2009722 トカラ列島 宝島
- 皆既前夜-
古来、日食は天変であった
実家から借りてきた、この島で唯一使えるDocomoの携帯で、本土とのコンタクトを図る。私のau
は完全に圏外であるが、Docomoはちゃんと繋がった。
明日の皆既日食、テレビ局各社はどこでも特番を組むだろうから、その録画を家族に依頼したので
ある。この島にはTBSが来ていて、私はしっかり注目されているから、映像が出るかも知れない。
よってTBS系の局を重点に録画するように、と付け加える。
ついでに、今日のニュースあたりから日食の話題が出るだろうから、それも録画しておいてくれと
頼むと、「今、テレビは、政治の話題で持ちきりで、日食の話題など全く出ていない」という。今日
の午後、衆議院が解散したのである。政権交代の可能性もあると言う。
古来、日食は天変中の天変であった。皆既日食前日の国会解散、これぞまさに天変である。政変が
起こるかもしれない。国会議員の中にも、国会解散と日食とを関連づける声があったという。まさか、
本気で言っているわけではないだろうが、天変に対する人間の感じ方は、昔も今も、大差ないような
気がしてきた。
政治はこれからどうなるのだろう。平安のいにしえ、陰陽寮という役所にいた天文博士だけが、
天変の意味するところを知っていたという。それは、律令国家の機密事項なので、我々は知るよしも
ないが、今回の皆既日食を、彼らだったらどう判断したであろうか。
後日の選挙では民主党が圧勝し、自民党は結党以来初めて衆議院での第一党の座から転落。政権
交代が起こったのである。やはり日食は、最大クラスの天変であるということか?
そうこうするうちに、テント村前に車が手配されて来た。まだ明るいが夕食をいただきに、本日
3度目のコミセンへ出発するのである。
交流会
伊勢エビである。大きな伊勢エビが半身ずつ、各人の味噌汁にド〜ンと入っているのである!今宵
の夕食は、たいへんなごちそうだ。コミセンのテーブルのあちこちから、「おおっ!」という声が
上がる。
昼間訪れた大間海岸辺りで、伊勢エビが捕れると聞いてはいたが、これはまことに豪華絢爛、明日
の観測成功の前祝いである!
私の前に座っていた「カヌー漕ぎ3時間」氏が、伊勢エビの味噌汁と一緒に記念写真を撮ってくれ
と言いだした。あっちでもこっちでも、感動のフラッシュが光っていた。
豪勢な食事を終えて、再びテント村に戻る。
黄昏が迫ってきたころ、天文ガイドから派遣されたスタッフによる日食の解説が行われた。この人
は天文ガイド(誠文堂新光社)の社員ではなく、依頼されてやって来たのだそうだ。天文ガイド
編集部は、このビッグイベントで引っ張りだこ。超多忙なのだろう。
彼は、海辺に置かれたフェリー「としま」のコンテナの扉を開け、奥の壁面を臨時のスクリーンに
して、日食の原理などをパワーポイントで説明してくれた。
「月が大きすぎればコロナは見えにくい。小さすぎれば金環にしかならない。地球から見て、太陽
と月がほぼ同じ大きさであるという奇跡的な偶然が、皆既の感動を呼ぶのです。」という説明に、
なるほどとうなずいた。
終わって、スポンサーのJT主催で全員がゴミ拾いのボランティア活動。拾ったゴミと交換に、
この後行われる交流会の飲み物がもらえる仕組みである。JTのロゴが入った軍手とゴミ袋を渡され、
周辺のゴミを拾う。遠く波打ち際の磯まで行けば、漂着したゴミがたくさんあるが、ゴミを拾うよう
に指示されたテント村と海水浴場のあたりにはほとんどゴミはなく、結果、配られたゴミ袋が一番
大きなゴミとなってしまった。
だいぶ暗くなってきた。来島者と島の人々との交流会が始まる。どんな交流をするのだろう?車座
になって酒でも飲むのかな?などと想像していたが、さすがにこの人数でそれは無理だと主催者側も
考えたのだろう。プロの女性アナウンサーが司会進行をする、イベント形の交流会であった。
昼間、ツアースタッフから、「ここに望遠鏡を起きっぱなしにしてはいけない」と言われた理由が
ようやく分かった。明日の観測場所となる、海水浴場の砂浜へ下りる階段が、交流会では、臨時の
観覧席になるのである。野外円形劇場の趣だ。
対岸の平らな場所が特設ステージに早変わり。実はこの場所も、私が望遠鏡設置の候補地の一つに
考えていたところだった。とどのつまりどこに望遠鏡を置いても、交流会までには撤収しなければ
ならない運命であったわけだ。
飲み物と、島の名物トビウオのヒラキと、トビウオ味噌(トビウオの身をすり込んだ味噌。これは
