2009722 トカラ列島 宝島
         - 第一接触 9:34:47-

決戦の朝


パラッ、パラパラパラッ・・・・・

テントの屋根をたたく雨音に飛び起きる。
慌てて外を見る。風は相変わらず強いが、幸い雨はそんなに落ちてはいない。
今日こそは、今日だけは、雨が降ってもらっては困るのである。

テントの出入り口が、強風でハタハタとなびいている。もう、辺りは明るくなっている。
夜は明けたのだろうか?海岸の観測予定地に行ってみる。

外海は波が高いが、入り江の中は穏やかだ。EM-200は、強風の中、一晩放置してあった
にもかかわらず、微動だにしていない。極軸は、昨夜合わせたまま、バッチリの状態。
追尾装置は万全だ。はるばるここまで運んできた重量級の主砲塔である。今日はこいつに
タカハシ5p砲などを載せ、欠け行く太陽を撃って撃って撃ちまくるのだ。

その標的はどこにいる?まだ、水平線から顔を出していないのだろうか?
空の高いところにうろこ雲があるものの、そのもっと上には明るく青空が広がっている
・・・ように見える。ん?青空? これは青空なのか?一様に滑らかな、薄い藤色をした
明るい「空」である。

心の中に、「もしやこれは、雲なのではあるまいか?」という疑念が湧いてくる。
いや、あんなに滑らかに空一面を覆い尽くす雲は見た事がない。雲なら、必ず雲らしい
模様があるはずだ。第一、雲ならあんなに明るいはずがない。

「あれは、夜明け前の、まだ十分に青くならない晴れた空なのだ!」

と自分に言い聞かせるが、朝食に出発する時間になっても、ついぞ太陽は昇ってこなかった。

コミュニティセンターで朝食を頂く。日食に向けて、朝食時間は早めに設定されている。
決戦の日の朝食は赤飯と鯛の尾頭付き、とは、真珠湾攻撃を描いた映画「トラ!トラ!
トラ!」で見た事だが、さすがにそれはなかった。いや、昨夜の伊勢エビが、それに匹敵
する祝い膳だ!

昨日、梅雨前線が停滞した北九州で豪雨被害が出ていると、テレビのニュースが伝えて
いる。被害に遭われた方には申し訳ないが、それは遠い遠い場所の話。ここはずっと南の
トカラ列島だ。前線は遥か北方にある事が確認できた。トカラの梅雨は、完全に明けて
いるぞ!最も恐れていた台風も来ていない。今日は行ける!大勝利まちがい無しだ!

食事を済ませ、外へ出る。コミュニティセンターと棟続きの、朝と夕方のみ営業する、
トカラ列島最大にしてささやかな売店で、日食のデザインに染め上げたバンダナと、宝島
産の天日塩を土産に購入する。

コミュニティセンターには、インターネット用のパソコンが三台設置されていて、自由に
使えるようになっている。それで天気予報を見ていた、相部屋(相テント?)のTさんが、
外に出て来てとんでもない事を言いだした。曰く

「梅雨前線が我々目指してものすごいスピードでやってくる!」

そんなバカな!なにかの間違いだろう!梅雨前線は九州北部から山陰方面にかかっている
のだ。さっきのニュースでやっていた。そこで被害まで出ているというではないか。
それが、いくらなんだって、今日中にトカラ列島付近まで南下するなんてことは考えられ
ない。九州南端の鹿児島からだって、ここ宝島までは360qもあるのだ!

Tさん、落ち着いて!ここまで前線が来るはずないよ。何かの勘違いでしょ!

マイクロバスでテント村に戻る。行き帰りの通り道にある船着き場に、大きなヨット
(クルーザー)が一艘、停泊しているのが見えた。日食を見に、個人的に来た船らしい。
ツアー客以外入島禁止とされている事をご存じなのか、「上陸する様子は無かった」と
コミセンで警察の方が言っていた。この時期の入島は微妙な問題をはらんでいたのだが、
トラブルにならなくて良かったと思った。

皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ !

さあ、決戦準備・出撃だ!旗艦赤城のマストにZ旗が揚がる・・・わけではないが、
電柱のワイヤーに結びつけられた日除け用シートの留め紐が二カ所ほどけて、Z旗の如く
強風にはためいている。『皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ。各員一層奮励努力セヨ。」だ!
(ああ、過激だなあ・・・。)

鏡筒・カメラ・工具などを入れた大型のBOXを、昨夜から設置してある赤道儀のところ
に運び、セッテイングを開始。主砲タカハシ5pはホームセンターであつらえた急ごしら
えの鏡筒バンドのため、ネジをたくさん付けねばならず、セットするのにたいへん時間が
かかる。それゆえ、この5pだけは昨日からEM-200に装着してあったのだが、カバー
代わりのビニール袋が昨夜の強風から架台も鏡筒もバッチリ保護してくれていて、
状態は万全だ。

