2009722 トカラ列島 宝島
             - 鹿児島@-
 
 
鹿児島へ
 
 飛行機を降り、西日の差し込むボーディングブリッジを到着ロビーへと向かう。ブリッジの通路内はモワッとした熱気が
こもっている。夏の暑さだ。
 
 私は、預けの荷物はないので、手ぶらでさっさとゲートを出られるのだが、もし、あの折りたたみ式のキャリーカートを
持ってきたら(準備編 運行班の項を参照)、ターンテーブルからあの骨組みだけのカートを持って出るのはきっと恥ずか
しかっただろう、などと想像する。なんだか恥と格闘するばかりの旅になってしまった。
 
 ロビーへ出ると、皆既日食の大きな看板が目に飛び込んできた。いよいよ来たなと、感慨を新たにする。土産物屋には
皆既日食を箱や器のデザインにあしらった黒糖焼酎が山と積まれている。皆既帯に入る奄美大島の焼酎だという。別の店の
天井からは皆既日食をデザインしたTシャツがぶら下がっている。旅行業者の通販では売り切れになったヤツもちゃんと
あるではないか!さすが、皆既日食のお膝元!空港ロビーは、まさに皆既一色でる。
 
 店の人たちにお土産を勧められ、ついあれこれと買いたくもなるが、旅の本番はまだこれからだ。秘境への長い船旅が
待っている。ここでいたずらに荷物を増やすわけには行かないのだ。「帰りに買うから」、とここは大人の分別を見せて
おこう。
 
 外に出ると椰子の木ふうの(たぶん椰子ではないと思うのだが名前が分からない)並木の大きな葉が、西日にきらめき
ながら、風に揺られている。南国情緒たっぷりだ。タクシーがひっきりなしに往来し、駐車場には自動車がたくさん
止まっている。私の県にも空港はあるが、ささやかなものでこんな賑わいはない。この空港の利用者がたいへん多いことが
分かる。
 
 バスも各方面に出ているようだ。私もバスで鹿児島市内に向かう予定だが、鹿児島行きのバスは10分おきに出発便が
あり、普通の路線バスと同じ感覚で乗ることができる。便数の多さも、乗車手続きの簡便さも、私には驚きだ。高速道路を
使って遠くまで行くのだから、我が地元だったら、予約とか、座席指定とかが必要で、貴重な一本を逃すと後の便に乗れる
かどうか不安になるのが常なのだが・・・。経由地はさまざまあるようだが、どのバスも鹿児島市の中心部を通る。市の
中心部までは、およそ50分、料金は1200円均一である。
 
 バスに乗って空港を出ると、建物の屋根越しにちらりと、そうとうに巨大な銅像が見えた。10メートルはあるだろうか?
あのシルエットは、西郷隆盛に違いない。そうだ!ここは、鹿児島。西郷さんの地元なのだ!
 
 バスの右側の、西日が差し込む座席に座り、九州自動車道で鹿児島市を目指す。左手は鹿児島湾の方向だ。桜島が
見えないかと期待するが、なかなかその姿を拝むことはできなかった。高速道路は海からはかなり離れたところを走って
いるらしい。
 
 すぐにも鹿児島市内へ入るとばかり思っていたのだが、相当な時間バスに揺られ、空港から市内はこんなに遠かったのか
と、ちょっとびっくりする。それでも道はいつしか高速から一般道へと変わり、南国風の木々を植えた瀟洒な構えの建物が
目に付くようになった。かなり急な傾斜地を下り、一段低い平野部に入るあたりからは家がびっしりと建ち並びはじめ、
バスは市の中心部へと入って行く。
 