うまかった!)を受け取って、我々は階段に思い思いの席を占める。地元の人も、島の学校に泊まっ
ている人も、みんな来ているのでけっこうな人出である。みんなキンチョウからもらった腕時計型の
電池式蚊取り線香(「おでかけカトリス」と言う)を手首につけていて、その赤いパイロットランプ
が闇の中でうごめいている。
島の主峰イマキラ岳のシルエットと、暮れ残る群青色の空を背景に、自治会長さんのご挨拶から
交流会がスタート。
「鹿児島から波路はるか360q、ようこそおいで下さいましたぁ〜!」
そんなに遠かったのか。遥けくも来しものかな、という感慨が沸いてくる。360qと言えば、広島
〜滋賀間に相当する距離である。
「初めてご来島の皆様は、宝島の第一印象はいかがでございましょうかぁ〜?」
大きな拍手が湧き起こる。ここは、すばらしいところです!
自治会長さんのお話によれば、この島は昭和30年代には600人もの人口があったのだそうだ。
しかしその後、高度経済成長の波にのまれ、過疎と高齢化に歯止めがきかず、今では105人になって
しまったのだという。
続いて老人会の皆さんによる島唄の披露。曲名は『トカラ観音』。三線(さんしん:蛇の皮を
張った三味線のこと)を持った方を真ん中に、70〜80才と思われる皆さん数人で歌ってくだ
さった。三線の腕はなかなかのもの。トカラ列島では、青年団の定年は69才だというから、老人会
と言っても、皆さんまだ青年団を終えたばかりの壮年(?)である。
続いて、島の子供たちによるスチールドラムの演奏。「キラキラ星」をかわいらしく演奏して
くれた。キラキラ星・・・明日の快晴が待望されるこの島に、今もっともふさわしい曲ではないか。
小さな子などは、背が届かず、台に乗って一生懸命たたいてくれている。来島者を歓迎するために、
一生懸命練習してくれたんだろう。ありがとう。
暗闇の中、正面から強い照明で照らされて、子供たちは、まぶしくて手元が見えずに困っている
ようだ。大人たちが急いで後ろに回って、懐中電灯で子供たちの手元を照らす。普段は夜の野外など
で演奏することはないから、想定外のことも起こるのである。やがて照明もうまく調整されたようで
あった。
続いて、中学生ぐらいの子も参加して、ビートルズのオブラ・ディ・オブラ・ダ。リズミカルな
演奏で、お見事。これも相当に練習を重ねてきてくれたものだろう。
スチールドラムは、ドラム缶をの上部を輪切りにして銀メッキを施したような物だ。小太鼓の
ような形をしていて、打面は金属製で凹面になっている。バチは木琴のバチとそっくりだ。打面を
たたくと、澄んだきれいな金属音が響く。最初私は、これはひとつの音程しか出せないものだと
思っていた。音程のちがうものをいくつも並べて、ハンドベルのように演奏すると思っていたので
ある。
しかし、それは間違いでだった。スチールドラムとは、打面のたたく位置によって、様々な音階が
出せるスグレものなのだ。一台だけでメロディを奏でることができるのである。だから、見かけは
小太鼓のようだが、演奏方法は木琴や鉄琴に近いらしい。宝島では、島おこしの一環としてこれを
取り入れているのだそうだ。今日の子供たちのように上手に演奏するには、相当な練習が必要だった
のではあるまいか。
交流会とは言いながら、島の人々に歓迎してもらうばかりで、我々来島者は烏合の衆、何もする
ことが出来ない。心苦しく、申し訳けない次第である。やがて、本日のメインゲストの登場である。
喜納昌吉さん、「ハイサイおじさん」などで有名な沖縄のフォークシンガーだ。(後で知ったが、
驚くなかれ。この人、フォークシンガーにして国会議員だそうな。)
喜納昌吉さんのご挨拶。
「明日の皆既日食を、皆さんと一緒に楽しみたいと思って参りました。1986年、沖縄で金環日食
があったとき、降水確率100パーセントと言われていたのに、金環になる直前にそこだけ雲が
切れてポコッと晴れて、きれいな金環日食を見た記憶があります。」
あの日食、私はテレビで金環になる瞬間を見た。その美しさは今でも印象に残っている。そうか、
あれは奇跡の晴れ間だったんだ、まことに縁起の良い話ではないか!良いゲストを呼んでくれた、と、
明日の皆既日食への期待は益々膨らんでゆく。
喜納さんは三線(蛇皮線)を弾きながら、有名な「ハイサイおじさん」や「花」を歌ってくれた。
バックにはキーボードが一人だけ。たった二人なのに、サウンドにとても厚みがある。さすがプロ!