しかし、いつになっても空の一面の藤色は、青色に変わらろうとしない。あれは、青空で
はないのか?雲なのか?高い空は一面、滑らかそうに見える。どう見ても空だ。これが
雲だなんてことがあるのだろうか?(あるはずがない・・・古文で言う「反語」の形です)

しかし・・・である。待てど暮らせど、もう十分高く昇っているはずの太陽が見えない
ところを見ると、もしかしたらあれは雲なのかも知れない・・・。不安と焦りが、私の
心の中に忍び込んでくる。(後で考えれば、これは、名古屋から鹿児島まで飛んだ時見た、
空の高いところ一面を滑らかに覆っていた梅雨の雲と同じであったのだが、その時は、
全くそれに思い至らなかったのである。)いや、雲であろうと空であろうと、段取りを
変えるわけにはいかない。「対日食撮影準備、用意急げ!」である。

日が出れば、直射日光の炎天下で数時間を過ごす事になる。辺りに木陰はないが、
ツアー業者が日除け用にと、柱を立てて遮光網を張って、簡易小屋を作ってくれてある。
その下にシートを敷いて、休憩場所を確保する。一番乗りだった。先んずれば人を制すと
いうが、これで安心して日食に臨めると言うものだ。黒い遮光網は強風で煽られて、
エヴァンゲリオンに出てくる使徒の触手の如くうごめき、のたうっていた。

同テントのTさんは、「ここまで来たんだから、泳いできます。」と海水浴を始めた。
何という余裕であろう。入り江の中で数人が海水浴をしている。今日泳げるのは、潮が
満ちている朝のうちの、ごくわずかな時間帯だけである。今を逃せば泳ぐ機会は無いので
ある。聞けば、あれこれと仰山に手を出そうとしている自分とは違って、Tさんの準備は
カメラを一台、三脚にセットするだけだそうで、このシンプルさが余裕を生んでいるので
ある。自分はたくさんの機材の準備に追われ、気ばかりが焦っている。

この段階に来ても、大空のどこにも太陽が見えない。という事は、いよいよあの藤色の
空は、空ではなくて一面に広がった雲だと言う事になる。受け入れがたいが、もはや
その事実は認めざるを得ない。昨夜来の強風も、衰える事を知らない。

いや、この激しい風は
神風だ。国難を救うという神風だ!神風は、いざというとき必ずや
あのにっくき雲めを吹き飛ばしてくれるに違いない・・・と願うばかりである。

日焼けしないように、白い長袖のパーカーを着る予定だったが、日光が全く射してこない
ので、代わりに、封を切らずに持ち帰る予定だった皆既日食Tシャツを着て、気合いを
入れる。このTシャツも、この決戦場に於いては今や立派なZ旗である!
『皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ。各員一層奮励努力セヨ。」(読者の声:「しつこいですよ!」)

TBSのレポーターが、現場の朝の様子を伝えるべく、リハーサルを行っている。
直後に本番。彼は台本も無しに、リハーサルどおりに本番をこなした。さすがプロ!
強風と時化と、そして曇り空のことが話題になっていた。

架台に300o望遠と、ビデオを装着しようという頃から、風に混じってわずかながら
雨粒が飛んでくるようになった。装備には大きなビニール袋をすっぽりとかぶせ、
ひもで縛ってあるが、ビニール袋は強風をはらんで激しくバタバタと暴れ回る。
ちぎれるような事は無いだろうが、よほどしっかり縛っておかないと、飛んで行って
しまいそうだ。

ポータブルバッテリー(DCワーク)を肩掛け紐で赤道儀のウエイトシャフトぶら下げて
ウエイト代わりにする手はずなのだが、濡れてはいけないので、ポリ袋に入れて、保護
する。漏電が怖くて、赤道儀に電線をつなぐ事ができない。計画では機材を組み上げ、
電源をスタンバイし、いつでも太陽の追尾ができるまでにしておかなければならない段階
なのだが、この空はまったく想定外の事態である。

いや、何を言うか、バカ者め!
神風を信じ、天佑を信じ、雲が切れたらすぐに追尾撮影が
できる状態で待機するのだ!・・・しかし、空は一面同じ明るさ(いや、暗さと言うべきか)で、
太陽がどこにあるのか、皆目見当が付かない。レーダーを持たなかった旧日本海軍さながらに、
自動導入装置のない私には、主砲5p望遠鏡を向ける方向さえ分からないのである。
とりあえず、イマキラ岳山頂を標的にして、5p屈折と300o望遠とビデオカメラの光軸が
平行になるように調整をする。これで、5pで太陽を捉えれば、他の機材の写野にも同時に
太陽が導入されているという寸法だ。

