2009722 トカラ列島 宝島
-出撃-
トウブ戦線異状ナシ
私は、毎日鏡を見る。髪は、ずいぶん白くなった。しかし、白髪の人はハゲないというから、これは喜ぶべきこと
である。若い頃は髪が薄いなどと言われ、よくからかわれたものだったが、今こそ、あの悪口雑言の輩めらを見返す
ときがやって来た。私の額のトウブ戦線はこのところ膠着状態が続いている。一歩も引かぬ覚悟で守り抜く。予の辞書
に「後退」の文字はない。「トウブ戦線異状ナシ」バンザイ!である。
だが、いくさというものは正面方向だけで行われるものではない。時に敵は不意を突いてくる。正面のトウブ戦線が
膠着状態になってきた頃、敵は私のトウブの後ろや上に、その魔の手を伸ばしてきていたのである。
中学に上がった次男は、バスケット部に入った。今時の中学の部活動は、親も時々練習を見に行くものだという。
私も父親の勤めを少しは果たしてきた。
上級生のお母さんたちが話している。
「今度入ったK君のおうちはとっても熱心なのよ。おじいさんも時々練習を見にいらっしゃるし・・・。」
私の父に聞いたところ、練習を見に行ったことは一度もないという。妻の父は、遠方にいるので、来たことはない。
「K君のおじいさん」とは、いったい誰のことか?
この話に衝撃を受けた妻は、私を洋服屋に連行した。ちかごろ巷で言われるチョイワルオヤジになれと言う。
四半世紀ぶりにジーンズをはかされる。それも、ド派手な刺繍と装飾金具が付いた、まるで茶髪にピアスに腰パンで、
スケボーを持ったおニイちゃんがはくようなやつだ。Tシャツと、その上にはおる半袖シャツは、これまた若向きの
派手なデザインだ。
「皆既日食に、この格好で行って来なさい」と妻は言う。
私は優良会員表彰を受けるようなキョーサイ組合員であるゆえ、妻のご意向に逆らうことはできない。ジーンズだけは、
かさばる上に厚手なので真夏の旅には勘弁してもらったが、派手な上半身は受け入れざるを得ない。ズボンはジャージの
風通しのよいやつが良いのだが、家にあるのは長年使用してくたびれたやつだけだった。財政事情は逼迫している。
ほしがりません、ニュージャージは!
旅に行く時にはさらに、旅行会社が必需品だというサングラスをかけ、熱中症対策に用意した麦わら帽子をかぶることと
なる。この帽子は、とてもダサイので、島へ着くまではかぶりたくなかったのだが、どうやっても宅急便に入らなかったのだ。
用意したものを身にまとってみる。
よれよれのジャージズボン、派手なTシャツと半袖シャツ、サングラス、麦わら帽・・・まことにアンバランスで
ある。さらに大きなリュックを背負い、メタボなお腹にウエストポーチを巻きつけ、手にはカメラやビデオを入れた
大きな布袋を持つ。その姿は、もはや「珍妙」という以外に言葉が見つからない。この格好で名古屋の街を通り、
オシャレな中部国際セントレア空港から鹿児島行きの飛行機に乗るのか・・・。どう考えても恥ずかしい。
いや、「旅の恥はかきすて」だ。「袖ふれあうも多生の縁」というが、多生は「多少」・「他生」であって、要するに、
旅先ですれ違った人と再度まみえることは、我が人生においてまずないのである、などと、折れそうになる心を
無理矢理立て直す。
新聞の取り込みを隣人にお願いし、一週間後に帰宅する自分に宛てて、荷物の中に分散して隠した所持金のありかを
備忘メモに残し、20年も飼い続けている鈴虫(今年も百匹以上が孵化した)に一週間分のエサとしてキュウリを一本、
丸ごと与え、出発への準備も最終段階に入る。
ネットで天気を確認すると、今まで無かった台風が、遠くフィリピンあたりに発生している。当日のトカラの天気
予報は、「晴れ時々曇り」から「曇り時々晴れ」に格下げされている。いささかの不安材料ではあるが、しかし、
精神一統何事かならざらん!行くよ一途に宝島!