数曲だけの短いコンサートだったが、堪能させていただいた。
「あしたの皆既日食が、晴れますように!そしてみんなの心が一つになれますように!」
高らかにメッセージを残して、喜納さんはいったんステージを下りた。
ちょうどそのとき、撮影していたビデオのテープが終わってしまった。このあと、アンコールが
あるようだが、どうしよう、テープを取りにテントまで帰るべきか?でも、テントまではけっこう
距離があるから、往復していたらアンコールが終わってしまうかも・・・。
反省と教訓:テープやフィルム、記録メディアは、予備を含めて、余裕を持って用意しておきま
しょう。
これは、明日の日食で、こういうミスが無いようにとの天の啓示であろう。ここまで来て、また
ひとつ、貴重な教訓を得る事が出来たのであった。ありがたや、ありがたや。天も我らに味方して
いるぞ!
アンコールが始まると、にわかに雨が落ちてきた。大降りではないが、大粒の雨が強い風に乗って
飛んでくる。喜納さんの演奏している三線はヘビの皮を張ってあるから、濡れたら大変だろうな、
と思って見ていると、喜納さんもなんだか焦っているみたいだ。無意識のうちに曲のテンポが早く
なって行くようにも感じられる。(これは、あくまで私個人の感想です。)歌い終えてすぐ、
喜納さんは皮が濡れないように三線を伏せて置き、最後のご挨拶。これで交流会は終わりとなった。
「雨か、マズイな」と思ったが、今はまだカサがいるかいらないかという微妙な降り方である。
私の横に、昨日奄美大島のカヌーで、「3時間は漕がないと」と言って私を震え上がらせた例の
若人が座っていた。なにかとよく一緒になるので、段々親近感も湧いてきている。人々は三々五々
テントへ戻っていくが、夜の海を眺めながら、彼としばし語らうことにした。
彼は、瀬戸内海のI島の出身だという。私の知人にも、その島の出身者がいるので、いっそう
親近感が湧いて来る。船に乗って航海した経験があり、六分儀なんぞを使えるという。さすが、
かつて造船で栄えたI島の出身だ。船に関わる仕事をしておいでかと聞くと、さにあらず、
ヨーロッパの某国でお医者様をしているという。当然、その国で医師免許を取得して、その国の
言葉で診療をしているのであろう。すごいことだと恐れ入る。今回は帰省を兼ねて日食を見に来た
のだそうだ。そのヨーロッパ某国と比べて、日本の医師は多忙で大変だろうと言う。日本の勤務医の
激務ぶりは、私もよく耳にする所である。私の職業を話すと、「あなたの職業関係者には、趣味に
多くの時間を割く人もけっこういるそうじゃないですか。いいですね。」と言う。ほめられたのか、
けなされたのか、分からない。苦笑い。
時が経ち、周りに人もいなくなった。そろそろ我々も撤収しよう。いつしか、雨は飛んでこなく
なっていた。たのむ、雨よこのまま上がってくれ。明日は、明日だけはしっかり晴れてくれ!
今が一番大事な時!
