皆実時代の刊行物
1954(昭和29)年度〜1960(昭和35)年度
『7年のあゆみ』によれば、「1956年(昭和31)年1月 会報の発行を決める」とありますが、残念ながら現在その会報は所在が確認できません。
1957(昭和32)年、国際地球観測年(略称:IGY)の一環として、人工衛星観測網が読売新聞のスポンサーの元に組織され、広大天文学会も参加することになりました。
同年10月4日 ソ連が人類初の人工衛星、スプートニク1号を打ち上げ、我が会も観測が本格化します。
同年12月6日、観測の成果をまとめた『人工衛星観測、広島班報 No.1』が刊行され、各方面に送られました。後に、かの野尻抱影氏から夢中で読んだ旨の返事が来たと言います.
貴重な、この冊子のコピーを31佐藤さんから頂戴することが出来ました。
翌1958(昭和33)年1月19日、『人工衛星観測、広島班報 No.2』を刊行。
こちらは現物を確認できておりません。
人工衛星観測、広島班報 No.1
1957(昭和32)年12月6日刊行
広島と人工衛星 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・村上
観測態勢に入るまで ・・・・・・・・・・・・・・池田
打上げの報を聞いて ・・・・・・・・・・・・・・村上
人工衛星打上げの報を聞いて ・・・・・・佐藤
観測概況・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・池田
ロケット発見の朝 ・・・・・・・・・・・・・・・・・高田
(本文では「ロケットを見た最初の朝」)
本体発見の朝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大月
人工衛星を見る ・・・・・・・・・・・・・・・・・・阿部
初めて見た本体 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・西堀
人工衛星を観測して ・ ・・・・・・・・・・・・・守田
喜びも悲しみも ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤村
JJYと共に ・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤田
接待のこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前田
ESSEY・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前田
牛乳の味・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・寺地
α1にレンズを向けて・・・・・・・・・・・・・・末永
人工衛星の観測から得るもの・・・・・・・荒木
今後の問題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・荒木
観測参加者名簿
編集後期
貴重な、この冊子のコピーを31佐藤さんから頂戴することが出来ました。
31佐藤さんの手元にあるのは、ジアゾ式複写機による青焼きのようです。
刊行当時から、青焼きだったのか、通常の印刷物であったかは不明。
新制広島大学が設置された年の暮れに出された『会誌』第一号です。
大学が出来たその年に、会が発足したことが分かります。
我がクラブの起源を示す貴重なこの資料を、05野瀬さんから提供して
いただきました。