かくて、その日がやってきた。今日も鏡に向かって髪を整える。本日、トウブ戦線異常ナシ!
出撃の時は来たれり。タクシーを呼んで、高速バスの乗り場を目指す。手首の骨折で車を運転できなかったとき、
よくお世話になったタクシー会社なので、運転手さんは私のことをよく覚えていた。降り際に「出張ですか?」などと
尋ねられる。この恥ずかしい格好で、「出張」はないだろう・・・
関東甲信地方の梅雨明け宣言からすでに数日、今日もショボショボと雨が降っている。
時に西暦2009年7月18日、土曜日の朝であった。
名古屋の屈辱
高速バスは順調に名古屋駅横のバスセンターへと到着した。田舎者の私は、名古屋のような都会へ出ると、いつも
緊張する。昔、名古屋から近鉄に乗ろうとしたときの経験が、苦々しく思い出される。JRの改札を出て、駅員さんに
「近鉄のホームはどこですか?」と聞くと「ここですよ!」と言われた。横を見たら、私のすぐ脇に、ちゃんと近鉄の
電車が止まっていたのである。私は近鉄名古屋駅のホームに立ちながら、近鉄名古屋駅のホームの場所を聞いていた
のであった。
今回は名鉄に乗るのである。あたかも都会人のごとく、華麗かつ優美に振る舞いたいと願いつつ自動券売機の前に
立つが、案の定、そうは問屋がおろさない。
「ミューチケットを使うか使わないか選べ」とディスプレイが要求してくる。何のことかわからない。悩んで
いると、しだいに後ろの行列が延びてゆく。脂汗を流しながら、神にすがる言葉と、名鉄を呪う言葉をつぶやくが、
奇跡が起こる様子もない。何気なさを装いつつ券売機の前を離れ、また列の後ろに並ぶ。しかし、何度券売機の
前まで進んでも、やっぱりわからないのである。ええい、ままよ、と、セントレア空港行きで一番高い切符を購入
すると、頼んだ覚えもないのに、座席指定の切符が出てきた。
ミューチケットというのは、どうも空港行きの特別車の指定席のようなものであるらしいと、あとでわかった。名鉄
には様々な特急があり、特別車が付いているのだという。
実は、名鉄には「ミュースカイ」という名の空港行き専用特急列車と、快速特急と、特急と、特急だけでも三種類がある。
さらに、特急にも、一部特別車つきとそうでないものがあり、そのうえさらに、快速急行・急行・準急・普通と多種多様な
列車が用意されているのであった。いったい何種類あるんだ!?田舎者を惑わせ、恥をかかせ、名古屋人が優越感に浸る
ためにやっているとしか考えられない。ミューチケットだの、ミュースカイだの、意味のないカタカナを使うんじゃねえ!
ちゃんとわかるように書いとけ!
