2009722 トカラ列島 宝島
- 皆既前日 リハーサル-
決戦24時間前
いよいよ明日の皆既日食まで、あと24時間あまりとなった。今こそ、同じ時間帯の太陽を使ってリハーサル
できる最高にして最後のチャンスである。
また、本日は日程的にも、望遠鏡を組み上げてのリハーサルは、今しか時間が取れないのである。そもそも
今日はハードスケジュールで、11時半:入浴、12時:昼食 14時半〜17時:島内巡りのオプショナルツアー、
さらに夕食後は島の皆さんとの交流会、ということで11時過ぎからは空いた時間がほとんどない。朝食後から
入浴までの時間だけが日食観測のリハーサルにあてられそうな、自由な時間なのであった。幸い、それは明日の
皆既の時間帯と重なっているから、太陽の方位・高度なども本番同様にシミュレーションが出来るはずである。
観測場所として指定されたのは、海水浴場に臨む階段の最上部の、幅1.5メートルほどの舗装された道である。
海岸線に沿って弧状にカーブしながら100メートル以上はあるだろうか。観測用のスペースを公平に分けるため、
工事用の赤いコーンが一定の間隔で置かれているが、場所の指定はしないとのこと。どの場所を取るか、早い者
勝ちである。
海岸線とは別の、キャンプ場に近い所にも、平らで良さそうな場所があった。ここなら指定の観測場所から
離れているので、誰に遠慮する事もなく皆既中にストロボを焚いて記念写真が撮れそうなのだが、そこは観測場所
ではないとのこと。わがままを言うわけにもいかない。おとなしく指定場所を使う事にする。指定された場所では、
テント村から一番遠い、舗装路の先端あたりが、外海に近くて景色も良さそうだ。
行ってみると、すでに望遠鏡を組み立てたりして、準備に余念のない人が何人もいる。観測場所の一番先端部を
確保しているのは、島に入ってからもブログをまめに更新しているハンドネームpokoさんだ。(お名前や、ブログ
の存在を知ったのは旅を終えてからの事。)タカハシの赤道儀に望遠鏡を乗せて、その背中とウエイト軸の先端と
にカメラやビデオを装着している。かなりの猛者とお見受けする。
pokoさんは、赤道儀の架台部分に、方位磁石を取り付けるための台座を自作されていて、ここに「パチン」と
方位磁石がはまるようになっている。私の経験では、赤道儀の近くでは、鉄の部品やモーターの磁力の影響をもろ
に受けて、方位磁石は役に立たなくなるはずだが、そのことをpokoさんに聞いてみると、「このシステムで赤道儀
をセッティングして、うまくいかなかった事はこれまでにありません。」とのお答え。方位磁石を使った極軸の
セッティングについては、今後さらに研究の余地があるようである。
昨夜、島に上陸した時、同じ麦わら帽をかぶっていて知り合いになった皆既日食観測十回目氏も、観測場所
の下見に来ていた。彼は、「第2接触のダイヤモンドリングは見ないほうが良いです。」と、信じられないような
事を言う。私は、このダイヤモンドリングをば、しっかりと眺めるつもりでいるし、それが当然の事だとずっと
思ってきた。日食のガイドブックなどでも、「第2接触を見るな」という解説は見たことがない。
皆既日食観測十回目氏の言葉。
「第2接触のダイヤモンドを見ているとまぶしくて、瞳孔が収縮してしまいます。皆既になっても、瞳孔はすぐには
広がりませんから、暗いコロナを見るのにたいへん不利です。皆既になるまで、じっと下を向いて、目を閉じて、
見たいのを我慢していましょう。ダイヤモンドは第3接触でも見られます。こっちの方がドラマチックですから。」
なるほど、さすが経験豊富な大ベテラン。言う事が違う!しかし私の撮影は、すでに録音されているスケジュー
ルを聞きながら、その指示で行う手はずになっていて、これは今さら変えようがない。なにより、初めて体験する
皆既日食の最初のダイヤモンドリングの誘惑は強烈である。やっぱり見てみたい・・・どうしよう・・・。
「ええい、ままよ!」だ。我が瞳孔、明日は根性で開いてみせようぞ!(みせられるかな・・・。)
さらに、皆既日食観測十回目氏は、「シャドーバンドを見るなら、この辺りの白い砂の地面が良いですよ」と
勧めてくれた。シャドーバンドとは、皆既日食の前後に、地表を光(影?)がさざ波のように動く現象だそうで、
