2009722 トカラ列島 宝島 -バイブル-

 かつて東千田キャンパスの一角に、我々天文研のBOXはあった。
 
 それは、5階建て校舎の屋上へ出入りするための、幅2メートル、長さ10メートルほ
どの細長い空間であった。大学から認められたものではなく、先輩方が勝手に占拠して
BOXとして既成事実化したものであったと聞いている。BOXの上には、25センチ反射
道儀を納めたドームがあり、広々とした屋上をほとんど自由に使うことができた。
 
 屋上からの眺望はなかなかのもので、キャンパス周囲の道路を行く人や車が、小さくお
もちゃのように見えたものである。市街地を取り巻く山々や瀬戸内海の島々が遠く見渡せ、
夕方になるとオレンジ色の太陽が、隣接する日赤病院の高い塔をシルエットに変えながら
沈んでいった。
 
 その上、BOXの直下までエレベーターが通っているという、今にして思えばまったく
贅沢なBOXであった。
 
 BOXに置かれた、おそらくはどこかの研究室のお下がりであろう古びた大きな木製の
本棚には、天文雑誌や、過去の観測記録や、「アルバム」と称されたスクラップブックや、
「足跡」という歴代の雑記帳や、マンガや、その他いろいろなものが雑然と突っ込まれて
おり、その中に、我が部の会誌『蒼穹』も埋もれていた。
 
 『蒼穹』、青き空という意味である。その会誌に昭和40年から44年までの5年間、十
数回にわたって「1963721」という記事が連載されていた。1963721とは、
日本で見られた20世紀最後の皆既日食の日付、1963年7月21日のことである。
 
 日食を見んがため、はるばる北海道まで遠征して観測に挑んだ先輩たちの記録が「19
63721」なのであった。
 
 学生ゆえの旅費調達の苦労。太陽の高度3°、皆既時間30秒という観測条件の悪さ。
思うに任せぬ機材調達。情報と準備と時間の不足。卒論指導教官からの禁足令。ヒグマの
危険。荷物の不着。様々な問題が行く手には立ちはだかっていた。それでも彼らはやみく
もに、最果ての地、北海道、知床半島の羅臼岳を目指した。
 
 海外遠征はもちろん、飛行機での移動も高嶺の花の時代である。旅は西日本から北海道
の東の端まで、延々と列車を乗り継ぐ強行軍であった。それも、宿代節約のため夜行列車
ばかりである。重い荷物を背負っての悲惨な山登りを経て、日食の2日前、彼らはついに
羅臼岳にたどり着いた。そこには十分な時間をかけ準備万端整えた東京理科大天文部が、
基地を構えて盤石の観測態勢を敷き、彼らを圧倒している。はるばる訪れた北緯44度の
星空は美しかったという。
 
 高雅にして簡潔、常にユーモアを忘れない文体は、北海道への大旅行と、夢に向かって
突き進む先輩たちの姿を生き生きと私の心に映し出した。自分もいつか、同じような旅を
して、北海道羅臼岳へ行ってみたい、と憧れたものである。
 
 松尾芭蕉の『奥の細道』の足跡をたどって旅する人が結構いるように、私は「1963
721」をたどる旅をしてみたいと思うようになった。知床行きは、残念ながらまだ実現
していないが、「1963721」は、私を日食の旅へといざなうバイブルとなった。
 
 残念ながら、「1963721」の連載は、すばらしかったであろう日食の様子を語ることなく、
既前日の記事で終わってしまっている。
 1968年から69年にかけての大学紛争の影響や、作者の多忙化で連載出来なくなっ
てしまったのではないかと想像されるが、果たして結末はどうなったのか?
 1963721の旅に遅れること十数年、私が入部した時には、もうそれを知っている
人はいなかった。
 
 ただ、観測が成功したことを後世に伝える写真が一枚、古びた額に入ってBOXに残さ
れていた。それはピンク色に染まるオホーツク海に浮かぶ国後島と、その上で輝く見事な
コロナの写真であった。
 
 今回、トカラ列島へ行くに当たって、私は「1963721」をコピーして持って行った。
先輩たちの日食旅行の成功にあやかろうと、あれこれゲンも担いだ。日食観測につい
て、参考になることもたくさんあった。
 
 いよいよ明日は船に乗って海に乗り出すという晩、鹿児島のホテルで私はこのバイブル
をもう一度読み返した。いよいよ皆既日食だという感慨が湧いて来る。トカラ列島は46
年前の北海道と違って太陽は天頂に近く、皆既継続時間もたっぷりある。条件は最良だ。
梅雨も明けている。唯一の不安材料だった台風も、やって来そうにない。

 あとは、新バイ
ブル、「2009722」を書くばかりだ・・・。
 
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 トカラから帰って、大学時代のクラブの仲間たちにあれこれと旅の報告をしたところ、
一学年上の先輩から貴重な情報をいただいた。北海道遠征隊からの電報がBOXに
あった
というのである。私は、今までその存在を知らなかった。全くの初耳であった。
 
 その電報には、「コロナミタ」 とあったという。
 
 コロナミタ! 感動が湧いてきた。未完に終わった「1963721」の完結編に、
長い年月を経て私はようやく巡り会えたようだ。



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