さて、名鉄のホームに出ると、私の指定された列車が入線してきたが、ほかのホームを見ると、この列車より先に
出る列車があるようだ。そちらの方が空港に先に着くのではないだろうか。なんだよ、高い金取ったくせに。知らない
と言うことは、本当に損なことである。
私が乗る列車の車体には子供たちが大好きなポケモンの絵が描かれている。ポケモンの中でも賢いヤツをたしか
ミュウといったなあ、やっとカラクリがわかったぞ!ミュウと空港をあわせてミュースカイで、その切符が
ミューチケットだ、と車体を眺めると、列車の窓に己の姿が映っている。覚悟していたつもりだったが、鏡に映った
あまりに珍妙な己が姿に、タラ〜リたらりと脂汗が流れてくる。まるで筑波の四六のガマだ。こんな姿で名古屋駅の
中を歩き回っていたのかと思うと、いたたまれない。ミュウの絵をバックに記念写真を、などという旅の華やいだ
気持ちも一気に萎えてしまう。
指定席に座ってみるが、周りはガラガラで、ほとんど乗客がいない。後ろの車両には自由席でもあるのか、そちらに
は人の出入りが結構ある。あれ、ミュースカイは、全席指定じゃないのかな?これはミュースカイじゃなくて、一部
だけ特別車の特急なのか?ミューの絵が描いてあるのに・・・。わざわざ高い金を出して、指定席をとらなくても
よかったんじゃないか、と思うが、システムのよくわからない名鉄の列車に、指定席なしで乗れたかというと、それも、
わかったものではない。
ともあれ、席を独り占めして、心も少しは落ち着きを取り戻すと、「ああ、一人旅なんて、何年ぶりだろう」という感慨が
湧いてきた。大きくはないが、古くて重厚な造りの民家が沿線に立ち並んでいるのを眺めつつ、知多半島を30分ほど
南下すると、海の向こうに人工島が見えてきた。華麗なる中部国際空港 セントレアである。列車は空港の玄関口に
到着した。
セントレア
飛行機はネットで予約しておいた。カウンターに行ってみると、ネット予約者は自動発券機でチケットを受け取れと
言う。またしても自動発券機!名鉄の切符の二の舞になるのではないか?おっかなびっくり機械を操作すると、JRの
指定切符ぐらいのサイズの券が出てきた。私の知る飛行機の切符と言うものは、サイズはお札ぐらいで、何枚か複写式
になっていて、表紙があって綴じ込まれていて、読めないような字で飛行機の便などが書かれていて、威厳がなくては
ならないものだ。機械から出てきたこんなJRの切符程度の券で、本当に飛行機に乗せてくれるのであろうか?心の
奥で自動券売機のトラウマが疼いている。
今回の旅で、皆既帯にたどり着くための絶対の条件は、決められた時間までにツアーの集合場所にたどり着いている
ことである。そのために、不慮のアクシデントがあっても対応できるように、交通機関の時間にはかなり余裕を見て
おいた。空港に着いたのは昼前だったが、私の乗る飛行機の出発は夕方である。幸い今日は飛行機は飛びそうなので、
急遽新幹線に切り替えて西を目指す必要はなさそうだ。ということで飛行機の出発までたっぷりと、4時間ほどの時間
ができた。
中部国際空港セントレアは、飛行機に乗らない人も楽しめるように、レストランやショップがたくさんはいっていて、
見どころも多いという。空港内を見学するツアーまであるほどだ。そこで、まずは旅客ターミナルビルの屋上に出て
飛行機の離発着を見物する。この屋上をスカイデッキと呼ぶのだそうだが、西に見える滑走路に向かって直角に、
細長くつきだした展望スペースである。先端の、もっとも滑走路がよく見える場所まで数百メートルはある。老人性
ヒザ関節症の発作が起きないか、私には歩いて行くのが不安になるほどだ。警備員が何人も巡回しているが、
移動距離が長いせいか、彼らは立ったままロボットのようなものに乗って移動している。
「ウ〜ム、さすがは二十一世紀!」と鉄腕アトム世代は感激する。
曇り空で、蒸し暑い。スカイデッキにいると雲を通して日光に肌を焼かれている感じだ。そうかと思うとパラパラと