 市街地へ入ると、バスは路面電車と平行して走るようになる。やがて右手に市役所の建物が見えて来た。石造りの、大き
くて立派な庁舎である。京大の時計台の色を白くしたような雰囲気の建築だ。続いて、これまたたいへん立派な、石造りの
建物が現れた。先ほどの市庁舎にもまして、巨大かつ荘厳な建築である。屋根の上には塔やドームがいくつもそびえ立ち、
まるで、ヨーロッパの由緒ある大教会か宮殿のようだ。世界遺産に登録できそうな建物であるが、この建物が、なんと
デパートであるという。東京でも、大阪でも、京都でも、名古屋でも、こんな立派で壮麗な構えのデパートにお目にかかっ
たことはない。鹿児島、恐るべしである。
 
 バスも路面電車も、デパートの先で右折して、繁華街の中心を抜けてゆく。私の今夜の宿はこの辺の「いづろ通り」と
いうところで降りると近いのだが、バス料金が1200円均一なのでもう少し先の、鹿児島中央駅まで行ってみることにした。
 
 学生の頃、鹿児島出身の友人に、
「国鉄(齢がバレますな)で鹿児島を訪れるには鹿児島駅で降りればいいのか?」

と、聞いたことがある。

「鹿児島駅は小さな駅で、西鹿児島こそが鹿児島のメインステーションなのだ。」

と、彼は教えくれた。ちょっと不思議な気がしたものであったが、その西鹿児島駅と、今バスが向かっている鹿児島中央駅は
別物なのだろうか?
 
 最近はJRにご無沙汰で、時刻表など見る機会がトンとないので、こうした鉄道情報に疎くなってしまっている。九州
新幹線はもう、鹿児島まで来ているのだろうか?そんなこともよく知らないまま旅に出たと、ここに来て気がついた。もし
飛行機が飛ばなかったら、鉄道で鹿児島入りしようと考えていたのだが、JRの正確な情報も持たずに、何というズサンな
計画であったことか!(実は、新幹線の開業にともなって、西鹿児島が鹿児島中央という駅名に改められたのこと。この
時点で九州新幹線の鹿児島〜新八代間は開業していたが、博多とつながるのは、この時からまだ1年半以上後のこととなる。)
 
 鹿児島中央駅でバスを降りる。駅の大きさに圧倒される。幅広い階段の遙か上方に、間口の広い駅の入り口があった。
なんだか、ドメル将軍麾下の宇宙戦士を閲兵するデスラー総統がお出ましになりそうな建物だ。駅に隣接する広場は
大屋根で覆われ、巨大な柱がその屋根を支えている。臙脂色の駅舎の後ろには、大きな観覧車が見えている。屋上に
遊園地があるのだろうか。
 駅前に、「若き薩摩の群像」と名付けられた等身大の銅像群が十数体、エンパイアステートビルのような形をしたモニュ
メントに飾り付けられている。どの銅像も燕尾服に身を包んだ若き紳士であるが、彼らは明治維新期に活躍した人たちで
あるという。そうか、ここは、明治維新の原動力となった薩摩藩、「近代日本は俺たちが作り上げた」と言う自負に充ち
満ちている土地なのだ。そんじょそこらの県とは訳が違うのだ、と気がついた。
 そう考えると、空港からの道々見てきた巨大な西郷隆盛像も、威容を誇る市役所も、荘厳なデパートも、そしてこの群像
も、明治維新という一点につながって見えてきた。そういえばさっきは、道沿いに大久保利通の銅像も立っていた。
 
 明治維新の原動力!これが、初めて訪れた鹿児島の第一印象であった。
 

走れ!メロス(鹿児島編)
 
 長かった西国の夏の夕方も、ようやく日没の時間が近づいてきた。
 
 明日の、ツアーの集合場所を確認しておかなければ。場所は鹿児島港に臨むドルフィンポートというところである。宿も、
そこから近い場所にとってある。今、バスで来た道をまっすぐに戻って行けば、鹿児島港へ出るはずだ。そこからは錦江湾
と桜島が見える・・・と考えて、気がついた。今まさに沈まんとする西日が真横から当たって、桜島はすばらしい眺めに
なっているに違いない。しまった!こんなところまでのんびりと足を伸ばしている場合ではなかったのだ。一刻も早く海辺
へ行って、夕日に映える桜島の雄姿を写真に納めたい!
 