テントに帰ると、相部屋(相テント?)のTさんは先にお戻りだった。私が、望遠鏡に大きな
ビニール袋をかけてテントの脇に置いてあったのを指して「さすがですね。」という。私の雨よけ
テクニックは、年季が入ってるんですよ。
上空を見上げると、雲が少し切れてきたようにも思えるが、「今日は朝から盛りだくさんで疲れた」、
「だれも、この時間に望遠鏡のセッティングなんかしていないよ」、「どうせ北極星は見えないさ」、
「もう休もう」、そんな気分が膨らんでくる。
そのとき、あのセリフが脳裏に浮かんできたのである。
「古代君、私たちは何のためにここまで来たの?今が一番大事な時じゃない!」
ガミラスで絶体絶命に陥り、希望を失いかけた古代守を励ました森雪のセリフ、宇宙戦艦ヤマトの
セリフである。
そうだ、オレは皆既日食を写しにここまで来たのだ。今が極軸あわせの一番大切な時なのだ!
(宇宙戦艦ヤマトを見ていて本当に良かった!?)
森雪の言葉に励まされ、私は重たい望遠鏡を持ち上げて、海岸の観測場所へ向かった。わずかだが、
雲が切れ始めているよう見える。北極星が見えるかも知れない!その可能性にかけるのだ。
テント村を出るところで、「どちらへ?」とツアースタッフから声をかけられた。これから観測
場所へ、望遠鏡を据え付けに行くのだというと、「それでは、自己責任で・・・」と言う。そうか、
ここは恐ろしいトカラハブの出没地帯だった。だが、トカラハブなにするものぞ!今が一番大事な
時なのだ。夜が明けたら、正確な極軸合わせは出来なくなるのだ!
ハブよけネットに守られたテント村を出て、先ほど交流会で観覧席となっていた、砂浜へ下りる
階段の一番上に望遠鏡を持って行く。海は一面真っ黒で、その上の空も真っ黒だ。しかし、雲の
切れ目から、星が見え始めたではないか!北の空を睨んで待つ。と、あれは、北極星ではあるまいか?
雲でカシオペアも北斗もよく分からないが、真北の雲間に2等級の星。ここは波路はるかな南の島、
北緯は29度09分だ。高度は低いが、あれこそ北極星に違いない。
かくして極軸望遠鏡の所定の位置に、北極星をピタリと収める事が出来た。これで極軸あわせは
完璧である。
「北極星、EM−200の軸線に乗りました!」
他には誰も、極軸セッティングに来ていない。明日の皆既では、私の赤道儀だけが正確なガイド
撮影をすることが出来るのである。
三脚の先端の地面(ここはコンクリートで出来ていた)に、ビニールテープでマーキングをする。
これで、万が一望遠鏡が動いてしまっても、位置を復元できるという寸法だ。更に、ここを通る人が
誤ってぶつからないように、三脚に懐中電灯を点灯したままぶら下げておくことにした。LED
だから、一晩つけて置いても大丈夫。電池は数十時間持つから、明日皆既で暗くなった時にも、
まだ余裕で使える計算だ。
陸から海に向かって強い風が吹いている。「夜は陸風」と理科で習ったのを思い出す。明日の朝
までは風向きは変わらないだろう。よって海水がしぶきとなって望遠鏡を濡らす心配はない。赤道儀
に雨よけのビニール袋をかぶせて、できあがり。
先刻の風雨で、一時はどうなることかと思ったが、今や雲の切れ間から星も顔を出しているし、
無事に極軸あわせをすることも出来た。オレはツイている!明朝は天気が回復し、今朝のように青空
が広がることだろう。さあ、テントに帰って、鋭気を養おう。
眠れない夜
しかし、テントの中は、昨夜同様の蒸し風呂状態であった。両サイドの出入り口を全開にしても、
全く涼しくならない。交流会で一緒になった、例の「カヌー3時間」氏は、、昨夜は風が通って、
とても快適に眠れたという。彼のテントは、相方がいなくて、一人だったので、ベッドをテントの
真ん中に置いたのだそうだ。ここのテントは、どれもみんな出入り口が同じ向きに設置されている。
ということは、テントの真ん中は風が通るのだろうか?そっとテントの真ん中に手を伸ばしてみるが、
風が通っている様子はまったく感じられない。
外ではゴーゴーと、昨夜以上の強風が吹き荒れている。それなのに、両サイドを全開にしたテント
に、風はまったく入ってこないのである。まことにもって不思議なことである。
眠れないのでラジオをつけてみる。明日の天気予報も聞いておきたい。しかし、夕べと同じで
ラジオはピーヒャラ・ガーガー。世界中の電波がこんがらがって、ついぞ日本語の放送を拾うことは
出来なかった。
ラジオは諦めて、皆既日食撮影用に録音してきた音声ガイドを聞く。明日の予習だ。しかし、暑く
て不快で、ちっとも耳を傾ける気になれない。
眠れない・・・。悶々としていると、誰か、テントの外から強く押して来るやつがいる。手で
押しているのか、あるいは体ごとテントに寄りかかってきたのか・・・。テントの布壁が相当な力で、
寝ている私の体にグーッと押しつけられて来た。
「だれだ!ふざけやがって!そんなに押したら、テントが壊れるじゃないか!」酔っ払いか?