雨が落ちて来たりもする。ここは関東甲信地区ではないから、今年はまだ梅雨が明けていないのだ。
意を決してスカイデッキの先端まで行ってみる。さすがは国際空港、大小様々な飛行機がひっきりなしに離発着して
いる。滑走路の向こうは海だ。思わず気持ちが高揚し、カメラを出してパシャパシャと写真を撮る。日食に備えて、
カメラのカードの記憶容量は節約しておかねばならないとは思うのだが、ついついたくさん撮ってしまう。このスカイ
デッキの先端部は、飛行機の撮影には最適の場所だ。気がつくと周りには、カメラを持った連中が何人も陣取っている。
みんなスグレものの望遠レンズをつけていて、私の300ミリズームがみすぼらしく見えて来る。きっと、皆既日食の
島でも同じ気持ちにさせられることだろう。
高級レンズを持っている何人かは、イヤホンを耳に入れている。どうも音楽を聴いているのではないようだ。片方の
耳にだけイヤホンをつけ、ズボンのポケットからシークレットサービスみたいな無線機をのぞかせている。きっと管制塔と
飛行機のやりとりを傍受して、生の離発着情報を入手しているのであろう。マニア、恐るべしである。
飛行機を見ているうちにテンションが上がって、気分はすっかり旅モードに入ってきた。スカイデッキに手頃な、
カメラをおける構造物があったので、そこを三脚代わりにして、ウキウキと人目もはばからず記念写真まで撮ってしま
った。しかし、写真をディスプレイで見て愕然とする。やっぱり撮るんじゃなかった。珍妙なコーディネートに加えて、
ウエストポーチのおかげで、メタボのお腹がいっそう膨らんで見える。
旅客ターミナルビルの中には食堂・レストランをはじめ、多種多様な店舗が入っていて、たいへん賑わっている。
お昼をどの店で食べようか、と物色するが、やっぱり名古屋は味噌カツだ。大学受験の折に初めて食べて感動し、
以来名古屋に来ると必ず食べることにしている名古屋の絶品メニューである。勝つためにはカツだ!トカラ皆既日食大作戦
の必勝を祈念し、いちばん大きなサイズを注文する。かつて太平洋戦争の開戦劈頭、真珠湾攻撃に向かう飛行隊員は、
赤飯とタイの尾頭付きで出陣を祝したというが、もしこれがトンカツであったなら、あの戦争の趨勢もまた違ったものに
なっていたのではあるまいか、などと不謹慎なことを思いつつ、一人カウンター席で味噌カツにかぶりつく。
やっぱ、うまいわ!味噌カツは!
必勝祈願の食事も終わり、腹もふくれたが、まだまだ時間はたっぷりある。セントレア空港には、風呂があるという。
旅に出て間もない、というより、ほとんどこれから旅が始まるようなものであるが、第一日目前半の旅の疲れを癒す
べく、入浴料1000円也を奮発する。ありがたいことに大きなリュックはカウンターで預かってくれ、大小のタオル
も貸してくれる。日頃は職員住宅の小さな風呂に窮屈に入っているので、大きな湯船で手足を伸ばすのは久しぶりだ。
空港で大きな風呂に入るのというのは、それだけで贅沢な話であるが、なにより贅沢なのは、お湯につかりながら
飛行機の離発着が見られることである。特に展望風呂というスペースがあり、露天風呂風の造りになっていて、ガラス
越しではなしに直接外を見ることができるようになっている。さすがにそのままでは、飛行機から丸見えだから(遠い
から、双眼鏡でも無ければ見えないだろうが)、板塀で目隠しがしてある。滑走路を見たい人は立ち上がって、その
板塀の上から顔を出して見るのである。空は相変わらず曇っているが、雲が薄くなってきたのか、西に回った太陽の
位置がおぼろげにわかる。その空を背景に、飛行機が次々と離発着を繰り返している。マニアならずとも、つい見とれ
てしまう光景であるが、ふと気がつくとオッサンが何人も、スッポンポンのまま立ち上がって、板塀越しに飛行機を
見ている。私もその一人だが、この光景を異様と言わずしてなんであろう。空港展望風呂を考えついた人は中々の
アイデアマンだと思うが、このようなブキミな光景が出現することまでは想定していなかったにちがいない。世の中、