 鹿児島港までは、ここから数キロある。できれば繁華街を歩いて抜けてみたいが、それでは日没に間に合わない。(ヒザ
の関節症の発作も心配だ。)バスはたくさん出ているが、どれに乗ればいいのか、とっさには分からない。間違いなく
鹿児島港方面へと向かうのは、路面電車だ。さっきバスで来たとき、ずっと平行して線路が敷かれていたから、間違いない。
 
 鹿児島の市電はすばらしい。軌道は、どこまでもずっと、きれいに刈り込まれた芝生になっている。大通りの真ん中に、
延々と緑の絨毯が敷かれているみたいである。周りには花壇が作られていて、たくさんの可憐な花が咲き誇っている。芝生
も花壇も、とても手入れが行き届いている。今まで、自分の地元をはじめ、京都、広島、岡山、富山、長崎、東京など、いろいろ
な街で市電に乗ってきたが、こんなに美しい市電は初めてだ。これも、明治維新を成し遂げた薩摩藩のなせる業なのだろう
か!?
 
 ちょうど、鹿児島中央駅の前の電停に、市電が止まっていたので飛び乗った。急いで俺を鹿児島港へ連れて行ってくれ!
 
 しかし、電車は時間待ちをしているのか、なかなか発車しない。ようやく発車したと思った瞬間、久しく忘れていた重大
なことを、私は思い出した。市電というものは、ゆっくり走るのである。時速25キロくらいだろうか。しかも、すべての
電停で停車する。この、中央駅から鹿児島港への通りは、鹿児島市の繁華街の中心に当たるので乗降客の数も多く、一駅
ごとの停車時間もたっぷりかかる。さらに、動いたかと思えばすぐに信号待ちだ。
 
 太陽はすでに沈む寸前で、繁華街のビルの谷間には、もう日光が差してこない。今頃は、最後の残照が桜島を赤く
染めて
いることであろう。写真を撮る絶好のチャンスだし、明日、船に乗ってここを離れる私にとっては、生涯唯一の
チャンスとなるかもしれない。
 
 「日が沈む前に、私は、なんとしてもそこにたどり着かねばならないのだ!」

と、走れメロスみたいなことを考えるが、市電は遅々として進まない。
 
 先ほどの壮麗なデパート近く、道が大きく曲がるところで市電を降りる。「いづろ通り」の電停だ。そこから港までは
数百メートル。夕日を背に、早足に東の海へと向かう。建物が、しだいに港湾の街のたたずまいに変わって来た。
大きな交差点が二つほど。ええい、そこの信号、早く青になれ!
 
 交差点を渡って、大きな駐車場。その向こうに、白いドルフィンポートの建物。それはまるで延々と続く西洋の城壁の
ようで、桜島を私の視界から遮っている。
 
 桜島を見るには、城壁の通用門みたいな細い通路を抜けて、海側へ出なければならない。
 
「その人を殺してはならぬ、メロスが帰ってきた。約束のとおり、いま、帰ってきた!」

と叫びたい気分で、通路を抜けると、巨大な桜島が見えた。
 
 しかし、やんぬるかな、時すでに遅し!日は沈み、桜島は急速にその色彩を失いつつ
あったのであった。
 
 日没に間に合ったメロスと親友セリヌンティウスは、一瞬でも相手を信じなかったことを詫びあって、互いの頬を音高く
打ちあい、そしてひしと抱擁するのであるが、日没に間に合わなかった私は、いまいましさに舌でも打ちたい気分である。
 
