「このタイトルは、あの歌のパクリじゃろうが!」

 「『不死鳥のころ』とは、また、変な日本語じゃのう、
  だいたいが、
不死鳥はカタカナ書きにすべきじゃろうが!

なんてピンと来る方、ようこそ、おいでくださいました。

 実は、今を去るン十年前、学生だった私は会誌
『蒼穹』に、クラブの「25年の歩み」なる企画を書き始めました。

 創設から最初の7年分は、先輩方の作られた
『7年の歩み』という大変良くできた冊子があったので、
そこから丸写しすれば良かったのですが、8年目からはカンニングできるタネ本も無くなり、BOXの壁いっぱいの大きな本棚
にぎっしりと詰まった資料(史料と言うべきか?)をどう扱ったものかと途方に暮れ、何をどうしたら良いかも分からなくなって、
それでも、7年の歩みから後、二年分ほどは一応書いたでしょうか、やがて実習や卒論を口実に、「ああ、俺は忙しいんだ。」と
自分を納得させて(実習も卒論も、大手抜きでしたが・・・)その企画を放棄してしまった前歴を持っています。

 このたび、ホームページを作る過程で思いがけず大先輩方とのメールをやりとりする機会を得、先輩方の
現役の頃の様子をいろいろと教えていただき、興奮を禁じ得ませんでしたが、その中で感じたのは、時が経つと、
クラブの状況もずいぶん変わるのだと言うことでした。

 私たちのクラブでは、ほとんどの方は、クラブに関わるのは在学中の数年間だけです。そして、その時の経験が
自分にとってクラブのすべてになるわけです。しかし、大学という所は結構めまぐるしく変化しており、10年も経つ
とクラブの様子も、大学の様子も、ずいぶん変わってしまうものだと気づきました。
 会員の集まる場所はどこにあったのか、会の活動はどのようなものであったのか、望遠鏡は何を使ったのか、etc.etc。
その時その時で大きな違いが有ると言うことに気がつきました。

 学生の頃は、25年でも長いものだと思いましたが、わがクラブは、分かっている限りでも、1954年(昭和29年)には
存在が確認でき、それからもうすぐ60年になろうとしています。(これを書いている今は2011年です)

 長い長いその歴史を、文章に編むのは大変なので
手を抜いて、そのルーツから現在までを年表という形に
したらどうだろうかと、企んでみました。ン十年前のリベンジなるか!?

 例によって、ホームページの特性を生かして、
作成継続中の看板を掲げつつ、ガウディのサグラダ・ファミリア
教会のように、
長い年月をかけて、だんだんに完成に近づけられればと思っています。
 いや、われらが
クラブの続く限り、「完成」はしないわけです。余の辞書に「完成」の文字はない!?

 学生の頃は、史料から歴史を探ろうと思って力尽きましたが(力尽きるほど、がんばってはいないのですが・・・)、今にして
考えてみれば、その頃を知る人に聞けば、話は簡単ではないかと、思いついた次第です。(簡単かね?君の考えはいつも甘い!)

 西条移転で資料・史料の類も散逸してしまっているようですから、古い時代のことはもはや証拠はなくなって、証人だけが
たよりの時代です。新旧の会員の皆々様、老いも若きも、どうぞお力をお貸しください。

 大先輩方をさしおいて、このような企画にしゃしゃり出るのは畏れ多いことではありますが、その辺はご寛恕頂きまして、
皆さんの不死鳥のころを、同じ星へのあこがれを抱いたころのことを、ここに残してみようではありませんか。

                                                             
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以下は蛇足です

 年表ってやつは、出来上がっているものを眺めても、無味乾燥であまりおもしろいものではありません。
でも、自分で作ってみると思わぬ新発見があったり、いろいろな出来事の関連が見えてきたりして、なかなか
興味が湧いて来るものです。

 記録を探す中で、やっと目的の記事に巡り合えたり、思いがけない事実を見出したりすることは、トロイアを掘り当てた
シュリーマンや、新彗星を発見したコメットハンターの喜びにも通ずるものがあるなあ、なんて思ったりしています。

 米ソの宇宙開発競争なども、大国の威信をかけて必死にやっていたことなのでしょうが、今こうして年表にしてみると、
わずかな時間差で同じ事を達成したりしくじったりしていているさまが手に取るように見えて、両超大国がいじましくさえ
感じられて来ました。

 わがクラブの会員の皆様は理系の方が多いので、きっと夏休みの自由研究は理科的なテーマが多かったと思いますが、
時には自由研究として、社会科の年表作りなどいかがでしょう。



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