よく見ると山頂の展望台には人がいるようだ。いいところに陣取ったね、あそこなら最高の
日食観測ポイントかもしれない。しかし、この空がなんとかならないことには・・・。

観測場所に指定されている海岸線には、大勢の人が思い思いに場所をとっている。来島者
だけでなく、島民のみなさんも大勢やって来た。皆、一様にこの空に困惑しているようだ。
その中をツアーの担当者たちが
「皆既日食中はストロボを焚かないでください。」
と注意してまわっている。

彼らの会話が耳に入ってくる。曰く
「結構、うっかりストロボを焚いちゃう人がいるんだよね。
知らない人は。
『こういう人』は大丈夫なんだけど・・・」

「こういう人」
とは、大きな機材を持ち込んで、いかにも日食に詳しそうに見える
私の事らしい。実は私は、皆既の真っ最中にストロボを焚いてコロナをバックに
記念写真を撮りたいと企んでいるのだが・・・。これをやったら、大ヒンシュクものか?
でも今のこの天候では、その記念写真用のカメラを出す事さえためらわれる。
日食の経過を一コマに連続撮影するはずのカメラもしかり、である。

作戦計画では、9時30分までにすべての準備を終えるようにと指示されているのだが・・・・。

太陽は欠けてゆく・・・

9時33分、第1接触の1分47秒前。すべての砲門を開き、撮影を開始する時間である。
「撃ち方始め!」の時間なのだが、この空ではどうしようもない。太陽があるであろう辺りを
見上げるが、太陽らしきものの存在すら、全く分からない。じりじりと時間が過ぎてゆく。

風は激しさを増すばかり。近くに陣取っているYさん親子は、高級ポータブル赤道儀
「トースト」を持って来ている。私も計画を立てる段階では欲しかったが、お値段の関係で
諦めたアイテムである。うらやましい物をお持ちなのだが、そのポタ赤は今、この肝心な時に、
風でブルブル震動してしまって、使い物にならないという。(Yさん親子と私とは同郷なのだと、
後で知った。)

ガッシャン!隣で、大きな音がする。見ると、大型のカメラ三脚が倒れている。強風で
倒れたのだ。なんと、ニコンの一眼レフが装着されているではないか。もろに倒れたよう
だが、カメラは大丈夫だろうか?相当なダメージが予想される。持ち主はどこかに行って
いて不在である。三脚を起こしてあげようかとも思ったが、私が倒したと誤解されたら
大変なので、放置しておく事にする。しかし、こんな立派な三脚が倒されるとは、今日は
何という強風なのであろう。

強風の前に次々と味方が倒されていく様は、まさに戦場の悲惨さである。

EM-200はさすがにびくともしないが、望遠鏡を覆ったビニール袋は、バタバタとすごい
音を立てながら、風にはためき続けている。わずかだが、雨粒が風に混じって飛んで来る。
じりじりしているうちに第1接触の時間、9:34:47は過ぎてしまった。いよいよ
皆既へのカウントダウンが始まったというのに、この有様だ。なす術がない。

イライライラしながら、観測場所となっている海岸線を歩いてみる。望遠鏡に寄り添って
スタンバイしている人、カメラを三脚にセットしている人、何の機材も持っていない人、
様々な人がひしめき合いながら空を見上げている。TBSの中継車のところは、黒山の
人だかりである。今この島で、唯一、巨視的なお天気情報・日食情報を手に入れらる
場所がここなのだ。

「ここが現場なんだから、テレビなんかで見たってしょうがないじゃないか。自分で
体感しなくちゃぁ。」と言う声がする。もっともだと思うが、ついつい中継車の中にある
何台ものモニターに目が行ってしまう。みんな同じ気持ちだろう。ただ、モニター画面が
小さいのと、強風の音とで、何が写ってどんな話になっているのか、人だかりの後ろ
からでは皆目見当がつかない。

そんな中、
「悪石島は嵐状態で、避難勧告が出た」という情報が入った。
今世紀最長の皆既時間を誇るはずだった悪石島は、梅雨前線の手に落ちたのである。
もはや観測どころではないらしい。一方で、我々の南にある奄美大島では、欠け始めた
太陽が、薄い雲越しに見えていると言う。ここ宝島はまさに両者の中間点。
我々はどうなってしまうのか?いや、絶対にいけるはずだ!たのむ、いけてくれ!