 世の中、なかなか、うまくは行かないものだ。
 
 海から天へと屹立する巨大なかたまりが、雲を突き抜けてそびえている。日が落ちても、桜島は雄大だった。
 
ドルフィンポート・日食館
 
 ドルフィンポートは二階建てで、南北に数百メートルもあろうかという長い建物である。小さな区画に分けられた
スペースに、レストラン、喫茶店、ブティック、旅行代理店、コンビニなど、たくさんの店や事務所が整然と入っている。
一階も二階も、ウッドデッキ風のテラスが端から端まで続き、レストランのイスやテーブルも置かれている。このテラスが通路も
兼ねていて、多くの人で賑わっている。壁は白で統一され、すべてのスペースがオーシャンビュー、桜島ビューの、
なかなか瀟洒な建物である。完全に海向きの意識で作られていて、陸側はすべて壁だ。先ほど来るときに、城壁のように
見えたのもそのためである。
 
 建物から海までの間は広々とした芝生で、所々に足湯や人工の水の流れが作られていて、おちびちゃんたちが水に足を
入れて遊んでいる。家族連れでくつろぐには最高の場所だ。夕涼みに来た親子が幾組も見える。芝生の向こうには、南にも
北にも埠頭が見え、船が停泊している。トカラ列島行きの航路は、南側の埠頭から出るという。あの、青と白に塗装された
船は、もしやあこがれの、フェリー「としま」ではあるまいか?などと目をこらしてしまう。(タイムテーブルによれば、
「としま」はこのとき奄美大島方面にいたはずなので、あれは別の船だったのだろう)
 
 明日の、ツアーの集合場所は、ここ、ドルフィンポート内の「日食館」という所だというので、下見をしておくことに
する。とにかくここまでやってきた。明日午後4時の集合時間に遅れなければ、あとはお任せで皆既日食の島、宝島へ連れ
て行ってもらえるのである。
 
 「日食館」はドルフィンポートの1階のワンブロックに、臨時に開設されたスペースで、中に入ると土産物がたくさん
並んでいた。奥に、ホテルのフロントみたいなデスクがあって、皆既日食のTシャツを着た旅行業者のスタッフが詰めて
いる。
 
 日食の名を冠した菓子類、飲料、衣類、などと並んでビクセン社製の眼視用日食グラスが売られている。各地で品切れ
続出だと聞いていたが、ここにはまだいささかの在庫がある。トカラ列島へ渡る私は、ツアー参加時にこの日食グラスの
トカラ限定バージョンをいただけることになっているので、こういうモノには見向きもしなくて良いのであるが、こんな
断り書きも添えられている。
 
 「悪天候で、日食が見られなかった場合でも、未開封を理由としての返品には応じられませんので、ご了承ください。」
 
 そういうみみっちいことを言う輩も、当然出てくるだろうし、それに応じていたらみんな返品になってしまうだろうから、
まあ、商売上、致し方ないわなあ・・・。否!当日は必ず晴れるのである。日食館さん、ご安心あれ。(そうでなければ、
高いツアー代金の返金に応じてもらえないワシらは立つ瀬がないではないか!)
 
 空港で見た、通販ではすでに売り切れの、皆既日食Tシャツがここにもあった。これはやっぱり、なくなる前に手に
入れておかなければならないアイテムであろう。普段は着る物に無頓着のこの私が、たかがTシャツに数千円をはたく。
千円以上のシャツなんて、何年も買ったことがないくせに・・・。さらに各種のピンバッチ。財布のひもは緩みっぱなしで
ある。
 
 トカラ列島各島の衛星写真が、絵はがきになって売られている。見ていると、宝島の絵はがきだけを手にした女性がいた。
もしやと思って聞いてみると、やはり宝島へ行くのだそうで、私と同じG-2コースだという。急に連帯感の高まりを感じ、
話が弾む。3年ほど前の、トルコであった皆既日食を見に行き、日食のとりこなったという。「この日食に向けて魚眼
レンズを買ってしまいました。」などという所を見るとただの者ではあるまい。
 
