辞が述べられていました。しかし、我が代表の
3人は、受け付けに冷たく取り残され、締め出されていました。
3名ほどまだいらしてなかったからです。会が開かれ始めます
と、受付の差し向かいのクローク嬢も姿を消して見るものもな
くなり、15分、30分とたつと、受け付け3人はいかにも
ヒマそうでした。 会場内では食器の音もひびいており、会費
もしっかりと払った3人はブツブツブツ。ことに森さんは、
このために朝から何も食べてないとのことで、一層不満が大き
かったんじゃないでしょうか。会場沿いの廊下にピアノが置い
てありまして、ヒマを持て余した水野くんは「エリーゼのため
に」を流麗に弾きこなし、会を盛り上げようと考えたのですが、
このような大それたことをするだけの厚かましさはさすがの
水野くんも持ち合わせていなかったようです。

 さて、受け付けに3人も残っている必要もないと言うことで、
交替をしながら、結局1時間程のうちに3人とも席に落ち着き
ました。

 会場内は村上先生のテーブルを中心に4つのテーブルが置か
れ、みながそれぞれのテーブルを囲んでいました。村上先生を
囲むのは宮本さん、佐伯さん、竹山学長、といった方々でした。
司会は佐藤さんが持ち前の雄弁さで、てきぱきと勤められまし
た。肝心の食事ですが、すべてフランス料理。どれもこれも
見たことのないものばかりで、味も食べてみないことにはわか
らない。場合が場合だけに、3人とも緊張の色はかくせません。
水野くんなどは使い慣れぬフォークとナイフを握りしめ、皿に
乗っかった得体の知れない食べ物に向かって悪戦苦闘しており
ました。そのとなりにいらっしゃった内海先生は「今日は(余
裕がなくて)あんまり食べてないんで・・・」ということで
黙々と食べていました。事前に佐藤さんにうかがった話により
ますと、フランス料理だからカタツムリ(エスカルゴですな)
が出ると言うことでしたが、残念ながらなかったようです。
極めつけはやはり、何ものかの足でありましょう。森さんと
水野くんが自分の皿に取って「何の足だろう」とつつきまわし
て食べていました。味の程は、水野くんによると「鳥にささみ
の少しパサパサしたような」ということでした。結局のところ、
その大きさ、形、肉の付き具合などから総合判断しましてカエ
ルの足であろうという結論に達したようです。

 どうも報告の本筋からそれてしまったようですが、食事と
平行して、OBの方々のあいさつがのべられ、そして一同から
村上先生への記念品(「アストロスキャン」という携帯用反射
望遠鏡です)が手渡され、なごやかな雰囲気で会は進められま
した。それから村上先生御夫妻を中心に記念撮影が行われまし
た。最後輩である我がクラブ代表の3人は(山口のアマ天文研
究発表大会へ行った3人でもあるのですが)今回はさすがに
山口でのようなまねはせずに、端の方へ行って控えめにして
おりました。(そのかわり、一番最後には3人だけで、
内海先生に記念撮影をしていただいてましたが)

 これが済みますと一通りの式次第も終わりまして、そののち
は、みな席を離れて思い思いに、懐かしい先輩、後輩、同輩と
の話に花を咲かせていました。広島天文協会の方も数名いらし
てまして、今の天文研ももっと外部との連絡を取って、お互い
の情報を交換していきましょうということをおっしゃってまし
た。こうした話や、先に述べたようなあいさつ、お話が、1つ
1つお伝えできないには残念です。村上先生もお元気そうで
何よりでした。とても70才を超えているようには見えないの
です。うちの年寄りの方がずっと年寄りらしいと思うのですが。
村上先生は現在、毎週広島から名古屋まで出向いていって
講義をなさっているそうです。午後4時半ころ、OBの女性の
方(OGですかな)から村上先生の奥さんに真っ赤なカーネー
ションの花束が手渡されると(開会前の話では、最年少の者が
手渡すとかで、それを聞いた水野くんは顔をこわばらせていま
したが)御夫妻は退場なされました。午後5時すぎ、積もる話
にも終止符が打たれ、食べるのもやめ(代表3人は最後まで飲
み食いしていましたが)、午後2時おごそかに開会された祝賀
会もなごやかな雰囲気のうちに閉会となりました。

 広島大学天文学会のOBの方々の手によって開かれたこの祝賀会、
村上先生が叙勲なされたというのを聞いたときの感動も新たに、
1人1人の心にいつまでも思い出として残るような、そんな会では
なかったかと思います。この辺で祝賀会の報告を終わりたいと
思います。

 なお、この会ののち、森さん、草加くん、水野くんの3人は、
佐藤さんとともに広島天文協会の忘年会へのお誘いを受け、
快く特別出演をしました。そこでは、天文をやるもの同志なら
ではの話が繰り広げられました。さらに森さんと水野くんは、
やはり佐藤さんとともに広天の2次会までも付き合いまして、
今後のお互いの交流と発展を望んで解散した次第です。これか
らの天文研の在り方を強く考えさせられた1日でした。   


       
蒼穹14号(1978(昭和53)年12月16日発行)より
                  
(筆者:52水野さん)



                  (写真提供:52水野さん)