2009722 トカラ列島 宝島
- 皆既前日 午後-
島内巡り
TBSのスタッフは、かなり前から島に入っているそうで、民宿に泊まっているのだそうだ。島のお天気に
ついての経験則を見いだしたようで、「毎日午後になると風が出て、あの辺に雲が発生して、日が陰る。」
などと不吉な事を言う。
嫌な予感もしないではないが、皆既は午前中だ、大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせる。現に、今日の午前
中はすばらしい天気だったし、今もすばらしい天気ではないか。
海に目をやると、巡視船が島の周りを巡っている。明日の日食に備えての警備だろうか?この海域に出る
観測船の安全のため?あるいはツアー客以外を島に入れないため?
白くてスマートな船体が紺碧の海によく映えるが、よく見ると、大砲らしき物が付いていて、ねずみ色に
塗装を変えたら駆逐艦みたいになるのではなかろうか?なんて、ミリオタだなあ・・・。
午後からは、島内一周のオプショナルツアーである。車で数時間、島内をほぼくまなく回ってくれ、解説の
ガイドさんも付いてお値段1000円ナリというお得なツアーである。満員御礼で申し込めなかった人もいる
みたいだが、幸い私は権利を得る事ができた。何台かの車に分乗して出発だ。
荒木崎灯台
まずは島の南端の荒木崎灯台に連れて行ってもらう。灯台のある丘の麓で車を降り、長い石段を登ってゆく。
石段の両側には木々や雑草がビッシリと生い茂っているが、ガイドの方(十島村の教育委員会の方らしい。
ご年配の男性。)によると、冬が近くなると、この木々の枝にはトカラハブがたくさん巻き付いて、小鳥を
狙っているという。エサをたくさん食べて、冬に備えるのだという。
トカラハブの毒は、致命的ではないが、噛まれると大変な痛みで、40日くらいは寝ていなくてはいけない
そうだ。そんな物騒なヤツが、両側の木に鈴なりになっている様を想像するだに恐ろしい。今は夏で、木の枝
には一匹もいないようだが、藪の中には、この危険きわまりないヘビが、相当な数潜んでいるに違いない。
灯台の少し下に、石碑が立っている。碑には「平家の落人が、追っ手の舟が来ないか、この荒木崎に
登って見張っていた」と書かれている。平家の落人伝説は、多くの場合、あくまでも「伝説」なのだろが、
この島では相当にリアリティーを持っている。そういえば、今朝、コミセン近くの墓地の脇を歩いたが、
ほとんどの墓石に「平」と書かれていたと、誰かが言っていた。ここは、本当に平家の末裔の島なのでは
あるまいか!?
石段を登り切ると白亜の灯台に出た
「東西南北、どの方角から舟が来ても見えます」とガイドさん。なるほど、と頷ける見晴らしのよさ。周囲は
見はるかす限り紺碧の海で、東西南北すべてが見える。ここは、海の真ん中に浮かぶ島だと実感する。
大海原に唯一見えているのは、お隣の小宝島である。
この辺りの海を夜に航行する時、頼りになるのはこの巨大な灯台だけである。昨夜、洋上のフェリー
「としま」から見えた唯一の光は、きっとこの荒木崎の灯台だったに違いない。
灯台から先は断崖で、はるか眼下の岩に、波が白く砕けている。
反対方向、北側に伸びる稜線の先には、宝島の主峰イマキラ岳。山頂の標高はここより高いはずだが、
なんだかここと同じ位の高さに見える。イマキラ岳へと続く山容は、深い緑に覆われている。荒木崎から
イマキラ岳へと続くこの山が、島の体積のほとんどを占めていると言っても過言ではない。
山の西側斜面を下りきったところで森が無くなり、その先は海まで、平坦で黒々とした岩場が広がっている。
テント村の周辺もおそらく同じような地質だと思うが、これが島の周りに発達した、隆起サンゴの地形なの
だろう。大間海岸と呼ばれる一帯らしい。海端や海中に、大きな岩が鎮座しているのが見える。地図によれば、
海中のは、舞立(むうたち)と言う岩だと思われる。(地図より、ちょっと小さい感じだけど、合っている
かなあ?)