その正体はまだ十分には解明されていないという。さすがは大ベテラン、これまた目の付け所が違う。昨夜TBS
にインタビューされた時、「何が見たいか」と聞かれて「ダイヤモンドリングとコロナ」などと月並みな事を
答えてしまったが、その時「シャドーバンドです!」と言い放ってみせたならば、私の株は大いに上がっていた
事であろう・・・。
シャドーバンドの観測適地でもあるし、テント村から遠い分人の行き来も少なくて、機材を足で引っかけ
られたりする可能性も低いだろうから、どうも観測場所としては、テント村から遠く離れたこのあたりが良いの
ではないかと思えてくる。望遠鏡を出している人も、ほとんどがこの辺に集中していて、テント村の近くには
あまりいないようだ。
が・・・しかし、である。この近くには、TBSの中継車が駐まっていた。これはいかがなものであろうか。
中継車を基地として取材が行われるとしたら・・・。できれば、それは避けたいのである。私の機材は重いうえに
何箱もあるから、遠くまで運ぶのも大変だという理屈もオマケとしてくっつけて、弱気な私はTBSの取材基地
から離れた場所、すなわち、テント村の近くに望遠鏡を設置する事にした。大ベテランのお薦めよりも、
取材される煩わしさと恥ずかしさの方が勝ってしまったのであった。
機材を取りに、テント村へ戻る。その道すがら、様々な望遠鏡が並んでいる様は壮観である。皆さん良い
望遠鏡をお持ちだが、「ウン?」と私の頭の中に疑問が湧いてきた。どれもこれも、みな小型なのである。
いつぞや、まだ交通規制になる前の夏の北アルプスの乗鞍に行ったときのことである。当時、天体写真のメッカ
だった乗鞍の駐車場は、天文ファンの車に占拠され、口径2〜30pクラスの望遠鏡がずらりと並んでいたもので
あった。宅急便が使えるんだから、こうした大型望遠鏡をこの宝島に持ち込むマニアックなファンも多かろうと
思っていたのだが、皆さん、小型の赤道儀なのである。皆既日食は、海外へ、小型赤道儀を持って出かけるという
固定観念を、皆さん崩せなかったのであろうか?あるいは、太陽に大口径は不要だ!というお考えなのだろうか?
いや、人の事はどうでも良い。私は、手で持ち運びできるようなモータードライブ付きの小型赤道儀を所有して
いないがゆえに、唯一持っているモードラの付いた赤道儀、EM-200という重たいヤツを宅急便でこの島へ送り
込んだのであるが、このEM-200、どうやらこの観測場所で最大級の赤道儀となってしまっているらしい。いや、
それは別にいいんだけれど・・・、TBSがこの大きい赤道儀に目を付けなければいいんだけれど・・・。
荷物を取りに、テントに戻る。
EM-200本体の入った段ボール、三脚類の入った箱、さらに機材類の入ったRVボックスが2つ、計四つの
大きな荷物を運ばなければならない。かさばる上にかなりの重量である。かくて!諸君!この日のために!心血を
注いで作り上げた「二輪台車・2号機」の威力を見せつける時が!ついに!来たのである!(「準備編 運行班」
を参照)
TBSの中継車などがある、テント村から遠い方で観測するなら、この運搬システムは必須であるが、私が観測
場所に選んだ地点はテント村からさして遠くない場所。荷物を手で持ち運ぶことも、実は出来ないわけではないが、
せっかく作った物だ。ここはぜひとも使うべし!一番大きいRVボックスを「二輪台車・2号機」に装着する。
日差しも次第に強くなってきた。体力温存のため、これまた計画どおり、ムギワラ帽の後ろにタオルを、洗濯
バサミでとめて日よけとし(「準備編 生活班」を参照)、完全防備で「二輪台車・2号機」の運行を開始する。
この辺りの地面は、隆起サンゴでできていて、遠目には平らだが、実は小さな凹凸の連続である。「二輪台車・
2号機」はゴトゴトと音を立てながら、快調にその凹凸を乗り越えてゆく。すばらしい!ご満悦で台車を引いて
いると、
「あ、これは!自作ですねぇ〜?」
とマイクが伸びてきた。本日も、TBSの奇襲攻撃である。不意打ちを食らって冷静さを失い、へどもどと訳の分からぬ
返事をしていると、
「あ〜、これも、工夫されてますねぇ。」
と、今度はタオルを付けたムギワラ帽が攻撃の的となる。まずい!完全に目立っている。しかも、こんなハズカシイ
格好が!
