クラブの起源


 長いこと、我がクラブの起源がいつなのか、編集者には分かりませんでした。
 分かっていた最古の記録は、1960(昭和35年)年3月刊行の『7年の歩み』に記されていた『再開』第1回例会の年月日。
それは1954(昭和29)年2月14日のことでした。

『7年の歩み』から引用してみます。


§1 1954−1956

1954年度

 2月14日 ノートによれば再回第一回例会とある。再会であるから、以前にも天文学会があったのだが、
何らかの理由で中断されたものであると思われるが、ノートには何の記録も残っていない。
この日の参加者は、即ち名誉ある創立会員は、平岡、田中、竹崎、荒川、八木、の五名であった。
責任者 八木。会費は1ヶ月10円。月2回の例会開催、東亜天文学会(以下O・A・A)加入等が決定された。
活動の目標も、火星、流星群の観測を主として、他に太陽黒点、変光星、星食などもできれば行うという
ことであった。

                                                          (『7年の歩み』より)
                        編集者註:「再回」、「再会」の文字は原文のままです。
                              本文は、一部修正してあります。


 『7年の歩み』は、教養課程が皆実町から東千田町へ移転する時に、皆実町時代をまとめるために作られた冊子です。
作成に当たって使われたのは、学会に残されていた4冊のノートだったそうです。

『再開』第1回例会の日を起点に数えて7年目なので、『7年の歩み』というタイトルが付けられたわけですが、
『再開』第1回例会以前のことは、この時点で、すでに分からなくなっていたようです。会員の中にも知る人がおらず、資料的にも
分からなくなっていたのでしょう。

 よって編集者の中では、長いこと1954(昭和29)年がクラブの始まりだ、というイメージがあったのでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、編集者は2014(平成16)年11月、西条移転後の世代が作っているOB/OGのホームページが存在することを教えてもらいました。
(このページを見たい方は、51-K までお問い合わせ下さい

そこで編集者は驚くべき物を目にしたのです。それは『7年の歩み』の記録を遥かに上回る昔の、

『広大天文学会発行「會誌Vol.1 No.1」』でした。

発行は、1949(昭和24)年12月。クラブの最古の記録を一気に5年も遡ったのです。



           (資料写真提供 05野瀬さん)

                (会誌の具体的内容は、こちらでご覧下さい)

1949(昭和24)年、それは、新制広島大学が開学した年です。その年にはもう、広大天文學会が出来ていたのです。

内容を読んでみてさらに驚きました。「廣島大學天文學会誕生に際して」という一文があるではないですか!お書きになったのは、
会長 村上忠敬先生!!先生が初代会長だったのです。
 

                廣島大學天文學会の誕生に際して
                                                    会長 村上忠敬


 
“All's well,that bigins well.”という諺があるが、今年新発足した広島総大も、どうぞ初めからアカデミックな
香り高い眞の意味の大學であって欲しいと切に願っている。しかし広大の現状を見ると施設の不充分、特に
カリキュラム外活動の本拠とも称すべき図書館及び実験室が學生諸子の利用に任せられない実情にあるため、
どうひいき目に見ても充分に大學らしいとは云ひえない。學生諸子も從って講義のないときは直ぐに下宿にでも
帰るか、又はグランドで野球のまねでもする外はないのではなからうかと気の毒に堪えない。
 こういふ次第であるから學生諸子の盛り上がる熱意によって茲に広島大學天文學会が誕生し、少人数では
あっても趣味として又學問として天文學をカリキュラム外に研究し論議し実地に観測したりする人人のあることは
非常な喜びに堪へない。願わくはこの会が單なる趣味の会として一個所に低回することなく、廣くき教養を
積まんとする若人のたゆまざる努力の結果として、一歩一歩堅実なる前進を遂げ、広大の學風を形成する一端を
荷なうに至るようにと望んで已まない


                          『Astronomical Society of Hiroshima University 會誌 December 1949 Vol.1 No.1』より

                  編集者註:フォントの関係でホームページでは表記できない文字があるため、一部に新字体の漢字を
                         使用いたしました。本「拠」、低「回」は原文では旧漢字で書かれています。

 これこそが、我らがクラブのスタート地点であることは、間違いないでしょう。文理大・高等師範学校時代のことはさておくとして、
広島大学 天文學会・天文学研究会のルーツがついに分かったのです。

メンバーは、村上先生を会長に、青木、村上、奥、古市、胤森といった皆さんの名前が會誌中に見られます。他にもいらっしゃったかも知れません。

      広島大学天文學会の始まりに関する略年表
 1949年
 昭和24年
  5月31日 新制広島大学設置
  7月18日 広大 入学宣誓式 1,304名に入学を許可

    ?   廣島大學 天文學会発足
 11月28日 皆実分校校庭にて月を撮影
           日本光学製 口径150mm 焦点距離1600o
           コダック製シートフィルムを使用
 12月   會報Vol.1 No.1を発行
           その後数年、クラブに関する情報なし
 1954年
 昭和29年
 2月14日 再開第1回例会
     3月 2日 kanko(関西光学工業)20センチ反射 到着し披露
 3月12日 20pで初観測
 4月    新入会員8名


しかし、『7年の歩み』をまとめる時点で、もはや分からなくなっていたこんな古い『會誌』が、いったいどこから出て来たのでしょうか?

この貴重な『會誌』を掲載したホームページの管理人である、05野瀬さんに伺ってみましたところ、以下のようなお返事を頂戴しました。


天文學会会誌1号は、私が入学した時=西条に移った時には、既に他の蒼穹と並んでいました。
東千田に無かったとすれば、引越しの際にどこからか出てきたのかもしれませんが詳細は不明です。


                                           (05野瀬さんのメールより)


 平成入学の西条世代は、ずっと以前から、この『會誌』の存在を、すなわちクラブのルーツを知っていたのです。驚きです。

しかし、本当に、この資料は一体どこから出て来たのでしょう?東千田キャンパスのBOXにあった本棚のどこかに埋もれていたのでしょうか?
(それはちょっと考えにくいなあ・・・)あるいは、天文学の教官室にでもあったのでしょうか?

ご存じの方、いらっしゃいましたら、教えて下さい。

また、この他にも古い会誌などお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。


結論:広島大学天文學会・天文学研究会の起源は、1949(昭和24)年、
    新制広島大学が開学した年である。


                       不死鳥のころTOPに戻る