灯台の周辺は一面、緑豊かに灌木が生い茂り、そこかしこに白くて大きな、丸みを帯びた岩が見えている。
この風景、どこかで見たような・・・そうだ、秋吉台だ。白くて丸い岩が、草原に放牧された羊の群れのように
見えるというカルスト台地と同じ風景だ。カルスト台地は石灰岩と水が作り出す風景だというが、宝島は隆起サンゴ、
すなわち石灰岩で出来た島だから、秋吉台と同じような光景が現出するのであろう。そういえば、この島には鍾乳洞も
あるという。ここもカルスト地形に違いない。
灯台の見学を終えて車に戻る。車はすすきのような背の高い草が生い茂る草原の中を行く。途中に柵が
あって、ゲートが行く手をふさいでいる。どうやらこの辺り一帯は、放牧地になっているらしくて、牛の
逃亡防止用のゲートである。ゲートを開けて、また閉めて、車を先へと進める。
島内一周ツアーに参加出来なかった人たちが、道を歩いている。「炎天下、ご苦労な事で」と、ちょっと
申し訳ないような、また、優越感のような、複雑な思いがよぎるが、宝島は周囲12qほど。その気になれば
歩いたって数時間で一周出来るほどの小さな島なのだ。おっと!上半身裸になって、引き締まった体を強烈な
日光に晒しながら歩いているのは、奄美で「カヌーなら3時間くらいは漕がないと!」と言って私を震え上が
らせたあの若者だ。さすが、体には自信があるのだろう。
イマキラ岳
我々が次に連れて行ってもらったのは、島の主峰イマキラ岳である。車はうねうねとした道を登り、山頂の
すこし下に駐車した。ここに大きな、新旧の電波塔があって、道はその工事用につけられたものなのだろう。
そこから歩いて山頂へ登る。山頂には、子供の遊具のような、トカラ馬の形をした展望台がある。ここに
上がれば、周囲360度、何も遮る物がない大パノラマだ。
南には、先ほどの荒木崎灯台が、遥か下に見えている。荒木崎から見た時は、山頂までそんなに標高差は
無いように思えたが、ここに来ると、その標高差は明らかだ。イマキラ岳の方がずっと高いことが、
よく分かる。
北方はるか、眼下に見えるのは、おお!あれは、我らがテント村だ!テント村や海水浴場が手に取るように一望
出来る。西には先ほども見えた大間海岸。灯台のあった荒木崎の両側の海岸線も、大間海岸とよく似た
サンゴの地形である。
北東に浮かぶ小宝島の、その先の水平線上に、ぼんやり霞んで見えるのは・・・悪石島ではあるまいか!
明日、21世紀最長の、6分30秒もの皆既日食を見られる、あの悪石島だ!案内の方の話では、天気が良ければ、
ここからは、さらにその向こうの諏訪瀬島まで見えるそうだ。
昔、黒潮に乗ってフィリピンから日本まで漂流する実験をした人の本を読んだ事がある。そこには
「フィリピンから日本までは、必ず島影を見ながら航海が出来る」と書かれていた。黒潮に平行する弧状列島
の島々が点々と続いているのだ。宝島から小宝島・悪石島を遠望していると、その記述は本当なのだと実感
する。
明日の皆既日食を、ここから見る事ができたら、さぞやすばらしいであろうにと思いつつ山を下る。周囲の
草や木がさやさやと音を立てて揺れている。次第に風が強くなってきたようだ。
「家の中にハブが入ってくるとネズミが騒ぐのですぐに分かります。ハブはネズミを狙って家に入ってくる
んです。もし、噛まれると傷が痛んで、何も出来ません。そうそう死ぬような事はないと思いますが、何十日
も寝て過ごして、回復を待つしか他に方法がありません。」運転手さんが、そんな話をしてくれる。誰かが、
「噛まれた事あるんですか?」と聞くと、「ある」という返事!