旅の計画の段階で、マスコミの目にとまることまでは計算していなかった。しまったと思ったが、もはや後の
祭りだ。もっと目立つヤツは、この島にはいないのか!?
取材陣はようやく次の獲物を求めて、向こうへ移動した。この隙に、準備もリハーサルも、全てを終わらせたい
のだが、とにかくこれ以上の目立つ行為は禁物だ。ということで、取材攻撃を避けたい一心で、残りの荷物の運搬
は「二輪台車・2号機」の使用を断念し、手で運ぶ事にする。幸い、フェリーで知り合ったNさんたちが
手伝ってくださり、おかげで荷物を運び終える事が出来た。
機材を組み立てる。皆既24時間前の太陽の下に、いよいよD=5pf=700oの主砲を搭載したEM-200赤道儀が、
その勇姿を現した。青い空と青い海、隆起サンゴの入り江を背景にして、我ながらほれぼれするような眺めである。
太陽を追尾しながらの撮影リハーサルをするためには、極軸をセッティングしなければならない。もちろん昼間、
北極星を使う事は出来ないので、まずは極方向になにか目印になる物を捜す。北は入り江で、その向こうは海で
ある。遠方には水平線があるばかりで、北極方向の目印になるような物は何もない。南は陸地だが、数十メートル
先に雑草が風に揺れているくらいで、その先には空しか見えない。極方向の目印になるような物は、北にも南にも
なかったのである。これは、想定外の事態であったが、考えて見れば、狭い島ではそれも十分にありえることでは
ないか。「机上空論」という四字熟語を思い起こす。
それでもなにか目印はないかと捜すと、入り江の先っちょの方に、さび付いた細長いタンクのような漂流物
(まさか魚雷では?とういう形をしていた)が転がっている。南北方位測定器(「準備編 技術班 Part1」参照)
で見ると、これがほぼ北に位置していた。距離にして数十メートルほどしかない。こんな短い距離で、北の方角を
決めて良いものかとも思ったが、他に仕方がない。赤道儀の横に南北方位測定器をあてて、これを目安に向きを
決定した。今夜、北極星で会わせ直せば良いのだから、まずは仮決定ということだ。(今にして思えば、偏角を
補正すべきことが、この時全く頭から抜け落ちていた。)
事前に読んできた日食遠征の記事では、「主催者が極軸あわせの参考に、地面にひもを張って南北の方向を
示してくれる事もある」と書いてあったが、ここではそういうサービスは行われなかった。もっとも、この観測
場所は東西に長いから、どこかに一本だけ線を引かれても、どうしようもなかっただろうけれど・・・。
さて一応南北の方向を決めたから、次は極軸の高度を決めなくてはいけない。これには、ホームセンターで購入
した傾斜計を使う。売っている中で最も高価なヤツを買ってきたのである。バーニャ式で、0.1度まで読み取れる
高精度だ。さらに、目盛り上に、可動式の赤いラインがついていて、これをあらかじめ予定の角度に合わせておけ
ば、後は、これと垂線を示す針とを会わせるだけで予定の角度を検出できるのである。ただ、この傾斜計、目盛り
の字が小さくて、特にバーニャの部分などは、虫眼鏡がないと全く見えないのは難点だ。
「たしか、荷造りする前に、この赤いラインを宝島の緯度にあわせて来たはずだったが、さて、どうだったかな。」
などと思いながら、傾斜計を赤道儀の背中に当てていると、
「あっ、角度を測っていますねぇ!」
またしてもTBS!いったい彼らはどこからやってくるのだ?まるでガミラスのワープ攻撃だ。
不意打ちにパニックって、またしても頭の中は真っ白。傾斜計の使い方が分からなくなる。バーニャの合わせ方
はもちろんのこと、赤いラインをどっち向きにするんだったっけ、というほどの混乱ぶりである。宝島の緯度を
書いたメモなど見る余裕すらなくなった。
レポーター氏(岩井さんとおっしゃる)とカメラマン氏が私に注目しているので、懸命に傾斜計で計測している
ポーズをとり続けるが、何をやっているんだか、自分でもまったく分からない。虫眼鏡で傾斜計の目盛りの数字を
見る。細かい数字がかろうじて読み取れるが、それがいくつを意味する記号なのかさえ意識の中に定着しない。
「3」を「さん」、「4」を「よん」と理解できないのだ。マスコミのプレッシャーに、完全に舞い上がってしま
っている。
もうカンベンだ。明日、皆既の本番で取材をされたら、私は何も出来なくなってしまうだろう。