それともいたずらか?と腹を立て、テントの壁を押し返す。結構圧力を感じはするが、しかし、
テントの外にいるはずの、人間の感触はまったくないのである。
「おかしいな」と思っていると、また、外から相当な力で、テントの壁ごしに私の体を押してくる。
厚い布越しに、指圧でもされているような感覚だ。
何なんだ、これは!?
犯人は風であった。あまりの強風でテントが内側に大きくたわんで、壁際で寝ている私の体を圧迫
して来るのである。かつて、台風のさ中にテント生活をしたこともあるが、こんなことは経験しなか
った。本当に、外から誰かがのしかかっているような感触である。
空のテントだったら、吹き飛ばされてしまうだろう。いや、こんな力で押されては、中に人が
いたって分かったものじゃない。恐ろしいほどの風圧だ。北極圏で、テントが飛ばされて遭難しかけ
たという写真家の話を思い出した。
暑さと強風で眠れない。冷却スプレーを体にかけたり、寝返りを打ったりしてみるが、眠れない
時間だけが過ぎていく。気分を変えようとトイレに行く。と、トイレのテントが見つからない。
どうしたんだろう。場所を間違えたのかな・・・。翌朝、明るくなって見てみたら、例の、ウ○コを
ラッピング処理出来る便器だけがむき出しでそこに残っていた。トイレ用のテントは、強風で吹っ飛
ばされて、どこかに行ってしまったらしい。だから見つからなかったんだ。その晩は、それほど強い
風が吹いていたのであった。
トイレが見つからないので、海岸にある無人レストハウスのトイレまで行くことにする。ハブよけ
ネットから出るのは、自己責任だが、この際仕方ない。闇の中を海沿いに200メートルほど行った
ところだ。行ってみるとそれは、公衆トイレとしては普通の、「水洗」トイレであった。今回、
トカラの水不足が声高に言われているが、ここ宝島は、かつては人口600人の時代もあった島だ。
もしかしたら、水不足は他の島のことで、この島には水は潤沢にあるのではなかろうか。水洗トイレ
を見て、そんなことを考える。
トイレからの戻りがてら、セッテイングしたまま海辺の階段に置いてあるEM−200を確認する。
三脚につるした懐中電灯の明かりは強風に揺れているが、我が主砲・EM−200はビクともしない
頼もしさ、先ほど合わせた極軸は微動だにしていないはずだ。EM−200は、泰然と、明日の出番
を待っていた。
テント村に戻ると、地面に転がって寝ている人がいた。
「さすが、ここまで来る人には、熱心な天文ファンがいるものだ。こんな雲の多い空でも星を見上げ
ていたのか。そのうちに疲れて寝てしまったんだな・・・」とその熱意に敬意を払う。しかしその
人は、なんと、ツアースタッフであった。昨日来、来島者たちの複雑なスケジュールを切り盛りを
し続けて、疲れ果ててしまったらしい。旅行会社の添乗員は体力が勝負だと聞いているが、その
スタッフにしてここでの仕事は「超」激務なのであろう。
テントに戻る。再び暑さと強風に苛まれ、眠れない夜が更けてゆく。
決戦の時はもう、すぐそこに迫っている。
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