そんな話を聞きながらも、エアコンが良く効いた車に揺られていると、快適で眠くなってくる。昨夜、
テントで暑くてあまり寝られなかったし、ここまでの旅の疲れも出て来ているのであろう。せっかくの
島内一周だ、この秘境の風景を見逃すな!と自分に言い聞かせるのだが、どうしてもまぶたが閉じてしまう。
「島バナナの木ですよ!」と言われて目を覚ますが、どれがバナナなのかも分からないうちに、また寝てしま
う。
トカラ観音と鍾乳洞
車が止まってようやく意識を取り戻す。これから鍾乳洞の見学だという。ジャングルの中の道を登る。
ゲリラ兵にでもなったような気分だ。やがて鳥居があって、さらに奥へ進むとお堂が現れた。ここにトカラ
最古の観音像が安置されているというので、まずはお参りに入る。観音様は二体。一体はきれいで立派な
観音像であるが、もう一体は・・・。拝見して、正直、ギョッとした。不気味なのである。こんな不気味な
仏像は、今までに見た事がない。いや、これが本当に観音様なのだろうか?
罰当たりを恐れずに、あえて思った事を書かせていただくが、昔、飛騨高山の朝市の露天で見た、猿のミイラ
(漢方薬だそうな)の顔とそっくりなのである。そうでなければ、「どくろ」と言ったら良いだろうか・・・。隣のきれいな
観音様よりかなり小さくて、焦げ茶色の木で出来ている。よほど古いせいか、木の表面はざらざらに荒れている。
そのお顔は、目の部分がくぼんで、歯をむき出しているようで・・・。かなり破損も進んでいるのだろが、それに
してもこの不気味さは・・・。これが、トカラ最古とされる観音像に対する、私の感想であった。
仏様であるから、写真に撮らせてもらって良いものやら悪いものやら判断が付きかねるうえに、この雰囲気
に圧倒されて、ついぞカメラを向ける事ができなかった。後になって、島を旅した人のブログに、このトカラ
観音の写真を発見した。
それを見ながら、冷静に考えると、どうやらこの観音像は、玉眼(目の部分をくり抜いて、後ろから
透明な水晶をはめ込んで目を表現する技法)が施されていて、元来は高級な作りの像であったらしいが、
その水晶が無くなって、目の部分に穴があいてしまって、さらに傷みが進んだ結果、今のようなお姿になって
しまわれたらしい。古さ故のお姿であったわけで、私のような感想を抱く事は罰当たりであったと分かったが、
しかし、衝撃的なお姿であった。これほど傷んでも、今日までこの観音様を大切に守ってきた島の人々の
信仰心の深さを改めて思う次第である。
お堂を出て、左手に細い道を登る。横の岩には上からビッシリと木の根が伸びていて、まるで天空の城
ラピュタだ。
突き当たりが鍾乳洞であった。鍾乳洞の口は横に大きく広がって、その中に奥へつながる口がいくつも
開いている。だが、無数の鍾乳石と石筍が上から下から伸びていて、針の山というか、キバだらけの怪獣の
口というか、忍者屋敷の槍がたくさん仕込まれた吊り天井というか、そんな感じで、中を簡単には歩けそうに
ない。海賊キッドが宝を隠すには最適な場所だ。もっともこれではキッドたちにとっても、宝を持ってこの
洞窟の中へ入るのは至難の業だろう。
鍾乳石は白い物という先入観があったが、ここのは焦げ茶や黒だ。洞窟の奥は分からないが、入り口は
空気に触れたりホコリがついたりでこんな色になってしまうのだろう。ともあれ、荒木崎のカルスト地形と
言い、この鍾乳洞と言い、まさにここは石灰岩(サンゴ)の島なのだと実感する。
鍾乳洞の入り口付近には祠や石仏がたくさん置かれ、島の人々の祈りの場になっている。一番手前の、
あまり鍾乳石や石筍のない大きな横穴の中には、小石がたくさん入っていた。案内の方にの説明によると、
この穴に願い事を書いた小さな石を投げ入れて願掛けをするのだそうだ。これらの小石一つ一つに、人々の
願いが込められているのであろう。
案内の方が、「今日はいるかな?」と、その横穴をのぞき込み、こともなげに「ああ、いた、いた。」と