予定ではこのあと、望遠鏡の直焦点にカメラをつけ、赤道儀に300o望遠とビデオをのせ、さらに、連続写真用
のカメラと、観測風景撮影用のカメラと、記念写真用のカメラとを、それぞれ三脚につけて、完全に明日の体制を
作り、リハーサルをやる予定であったが、そんな事をして、カメラをゾロゾロ並べたら、目立ちまくってしまって、
またまた取材の対象になってしまう。
皆既24時間前の貴重な、貴重なリハーサルの時間だというのに、情けない事に私は完全に戦意喪失である。
「明日は、何とかなるだろう」そんな気分になって、これ以上機材を広げるのはやめにする。
TBSのディレクターが、名刺を持ってやって来た。聞けば、「日食狂騒曲」というような番組を作りたい、
ついては私の映像やインタビューを使わせて欲しいという。またしてもパニックって、「いやです」という言葉が
出て来ない。「あ、はあ・・・ええ・・・。」と訳のわからぬ事を言っているうちに、肖像権の使用をOKした事に
なってしまった。
それでも、少しは私も落ち着きを取り戻したのだろうか、あるいは、なじんできたのだろうか、TBSの人たち
と話が出来るようになってきた。
「どうしてTBSは、最も注目されている悪石島に行かなかったのか」と尋ねると、「宝島が日本の陸地で一番
最初にダイヤモンドリングが見られるからだ」という。わずかに2秒ほどの差だそうだが、TBSはそこにこだわっ
たとのこと。これがTBSの皆既日食中継の売りなのだ。なるほど、「日本で最初にダイヤモンドリングが見られる
島」なかなかのキャッチフレーズだ。
TBSも、撮影用にEM-200を持ち込んでいて(彼らのは、自動導入機能の付いたtemma型だ。私のは古いタイプ
で、恒星時運転の機能があるだけだ)、これにテレビカメラをのせて、皆既日食を撮影するという。ざっと見た
限り、宝島にEM-200サイズの赤道儀を持ち込んでいるのは、TBSと私だけらしいとのこと。もしかして、私は、
ものすごく高度な観測者と勘違いされているのではあるまいか?私は、小型の赤道儀を持っていないし、買う余裕
もなかったということだけで、この重たい機材を持ち込んでいるにすぎないのだ。それに、なんてったって今回が
初めての皆既日食なのだ。
「よそでは赤道儀にL字金具をつけて、テレビカメラをそれに横倒しで固定して追尾撮影をするというが、
どう思うか」とTBSのスタッフから意見を求められる。ほら、やっぱり、完全に勘違いされている。
「僕らは天の北極を画面の上にするように写しますが、地平線と平行に見るという感覚を
重視するなら、L字金具でカメラを横にするのも一手でしょうね。でも、今回は太陽高度が
高くて地上の風景は映らないから、L字金具はいらないと思いますよ。」
などと、わかったようなデタラメを平気でしゃべっている自分が恐ろしい。
そんな怪しい説明で納得したらしいTBSのスタッフはもっと恐ろしい。EM-200のご威光、かくやである。日本の
マスコミよ、見かけだけの権威にだまされるなかれ!
かくて、大事な大事な最終リハーサルは、不完全燃焼のうちに終わってしまった。
細かい機材をテントに撤収する。しかし、仮設とは言え、一応赤道儀の極軸をセッティングしたのだから、EM-200
はこのままここに置いておきたい。だが、ツアーのスタッフから、これも撤収するようとの指示が出た。「ここは
交流会の会場となり、人が大勢通るから」と言う理由である。しかし、皆既日食の観測ツアーなのである。何より
も機材の設置が優先だと思い、「自己責任でここに設置しておきたい」と反論するが、スタッフは首を縦に振ら
ない。あまり事を荒立てるわけにもいかないので、交流会までには撤収すると約束せざるを得なかった。ま、仕方
ない。こんなに晴れているんだ、今夜、北極星を使って、完璧な極軸あわせをすればいいのさ!
温泉
かくて、マスコミへの対応に終始するうちに、貴重な貴重な皆既24時間前の時間は過ぎ去り、私のグループは
入浴の時間である。テント村から、車で送ってもらって、温泉へ行くのである。来島前から楽しみにしていた温泉
だ。行かない手はないですよ!
望遠鏡は撤収が間に合わないので海端の観測場所に放置して行くことにする。まさか、こののどかな南海の楽園
で、盗まれたり、いたずらされたりはしないだろう。1963年7月、北海道へ皆既日食観測に出かけた大先輩方
も、観測地の羅臼岳で、一晩カメラを外に放置したが無事だったと「1963721」に書かれていたではないか!