この時、悪石島へ行けなかった自分の中に、「悪石島へ行った連中、ざまあ見ろ」という、
後で考えれるとなんともさもしい意識が湧いてきた。悲しい人間の性であるが、この時
私はまだ、自分の運命を知らずにいたのである。隣の悪石島を陥落させた 敵・梅雨前線
は、このとき既に、我らが宝島近くに迫っていたのである。

TBSの中継車に「てるてる坊主」が一体、つり下げられているが、なんだか元気がない。
それもそのはず、「てるてる坊主」の吊りヒモは、普通、頭のてっぺんに付けるべきなのに、
こいつの吊りヒモは首に巻かれているのである。首吊り状態のてるてる坊主なのだ。
今となっては唯一の頼みの綱となった、我ら宝島の守護神
「TBSてるてる坊主」君は、
首を吊られてがっくりとうなだれながら、強風に吹きさらされているのであった・・・。

「あと20分で真っ暗になる」なんて声が聞こえて来る。

この先、雲はどくのか、どかないのか?先がまったく読めない。いや、正直言えば、読み
たくない。低空に断雲は、次第に厚く、黒く、雲量を増し、全天を覆い尽くさんばかりに
なってきた。巨大な黒雲の固まりが、戦車のような重量感を持って進撃してくる。明らか
に天候は悪い方へ、悪い方へと向かいつつある。でも、認めない。諦めない。可能性は
絶対にある・・・と信じたい。

このままの装備で晴れ間を信じて待機するべきか、それとも計画を変更するべきか?
レイテ湾突入を目前に計画を変更し、勝機を逸した旧日本海軍の経験がふと頭をよぎる。
状況が分からなければ、正確な判断することはできない。そこでどんな選択をしても、
それはイチかバチかのバクチのようなものなのだ。レイテ海戦の艦隊司令の気持ちが
よくわかる。

ともあれ、今まで練り上げてきた撮影計画は大幅な修正をせざるを得なくなってきている。
全く想定していなかったことなので、なにをどうしたらよいのやら、皆目見当も付かず、
うろたえる。まあ、何にしろ、太陽が見えない事には何も始まらないのだけれど・・。

流れてくる黒雲が、ついにイマキラ岳山頂のアンテナを隠し始めた。雲は風にあおられて
どんどんこちらに移動して来る。途切れることなく後から後からやって来るのである。
山頂は次第に雲に包まれ、我々の視界から消えていった。

ああ・・・天は我を見放したか! 私はついに決断した。作戦、変更!

1.赤道儀ニ付ケタル ビデオカメラハ、コレヲ ハズシ、悲惨ナル現実ノ記録ヲナスベシ。
2.コロナヲ背景ノ記念写真ノタメノ銀塩カメラ広角レンズハ、状況記録用ニ転用セヨ。
3.EM-200上ノ主砲5pオヨビ副砲300o望遠ハ、皆既撮影ニ備ヘソノママ待機。
4.観測風景記録用ノコンパクトカメラハ、予定ドホリ主砲廻リノ動画撮影ヲ続行セヨ。
5.作業指示用ノ録音音声は、予定時間ドホリニ聴聞ヲ開始セヨ。
6.日食連続撮影用ノカメラハ、三脚ニツケズ待機。
                                                以上

かくして、赤道儀から取り外したビデオカメラを手に持って、雲の状態や人々の様子、
廻りの風景などを、あちこち写してまわる。TBSのカメラマンも、地元のテレビ局の
カメラマンも、大きなテレビカメラに雨よけのビニールカバーを掛けて、あちこち写して
いるようだが、彼らも予定が狂って、何を写すべきか、困っているみたいである。

今朝までは、マスコミの取材が日食撮影の邪魔になると思って警戒していたのだが、今や
同じ立場に立った者同士、不思議な連帯感が湧いてくる。空を見上げながらカメラマンに
向かって親しげに
「なんとかなりませんかねえ・・・」とグチをこぼす。完全に、彼に
心を許した形だった。しかし、私のその一言はバッチリとTBSのテレビカメラに記録
され、夕方の全国ニュースで流されてしまったそうな。(と、後から知った。写されたと
は、その時は全く気がつかなかった。)スキを見せてしまったなあ・・・。まあ、私が
取材陣の前で自然な姿でホンネを出したのは、この時だけだったから、それを逃さなかっ
た彼らはやっぱり取材のプロであると言うべきか。お見事!

隣の悪石島を避難勧告に陥れた梅雨前線が、今や我が宝島をも覆い尽くそうとしている。
日食観測隊に未来はあるのか?希望はあるのだろうか?
第2接触「皆既」の時まであとわずか・・・。わずかな時間しか残されていないのだ!
                                     
                                                続く



註:第1・第2・第3第4各接触の時間や、皆既継続時間については、同じ島の中でも
観測地点の位置の差や諸要素の関係からか、微妙に違ういくつかの説がある。
この文章では時間に関して、私が参考にした様々な資料や自分の撮影したビデオの
記録から適宜引用している。



                
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