 「台風が発生しているので船が出るか心配」、と私が言うと、最近はやりのiPhoneを出して、指でさっとディスプレイを
こすり、天気予報を見てくれた。それによると台風は西にそれたという。私は自分の携帯をネットにつなぐ自信もない。そんなに
年齢が違うとは思えないのに(スミマセン、勝手な想像です。女性に歳は聞けません。)、う〜む、負けている。
 
 日食館のスタッフが控えるデスクの後ろに、日食関係の資料展示室があった。金200円也を払って入場する。先ほどの
女性も入ってきた。
 
 最初は、今まで世界各地で見られた日食のコーナーだ。壁に掛けられた薄型テレビで、ビデオが上映されている。皆既
日食を撮影したビデオだが、プロの手によるものではないようだ。おそらく日食ツアーに参加した人が撮影したビデオなの
だろう。画面いっぱいに太陽が大写しになっている。いよいよ皆既が迫ると、ワーワー、キャーキャー、悲鳴にも似た歓声
がかまびすしく聞こえてくる。カメラの周りで、日食を見て興奮した人々が大騒ぎしているのであろう。その中を、カメラ
は太陽だけを写し続ける。しかし、やかましい。なんでこんなにうるさいんだ、君たちは?黙って神秘的な光景に見入る
ことはできんのかね?
 
 「おれなら、こんなやかましい声はカットして、幻想的なBGMを入れるぜ!こんな編集もしていない、生のままの
ビデオは人前に出さないぜ!」などと心の中で密かに優越感に浸る。
 
 自分がビデオを作る段になって、ようやく私も気がついた。このビデオを作った人は、その場の臨場感をそのままに、
ビデオに保存したかったのだと。私も自分のビデオを作るとき、日食(?)の場面では一切BGMを入れる気にならず、
当日の臨場感をそのまま記録に残したいと思ったものである。そしてあの日の、あの天気は、この時の私の密かな優越感を
圧倒的な敗北感に変えてしまったのであった。
 
 さて、このコーナーには、世界各地で起こった日食の写真が何点も展示されているが、なんと言っても目を引くのは、
あの、1963年7月21日の、北海道知床で見られた日食の写真だ。朝日に染まるオホーツク海と、そこに浮かぶ国後島の
上に、輝くコロナが連続写真で捉えられている。東京理科大隊の撮影によるもので、今回の日食が迫って、最近また
あちこちで目するようになった作品だが、私には、大学のクラブのBOXにあった写真と同じ構図に見える。そう、我らが
先輩方も、この日、この場所で皆既日食を観測し、写真を撮ったのである。バイブル1963721の世界だ。これ以上美しい
日食の写真はない!思わず気分が高揚し、

 「これです! これが私の日食の原点です!」

と、声高に先ほどの女性に話しかけるが、さしたる反応はかえって来ない。彼女は、自分が見てきたトルコ皆既日食の
写真にしか興味がないようだ。
 
 日食への思いは、人によってさまざまなんだと思い知らされた次第。
 
 次のコーナーには、皆既帯の中心として世界の注目を集めている悪石島の「ボゼ」という神様が飾られていた。異様な
顔つきの巨大な面に、椰子の木の葉みたいなものをまとい、手には太い杖を持ったいでたちで、南洋の島かアフリカの奥地
の祭りにでも出てきそうな神様である。この装束を人間が身にまとうのだが、面が巨大なので、大変に大きく感じられる。
身の丈は2メートルを優に超えるだろう。若者がこれを身につけて、子供を脅かしたり、踊ったりするのだという。秋田の
なまはげに似た風習なのかもしれないが、面の表情は、なまはげとはだいぶ違う。なまはげは人の顔をベースにした鬼の
表情だが、ボゼは無機的というのか、昆虫的と言うのか、茶色いバルタン星人の顔に見えなくもない。顔から下は、杖を
持って椰子の葉をまとって、コナキジジイに似ているというべきか。
 