このあたりから、旅行社の担当者はてんてこ舞いだ。総勢200人のテント村の住人をいくつかの班に分け、
入浴に行く組ABC・・・、食事の組DEF・・・といった案配で、微妙な時間差でいくつもの班が入り乱れての
スケジュールが始まるのである。テント村から班ごとに人を招集し、数に限りのある車に乗せて、次々と出発させ
てゆく。車の定員だって、まちまちだ。何人乗ったか、計算なんかできるんだろうか。さらに車は、風呂や昼食
会場のコミセンを何回も往復するようだ。こんな複雑なスケジュール、私には絶対にさばけない。
私たちは一番最初の入浴の班で、10人ぐらいだろうか。今朝見せてもらった公衆浴場(友の花温泉保養センタ
ー)に到着する。玄関の扉を入ると、入浴料200円と書かれた箱が置かれているが、我々はお金を入れなくて
良いとの事。
ただし今日は、後から後からツアー客の入浴者が来るので、入浴時間は1グループ15分に制限されている。
刑務所の入浴時間も15分だそうで、「僕らは受刑者と同じだ。島流しだ。」などと、皆さんブツクサと、実は
けっこう自虐ネタを楽しみながら服を脱いでいると、真っ先に風呂に入ったNさんがすっとんきょうな声を
上げた。
何事かと見ると、湯舟にお湯がないのである。いや、正確には、現在お湯を入れている最中で、浴槽の底に
ようやく15pほどだけ、お湯がたまっている状態なのであった。給湯用の太い蛇口からはお湯がどんどん出て
いるが、いかんせん10人くらいがいっぺんに入れそうな大きな浴槽である。水位はなかなか上昇しない。普段は
こんな昼間っから風呂の用意はしないであろう。お湯を入れ始める時間をうまく決められなかったに違いない。
(自分の経験では、このような大きな浴槽に湯を満たすには、大きな給湯設備を使っても、数時間かかる。)
仕方がないので、先に体を洗って時間を稼ぐが、いかんせん制限時間は15分だ。水位はちっとも上がらない。
やむなく、広い浴槽に仰向けに寝て、底にわずかばかりたまった温泉に身を浸す。
窓が少し開いているので目線を外に向けると、晴れ渡った夏空の下、南国の木々は風にそよぎ、その先に伸びる
緩やかなスロープの先に真っ青な海が広がって、最高の眺めである。ここはかなりの高台で、景色がよいのだ。
が、しかし、窓の内側に目を戻せば、己のつま先と、出っ張った腹と、その間にある、情けなく縮んだ潜望鏡が
見え隠れしているばかりである。お湯が潜望鏡深度に達する前に、15分の入浴時間は終わってしまった。
まあ、こんなハプニングも、秘境の旅ならではの楽しみと言うべきか。
風呂から出て、コミセンまで歩いて行って、昼食。ハンバーグがでた。テーブルに置かれたドレッシングが、
柑橘系で爽やかだ。その容器には、○に十字のマークが付いたラベルが貼ってあり、今回の食事をサポートして
くれるレストランの名前が書いてあると、Nさんが教えてくれた。はるばる各地からやってくる人々に、レトルト
食品を食べさせるのではなくて、出来る限りのもてなしをしたいと、鹿児島のレストランのシェフたちが協力を
申し出てくれたのだという。ありがたい事である。そういえば、このドレッシング容器の○に十字のマークは、
あの旧薩摩藩主 島津家の家紋と同じではあるまいか。
昼食が済んでテント村にもどり、せっかく設置したEM-200を撤収する。重くてかさばるがバラすと後が面倒だ。
三脚付きのEM-200を、両手と腹と太ももで、支え、持ち上げ、のけぞりながらこれを運ぶ。大相撲の吊り出し
さながらの格好である。エッコラ・エッコラ数十メートル、自分のテントの脇まで持って来るのは、手首と膝に
バクダンを抱える中高年にとって、けっこうしんどい仕事であった。
疲れたので宅配で送った携行食や、奄美でもらったパッションフルーツで元気をつけようと思うが、ナイフがない
ので、パッションフルーツの皮を開くのは大変だ。皮を歯で食いちぎって、中身をすすろうと挑むが、かなり手強
い。相部屋(相テント?)のTさんにも一つあげたが、Tさんもナイフがなくてどう扱ったものか困り果てている
ようであった。Tさんが、パッションフルーツを食べる事が出来たかどうかは、ついぞ謎のままである。
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