2009722 トカラ列島 宝島
ー 激甚災害の島 ー
予測不能
十島村では、皆既日食を見に押し寄せて来るであろう人々を、どうさばいたらいいのか、
はかりかねていた。過去、皆既日食が見られた町には数万人の人が集まったとか、音楽祭
を開催するものらしいとか、寝泊まりにはテントを使うしかないのだろうとか、そんな
ことがホームページに出ている。
しかも、今回の日食の皆既継続時間は21世紀最長だという。国内はもとより国外から
も注目度は大変高いし、当然トカラへ行きたいと思う人は大変な数になると予想される。
それも皆既帯の中心線に一番近い悪石島へ、人気が集中することであろう。
村の職員に、皆既日食を経験した人はいない。天界で起こる現象もさることながら、
人間世界で何が起こるか、まったく予想が立たない。
「いずれ何らかの対応策を示したい」、「来島希望者のアンケートを採る予定だ」、など
と村の公式ページには書かれていた。
定員200名のフェリー「としま」で運べる人の数は知れている。従って、人々は大小
様々な船をチャーターして島にやって来るだろう。その数万人、と予想するホームページ
がある。オレも漁船でもチャーターするか?それとも、大型船に乗せてもらうか?(実は、
トカラの島々には、大型船が接岸できる設備がないということを、後で知った。)
トカラに渡るのは研究者が優先となり、残りを一般人に割り振る、と説くホームページ
もある。研究者って、どういう人よ?どこで線を引くんだ?オレだって文系だけど、その
昔、天文研で会長までやったんだぞ!などと思ってしまう。(こういうのを牽強付会とい
う)
くじ引きで入島者を決めるべきだ、と説くものもある。これなど、公平でもっともだと
は思えるが、当選者の中に入るのは至難の業になりそうだ。第一、研究者が抽選から外れ
たらどうするんだ! などと、これはもう、自家撞着も甚だしい。
第三者にしてこの始末である。当事者である村の担当者や、島の人々の困惑やジレンマ
は大変なものだったであろう。
日食は、激甚災害だ!
十島村の行政関係者が、「皆既日食を、激甚災害に指定してもらいたい!」と発言した
という。
状況が見えてくると、それがあながち誇張ではないことが分かる。
島に多数の人間が押しかける。彼らの食料はどうするのか?水は?どこに寝かせるの
か?トイレは?風呂は?電気はどうするのか?・・・島にはそんな物資も施設も、何も
ないのである。人が大勢集まれば、病人やケガ人も出るだろう。医師もいなくては困る。
そう考えてくると、大災害の時の避難所と同じように対応するしかないのである。
テントや体育館を仮住まいにし、食料は炊き出しかインスタント。炊き出しといっても、
そんなに大勢の飯を炊ける釜だって無いだろう。自炊は可能だろうか?水はバケツで
くんで来るのか?どこから?それともペットボトルの配給か?トイレも不足するだろう。
風呂などは贅沢の上にも贅沢である。暑い亜熱帯の夏場、衛生状態の悪化も心配される。
その上、島は東シナ海という強力なバリアに囲まれているから、「救援」物資の輸送は
極めて困難だ。食料や水の確保の困難さは陸地の比ではない。必要に応じて急いで届ける
なんて、できない相談なのである。
そして、この季節は台風が来る可能性も高い。もし来たら、テントでは危険だから更
なる避難場所が必要になる。そんな場所はあるのか?
