2009722 トカラ列島 宝島 -プロローグ-  


 
帰りの「としま」はひどく揺れた。
 
 今世紀最長の皆既日食を観測し、意気揚々と凱旋するはずだった船は、
この日の天候と同じ重苦しい雰囲気を乗せて、時化た東シナ海の荒波にもまれていた。
 
 「としま」の船室には、疲労と、失意と、虚脱で動けなくなった夢の抜け殻が、
いくつもいくつも横たわっていた。
 
 西暦2009年7月22日、無情の天気の前に、トカラ列島皆既日食は夢と潰え去った。
鹿児島から波路はるか遥かに360q、トカラ列島最南端の宝島まではるばると遠征して
来た我々は、ますます強まって行く風雨の中、惨めに望遠鏡やカメラをかたつけていた。
 
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 日本は、「滅びの美学」を持つ国である。我が国では、英雄はその悲劇的な最期のよっ
てのみ、英雄たりうる。
 源義経、真田幸村、赤穂浪士、坂本龍馬、西郷隆盛・・・。彼らはその悲劇性ゆえにい
つまでも日本人の心に残り続ける。宇宙戦艦ヤマト艦長 沖田十三は、地球帰還を目前に
最期を迎える。ここにヤマトも神話となるのである。
 
 散りゆく桜=英雄への共感。この美学は日本を戦争へと導いてしまった過去も持つが、
いまだに我々の心の奥深く、しっかりと根を張っている。
 皆既継続時間今世紀最長を謳われたトカラの島で、無惨に散った我々も、「桜」と
なり、英雄となれたであろうか?
 
 「勝てば官軍」という言葉がある。
 悲劇のトカラ列島を尻目に、小笠原海域へと繰り出した豪華客船群は、快晴の空の下、
「日食正見」。船の上は歓声と拍手、バンザイの歓呼に包まれた。
 
 NHKはこの船の上から皆既日食を生中継。さらに夜にも、この船上から日食の特集番
組をライブで放送した。出演者はもちろん、日食を見た幸福感に酔う乗客たちである。
トカラから帰り、家族が録画したビデオを見るにつけ、悔しさは募るばかりである。
 
 インターネット界は「トカラ、それ見たことか!」といった書き込みにあふれ、あれほ
ど騒いでいた天文雑誌やマスコミから、「トカラ」のトの字も無くなった。そう、日食は
「晴れれば官軍、見えねば賊軍」なのである。小笠原海域へと繰り出した船は錦の御旗を
頂く官軍となり、我らトカラ組は賊軍となり果てた。トカラ組は散っても「桜」や英雄には
なれなかったのである。
 
 「株を守る」という話がある。「待ちぼうけ」の歌で有名な、間抜けな男の話である。
その最後は、「身は三国の笑いとなれり」と結ばれている。我が身も今や、「桜」どころ
か「三国の笑い」となり果ててしまった。
 
 トカラ列島へ出発する前は、この旅を一大紀行文にまとめようと考えていたが、賊軍と
なり果て、三国の笑いものとなった今、何をか語るべけんや、である。
 
 そんなわけで、旅から帰ってしばらくは放心状態であった
 
 今回の日食から26年後の西暦2035年、本州の真ん中を横断する形で皆既日食が見
られるという。自分の住んでいる場所である。それを聞いて、今度こそ日本で日食を見よ
う、もう一度チャレンジしよう、とだんだん思えるようになってきた。
 
 46年前、1963年の北海道皆既日食に大学の先輩方が遠征した時の記録が、今回
大いに参考になったように、トカラ行きの経験をまとめておくことは次の日食に役に立つ
かもしれない。
 
 2035年といえば、自分は70代後半ということになる。微妙な年齢ではあるが、
それまでなんとしても生きて、この目で日食を見ようではないか!

 
外国でも、揺れる船の上でもない、この日本の大地にしっかりと自分の足を
踏ん張って、
俺は皆既日食をこの目で見るぞ!
 
臥薪嘗胆! 捲土重来! 本土決戦だ!!
                   (ああ、過激なオープニングになってしまった・・・)


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