 ここに展示されている仮面は紙で作った張りぼてらしかったが、ボゼの仮面や装束は、そのつど作っては壊すのだそうで、
木などで丈夫に作ることはしないのであろう。
 
 悪石島のボゼは、本来はお盆にしか登場しないのだが、今回は日食で多くの人が来島するので、特別に披露してくれる
ことになったという。やっはり、悪石島に行くべきだっただろうか?鹿児島県の無形文化財だそうな。
 
 出口付近には、鹿児島の子供たちが作ったてるてる坊主が、壁一面に飾られていて、

「7月22日、晴れるといいね!!」

と書いてある。晴れますとも!梅雨も明け、台風もそれたんだから・・・。
 
 先ほどの女性に、皆既日食のイラストをあしらって自作した名刺の、記念すべき1枚目を受け取っていただく。(普段は、名刺なんて持ってないのに!)

 宝島へ行く人との最初のご対面であった。
 
天文館
 
ドルフィンポート近くにとってあったビジネスホテルにチェックインする。ここは、いづろという所で、ここから天文館と
いう所にかけてが、鹿児島で一番の繁華街である。昔、薩摩藩の天体観測所「天文館」がここにあったことが
地名の由来だという。
 
天文館!すばらしい名前ではないか!
 
通りはアーケード街になっていて、ここも皆既日食一色である。皆既日食をあしらった大きな旗やポスターが、あちこちに
ディスプレイされている。
 
 晩飯を食いに行こうと大通りに出てみると、あの壮麗なデパートがライトアップされて美しさを増している。まさにこれ
は文化財だ!世界遺産だ!そういえば、あの市役所はどうだろう?ヒザに関節症の爆弾を抱えているのも忘れて、足を速め
る。これも、見事にライトアップされ、すばらしい眺めだ。さらに市内をうろつくと、これまた美しくライトアップされた
石造りの建物。公民館だという。維新の街 鹿児島は、風格ある建物だらけだ。
 
 公民館の先の小高くなったところに、西郷さんの銅像が立っていた。上野公園の西郷さんは浴衣を着て犬を連れた庶民的
な姿だが、鹿児島の西郷さんは陸軍大将の正装だ。反乱軍の総大将を国民的英雄にしなければならなかった東京政府と、
明治維新を成し遂げた郷土の英雄をたたえる鹿児島の違いがここにある、と何かで聞いた記憶がある。西郷さんと遠近法で
並んで記念写真。
 
 天文館の繁華街に戻って、なにか鹿児島の名物料理を食べようと見て回るが、いわゆる郷土料理は料亭風の立派な建物で
しか食えないようで、ジャージ履きの一人客が入れる雰囲気ではない。またしても羞恥心が頭をもたげている。どこに入っ
たら恥ずかしくないか、賑やかな天文館の街を、隅々まで何回も行たり来たりする。
 
 数メートルはあろうかという巨大なシロクマのぬいぐるみのある店がひときわ目を引いている。ゲームセンターだと思っ
て通り過ぎたが、実はこれは、「しろくまくん」という鹿児島名物のアイスクリームの店だったようだ。旅から帰った後、
近所のスーパーで九州フェアの催しがあり、そこで「しろくまくん」を売っていて、おそまきながら気がついたのであった。
 
 さんざん食い物屋を物色したあげく、最近我が町にもできた、「まいどおおきに○○食堂」という、その土地の地名を
冠した一膳飯屋のチェーン店に入るのやむなきに至る。ここでは「まいどおおきに天文館食堂」だ。結局オレは、新しい事
ができないなあ・・・。メニューに薩摩揚げがあったのでこれを手始めに、鹿児島風のものと自分の好みのものと、いつに
もましておかずを取ってしまう。(このチェーン店は、並んでいるおかずの皿を自分で取るようになっている)ご飯は当然
の大盛り。ふだんなら六〜七百円で上がるこの安いメシ屋で、千数百円分も食ってはカロリーの取りすぎも甚だしい。