船も止まってしまうから、島は兵糧攻めにあった城を地でいくことになる。聞けば、
遠く台湾あたりに台風があっても、波のウネリが高くてフェリー「としま」が欠航する
ことはよくあるという。
実際、日食を見に出かけたとき、テント村に泊まり、パックライスをいただき、ペット
ボトルの水を配給され、災害用に開発されたという仮設トイレを使った。
「ああ、ここはまさに、避難所と同じだ。」そんなイメージが湧いてきた。
誠に不謹慎きわまりない発想だったが、思わず苦笑してしまった。
大量の旅行客の安全に責任を負い、食事や住む所を提供するとなると、絶海の
孤島での皆既日食は、激甚災害の時と同じような対応を迫られる出来事なのである。
テントと食料を持参すれば事が足りるなどとお気楽なのは、物見遊山気分の我ら日食
ファンばかりである。反省、反省・・・。
かくして十島村には、トカラ皆既日食対策会議が設置された。
1500人様 限定
十島村では、皆既日食の期間中の旅客運搬をフェリー「としま」と、チャーター船1隻
に限定することにした。そして、その輸送能力や島での安全面などから判断して、来島者
の受入可能総数を1500人とした。個人的なチャーター船による来島者を無制限に受入
れることは不可能との結論であった。
トカラ皆既日食対策会議は、
・交通の不便さ(それは滞在期間が長くなることも意味する)
・滞在中の生活環境の悪さ
・人数限定であること
などを前面に押し立てたうえで、2006年の夏に来島希望者を対象としたアンケートを
インターネットで実施した。
結果は、「それでもトカラ列島で皆既日食を見たい」が大半を占めた。しかも、そのま
た大半が悪石島を希望している。
アンケートでは奄美大島・屋久島に行くという希望者が8%ずつであった。ちなみに
海外も中国・インドあわせて8%。あの!小笠原洋上の希望者はこの時点では2%に
すぎなかった。
皆既日食は奄美大島や屋久島でも見られるが、なんと言っても継続時間の長いトカラ
列島、それも悪石島の人気が群を抜いているのである。
トカラ列島に1500人が押し寄せる。1500人というのはたいした数ではないよう
に思うが、島の人口の約2.5倍である。
たとえば、4人家族の住むささやかな家に10人もの客が長逗留するようなものである。
家族は大変な迷惑を蒙るであろう。
さらに言えば、東京都によそから2500万人がいちどきにやってくるようなものであり、
日本に海外から3億人が押し寄せてくるようなものである。
人口の2.5倍の旅客を受け入れると言うことは、あるいは「激甚災害」以上のこと
なのかもしれない。
1500人受入れという決断には感謝しなくてはいけない。ただし・・・自分がその中
に入れるかどうかは、別の問題である。
村ではこの、「激甚災害」の日食関係の旅客の扱いを、旅行代理店に一括依頼しようとした。
村役場の規模などを考えれば、それしか策はなかったであろう。
そこでいくつかの旅行代理店に依頼を試みたが、引き受ける会社は見つからなかった。
あまりの条件の悪さに、どの社も二の足を踏んだのだという。そんな中で唯一、
KNT(近畿日本ツーリスト)だけが名乗りを上げたそうだ。
テレビで紹介されていた話だが、トカラ日食ツアーは、この会社の一人の社員が思いついたことで、
彼はようやく上役を説得して、会社として動き出したのだとか。
(会社というものは利益を出さなければなりませんから、その辺の見通しは立ったのでありましょうが・・・)
もし、どこの旅行会社も引き受けなかったら、いったい、どうなっていたことであろうか?