おっしゃった。なにがいたかと言えば、黒くて太いトカラハブである。我々は一瞬ビビッて後ずさりして、
それから怖い物見たさに穴の中をのぞき込む。ハブは悠々と横穴へ入って行くところであった。キッドの宝の
番人といったところであろうか。そんな、物騒な穴の前で、案内の方は後ろも気にせずに平然と説明を続けて
いる。ウ〜ム、この度胸!恐れ入りやした。
大間海岸
車に戻って、エアコンの快適さに再び意識を失い、ついたところは海岸であった。おそらく、ここは先ほど
荒木崎の灯台から見えた島の西側、大間海岸であろう。桜島の溶岩の海岸にも似た、焦げ茶色の殺風景な海岸
である。木や草はほとんど生えていない。桜島は巨大な波のように溶岩がうねっていたが、こちらの海岸は
どこまでも平坦である。(巨視的に見て平坦ということ。マクロで見れば足下は凹凸だらけで、歩きにくいけれ
ど。)ここの地質は、溶岩ではなく、隆起したサンゴなのだろう。何カ所かは高さ数メートルはあろうかという
大きな岩も突き出ている。荒涼と広がる平面を見て、私は月や火星の表面を連想してしまった。
所々に緑の海草や漂着物があるのが、この殺風景な焦げ茶色の世界のアクセントといえばアクセントだ。
少し沖には、三角形の大きな岩(島というべきか)がある。これまた荒木崎から見た岩だろう。周囲に波が
打ち付けている。舞立(むうたち)だろうか。小山のような岩の上には松の木が何本か生えていて、なかなか
風流な眺めである。
この海岸には一カ所だけ、差し渡し数メートルほどの小さな入り江があって、その横にセメントで固めた
船着き場。ボートほどの小舟が一艘、陸に揚げられていた。フェリー「としま」が、波風が激しくて前籠漁港
に着岸出来ない時は、こちらの沖に停泊して、小舟で人や荷物を上陸させるのだという。あの大きな「としま」
が着岸出来ないような荒れた海を、こんな小舟で行き来するなんて信じられない。天気が穏やかな今日でさえ、
岸には激しく波が打ち寄せていて、この小舟で沖へ出られるとは、とても思えない。
ただ、入り江の中は別世界だ。ここはいわば珊瑚礁の中で、波は全くない。鏡のような海面に、文字通り
「水色」に透き通った水。その中を魚が泳ぎ、岩のゴツゴツした海底まで、揺らぎも無く見通す事が出来る。
透明度も、シーイングも、最高の入り江である。ここまで入ってしまえば、小さな舟でも、なんの心配も
いらないのだが・・・。
海岸にはアダンや椰子の実も流れ着いていた。後で知ったが、奄美でカヌーをご一緒したHさんは、この
椰子の実を記念に持ち帰って、お宅に飾っておられるそうである。
日もいささか西に傾いてきた。そろそろキャンプ村へ帰る時間のようだ。再び車に揺られて草原の中を行く。
放牧の牛が幾頭か、草をはんでいた。「この島ではついぞ水田を見かけなかったなあ。」と誰かがつぶやく。
確かにそのとおりだ。灯台や山頂からも、車窓からも、田や畑は見えなかった。島全体がサンゴの化石の固い
岩で出来ているのだから、土もあまりなくて、耕作には不向きなのでであろうか。この島では、米や野菜は
どうしているのだろう。全部本土から運んでくるのだろうか?フェリーのある現代ならまだしも、大昔は
どうしていたのだろう?
しかもである。米を買うにはゼニがいる。島ではどうやってその金を得るのだろうか。魚はとれるだろうが、
それを新鮮なうちに消費地に運ぶ手段はないだろう。干物限定か?現金収入がなければ、米を買えないでは
ないか!この絶海の孤島で生計を立てていくには、どうしたらいいのだろうか?さっき見た放牧の牛は、
貴重な収入源なのだろう。
そんな事を思っているうちに、またしても爆睡に陥って、気がつくとそこは夕方のテント村だった。
出発前にTBSのスタッフが言っていたように、風が強くなって、雲が発生している。嫌な感じだが、いや、
でも、明日は大丈夫だ!きっと・・・。
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