店のおばちゃんたちの話す鹿児島弁が新鮮であった。
 
 
明日のために
 
 今夜、洗濯をしておけば、今後の衣料事情が大いに好転する。今しがた、さんざん歩き回ってきた天文館の街は、繁華
すぎてコインランドリーにはついぞお目にかかれなかったが、ホテルには、一台だけコインランドリーがあり、現在だれか
が使っている。なんとしても今夜中に洗濯をしておきたいので、何度も状況を確認に行くが、洗濯が済んでも、洗い物の
主はなかなか現れない。
 
 「なんたる公共心に欠ける輩であることか!」

イライラしながら、一時間ほど洗濯機詣でを繰り返し、ついに堪忍袋の緒が切れてフロントにねじこむことにした。フロントの人は、
大きなビニール袋を出してきて、

「これに洗い物を移して、ランドリーを使ってください。」

という。
 
 ホテルの方にも立ち会ってもらって、洗濯物を袋に移し始めたら、そこへ洗い物の持ち主が現れた。先ほど、フロントへ
ねじ込んだときの勢いはどこへやら、

「フロントの方がこうしろとおっしゃったので・・・」

と、しどろもどろに言い訳けを始める自分が情けない。世の中、どうしてこうも私に不都合なタイミングで物事が回っているので
あろうか。
 
 それでもなんとか無事に洗濯を済ませ、衣類に一日分の余裕ができたのはありがたい。
 
 今夜が、確実に100ボルト電源を利用できる最後の晩である。ここで、事前の計画通り、持ち合わせのバッテリー類に
最後の充電をしておかなければならない。この先、船の中ではコンセントは使用禁止だと言うし、奄美大島でも宝島でも、
電源を利用することができるかどうかはっきりしていないのである。カメラ、ビデオ、携帯などの電池を、使ったものも、
使っていないものも、もう一度全部フル充電しておかなければならない。持ってきた三つ叉のソケットをコンセントに差し
込み、タコ足配線で充電にかかる。床中を、充電器のケーブルが這い回っている。
 
 電池や充電器の類は、プラスチックのケースに入れて持ってきた。充電が済んで、再びケースにしまおうとするが、これ
がなかなか収まらないのである。小さな入れ物に、かなり工夫してきちんと入れてあったので、元通りの位置に納めないと
入りきらないのだ。まるでパズルみたいだ。時間がかかり、うまくいかない。バッテリーだけでこの始末だ。日食終了後の
機材撤収作業が思いやられる。帰りの時間に追われて、最後はむやみに箱の中に放り込むことになるのだろうか?収まらな
かったらどうしよう・・・。そういえば、送った荷物は、今頃どうなっているのだろうか。無事に宝島に着いただろうか?
 
 明日の、ツアーの集合時間は午後4時だ。それまで何をしよう。予定では桜島に渡るつもりだったが、西郷さんゆかりの
地を見て回るのも魅力的だ。部屋に、市内の観光案内のチラシが置かれている。市内の主要な見所を回るバスも、30分
おきに出ているという。まあいいや、明日の、出たとこ勝負だ。
 
 今日の締めくくりに、バイブル『1963721』を取り出す。大先輩方の、北海道への日食遠征記を今一度ひも解き、これに
あやかって、今回のトカラ皆既日食の成功を祈る。あれから実に46年、日本で再び皆既日食が起こるのだ。それがもう
すぐ見られるのだと思うと、読み慣れた『1963721』が、また新鮮に思えてくる。
 
 夜も更けた。思えば、長くて密度の濃い一日だった。久しぶりの一人旅、忘れていた何かがよみがえって来たような気が
する。
 
皆既日食まで、あと4日と迫った、鹿児島の夜であった。
 
 

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