受入れ準備
島では水が不足している。とりわけ、人気の悪石島は深刻なようだ。日食ツアー客受け
入れのために貯水タンクが増設された。だが、もともとが火山島ゆえに水源は少なく、
わずかな湧水が頼り。降雨不足で充分な貯水ができず、島の人たちは夜間断水までして
水の節約に務めてくれた。それでも水は足りなくて、日食直前までフェリー「としま」で約2トン
ずつ、鹿児島から水の運搬が続けられたという。
仮に、一人1日に飲食関係で5リットルの水を消費するとすれば、1500人では7.5トンが必要となる。
これが生きていくために最低限必要な水である。
その上、洗面、風呂、シャワー、となれば水の使用量は桁違いになるはずだ。
よって、日食期間中は、洗濯は禁止。風呂・シャワーも一人一日1回に制限される。トイレは
水を流さなくてよい災害用の仮設トイレを運び込む。
飲み水は、ツアー客一人につき、1日に500ミリリットルのペットボトル5本ずつが
配給される計画だ。さらに、後になって、医療用の経口補水液(500ミリリットル)が
1日1本ずつ追加されることとなったが、これらも全部、本土から運び込まなくてはなら
ない。
ツアー客は短い人で2泊3日くらい、長い人は10日近くを島で過ごす。ペットボトル
の数も大変なものだ。ネットで見たニュースによると、その数、水だけで実に4万4400本と
いうことであった。このペットボトル運搬に携わったという人がラジオにその様子を投書
していたのを偶然聞いた。ああ、いよいよなんだなあと、なんだかうれしくなったことを
思い出す。
しかし、水だけでもこの騒ぎである。食料に至っては、どんなことになるのだろう?
公共交通機関がないから、マイクロバスを16台、電気も十分にはないから、発電機も
持ち込む。当然、それらを動かすガソリンも本土から運ぶのである。基本的に、必要な
ものはすべて本土から持ち込まなくてはならない。
さらに、テント250張り、簡易ベッド750台。(これはネットで得た情報である。
1500人に対しては、これでは不足するはずだから実際はもっと持ち込んだか?)
これらは島では一回こっきりの使用になる。日食が終わればまた撤収して、本土へ持ち帰
って処分(中古として販売?)することになる。
ちなみに日食終了時、このテントとベッドを格安で払い下げると言っていたが、残念ながら
あまり希望者はいなかったようである。
荷物の運搬やテント設営に携わる人も大勢になる。ちなみに、私が行った宝島は、
島全体がサンゴで出来ているので、テントを立てようにも地面が非常に固くて素人では
難しいとのことであった。あの強風下でテントが飛ばなかったのは、サンゴの石灰石に
ドリルで穴を開けてテントを立ててくれたプロの技の賜物であるようだ。
食事の世話をしてくれる人も、ツアー客の面倒全般を見る添乗員も必要だ。期間中は、
普段は島にいない医師や警察官も滞在するという。しかも7島すべてに分散となるから
人的配置の効率はどうしても悪くなるだろう。
1500人のツアー客に対して、スタッフが350人いたという情報を見た覚えがある。
さらに、日食前後にはツアー客の荷物(宅急便)も運び込まれてくる。
これだけの人や荷物を200人乗り・週2便のフェリー「としま」1隻だけで、しかも、
当然ながら島の人々の日常物資も一緒に運ぶのだからエライことである。
旅行業者のみならず、島の人々も、道の整備や草刈り・安全確保・交流会の準備など
受入体制を作ってくれている。ありがたいことである。子どもたちも日食のことは
もちろんだが、来島者との触れ合いなどについても、事前の学習に励んでいるという。
とにかく、こんなに大勢の人が島に来ることは空前にして絶後のことなのである。
書きたくないような、書きたいような・・・
今回の日食は、奄美大島や屋久島、上海などでも皆既を見ることができるのだが、
トカラへ渡るツアーの値段は、奄美・屋久島・上海の3倍ほどにもなっていた。
たしかに、皆既継続時間の長さや1500名限定というレア度の高さ、といったことが
相場を大きく押し上げているのも事実だろう。
しかし、トカラのツアー料金が高いのには、別の要素もある。
普通のホテルなら、長い年月をかけて少しずつ元を取っていけばいい。だが、トカラの
皆既日食用の「ホテル」は、1回こっきりの営業で元手を全額回収しなければならない。
しかも、何もないところからすべてを立ち上げなければならないのである。前述のように、
立ち上げは水の問題から始まってたいへんな騒ぎだから、テント仕様の「ホテル」と
いえども莫大な金額が必要となる。当然のこととして、ツアー客の受益者負担は重くなる。
交通の便もよく、受入体制が整っている奄美・屋久島・上海と、トカラとでは、その
あたりの事情が根本的に違うのである。
ツアー料金は、テント泊の3泊4日も、民宿泊の9泊も大して違わない。純然たる滞在中
の費用より、インフラ整備に投じた費用の負担分が大きいと言うことなのであろう。
料金の高さゆえか、村と大手旅行業者が結託した、などと言う人がネット上にも見受け
られたが、少なくも「激甚災害」を受け入れてくれた村の人々に対しては、心ない発言
だと思う。
第一、旅行業者を入れず、村の職員だけでこれをやろうとしたら、一般の行政サービス
は完全に滞ってしまっただろうし、旅客の受入れや島での滞在もスムースに行かなかった
に違いない。
さらに、高いツアー料金と1500名限定は、様々な余波を引き起こした。
日食期間中はフェリー「としま」は予約でいっぱいで、ツアー客以外乗れないだろうが、
その前に島に渡って野宿などをしていれば、ツアーに参加しないでも日食が見られる。
あるいは、チャーター船などで個人的に島に渡っても、それは可能だ。
だがそれでは、ツアー参加者との費用負担が不公平になってしまう。
ツアー料金には、たとえば貯水タンク増設費用そのほかの、インフラ整備も含まれて
いると思う。島によってかかった費用は違うはずだが、それをツアー客全体で均等に負担
する形を取っているのであろう。(たぶん、そう思います)
そこで、日食期間中は、ツアー客以外は島から退去するよう説得することになったと
いう。実際に、早めに島に渡って日食を待つ人が、何人か現れた。1500人限定は、
法律でも条例でもなく、村からの「お願い」に過ぎないのであるから、説得は大変だったろう。
私の中にも、これでよかったのかな、という複雑な気持ちが今でもある。
説得されて島を退去した方々も、割り切れない思いを残されたことであろう。
しかし、一番悲しく、嫌な思いをされたのは、説得に当たった島の方々であったと思う。
悪天候に阻まれて日食が見えなかったので、高いツアー代金の返還を請求できないかと
いう質問をネット上に書き込んだ人がいた。申込み段階のツアー規約にそのことは明記
されているので、まともに取り合う人は少なかったが、しばらくの間、ネット上で話題に
なっていた。
「テント生活で食事も悪く、日食見えずにこの値段」といった見出しを掲げる週刊誌も
あった。島の人々の暖かい人情に触れて帰った後だったので、正直言ってこの見出しは
不愉快であった。
後に、この記事を読む機会があったが、なんと宝島へ行ったジャーナリストが書いたという。
住環境の悪さ、食事の悪さ、値段の高さ、などを批判していたが、すべて申し込むときから
分かっていたこと。「嫌なら最初から申し込むなよ」と思ってしまった。
自分としても、スネかじりに仕送りをする身で、ツアーの値段が高かったのはとても
きつかったが、それは「日食継続時間の長さに応じたもの」と、トカラへ行く前も、行って
からも自分を納得させている次第である。
ともあれ、大手旅行業者に委託し、来島者を1500人に限定したことは、諸条件を
勘案すると致し方のないことであり、また最善の策でもあったと私は思っている。
書きにくいことを書いたついでに
日食が見えず、がっくりと肩を落として旅からから帰って見ると、ネット上には「トカ
ラ、それ見たことか!」といった声があふれていた。悔しさは募るばかりである。
ただ、正直に告白すると、皆既の直前、悪石島で避難勧告が出されたと聞いたとき、
宝島にいた自分は「悪石島、それ見たことか!」と思ったものである。
悪石島より皆既時間が短いというコンプレックスを抱いていたために、とっさにそう
思ったのであるが、まことに見苦しくも悲しい人間のサガである。
(宝島だって曇って日食観望は絶望的だったのに、バカですね。)
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