往々にして想定外のことが起こるものである。
風呂を出て、再び珍妙な姿に身をやつし、いよいよ搭乗手続きをする。前述の、自動発券機から出てきた頼りない
切符は、ちゃんと搭乗券と交換できた。セキュリティチェックも、怪しい風体だからといって足止めされることは
なかった。以前は、テロ(液体爆弾)対策で、ペットボトルは持ち込めなかったと記憶しているが、今ではペット
ボトルを置くだけで、中身を確認してくれる機械が備えられていて、持ち込みができるようになったのは印象的で
あった。
機内持ち込み荷物のサイズに関して、以前はかなりおおらかであったが、最近は厳しくなってきたようで、「この
サイズ、一個だけ」、というような掲示ががあちこちに出ている。背中の大荷物のサイズは大丈夫だろうか?ウエスト
ポーチは二つ目の荷物だと言われないだろうか?どうも心配性である。
次第に乗客が集まってくる。ちょうど学校が夏休みに入った時期で、鹿児島へ帰省するという感じの家族連れと、
ビジネス風の人は結構いるが、皆既日食目当てらしい客が目に付かないのは、ちょっと拍子抜けだ。探検隊みたいな
格好をした人がいてくれると、私の珍妙な姿も少しは目立たなくなるのだが・・・恐れていたとおり、麦わら帽に
ジャージズボン姿の乗客は私だけであった。(帽子は、もはや、かぶってなどいられず、手に持ってごまかしました。)
飛行機は定員170人前後の、あまり大きな機体ではないので、どの席に座っても窓の外が見えるのはいいことだ。
飛行機に乗りながら窓の外の景色に興味を示さない人を時として目にするが、信じられないことである。飛行機も
乗り慣れるとああなるのだろうか?どんな展望台よりも、どんなジェットコースターよりも、いやエベレストよりも
高いところから景色を見られるのに・・・。私は極度の高所恐怖症であるが、飛行機だけは恐れずに高いところから、
窓の外を眺めることにしている。今回の座席は、右の翼の少し前の、一番窓側である。右側の景色も見えるし、翼や
エンジンも見える。いい席だ。すぐにカメラを出せるように、座席の足下にリュックを置く。
飛行機は、ジェットエンジンの力を絞りつつ、誘導路をゆっくりと移動してゆく。この音!この動き!発射台へと移動
するサンダーバード2号の気分である。路面に描かれたラインや点滅するランプが一段と気分を盛り上げる。何度
乗っても、良いものだ。滑走路手前でしばらく待機。発着便の多い大空港は、渋滞するのだ。ラッキーにも、窓から
飛行機のランディングポイントが見える好位置で止まってくれた。早速カメラを取り出して、パシャパシャを始める。
空港の端まで行ってUターン、反対側の窓から海が見えた。海の上の滑走路、まるで空母だ!
「風に立て!」思わず空母用語が頭をよぎる。
機体の軸線が、滑走路のセンターラインにピタリと乗った。
パワー、全開!エンジン音が一気に高まり、振動が伝わってくる。
「発艦、はじめェ〜!」(ここは空母じゃないってば・・・)
ド〜ンと言う轟音とともに、機は離陸を開始した。
目指すは鹿児島は、湾の形が真珠湾にそっくりで、開戦前に飛行隊が攻撃訓練を繰り返したところだという。
どこまでも発想が不謹慎・・・。
梅雨空を飛ぶ
離陸すればすぐに海の上だ。海は茫気に霞んでいる。飛行機は伊勢湾上空を旋回しながら、急角度で上昇してゆく。
断雲が次々と、傾いたままの窓の外を過ぎる。ついさっきまでそこにいた空港は、もうずいぶん小さくなってしまった。
低空は、いちめんに断雲がボコボコと頭をもたげ、上空は、なめらかな絹布を一面に広げたような雲が覆っている。
飛行機に乗るときはいつも、自分の頭の中の地図と、眼下の地形を比べて、今どこの上空なのか考えるのだが、
なかなか分からないものである。だが今は、離陸して間もないから、西に見える平野や川は、間違いなく伊勢の国の
ものであろう。さらに進んで、紀伊半島の南側とおぼしきところに出る。複雑に入り組んでいる地形は英虞湾あたりか。
窓にかぶり付くようにして、外の光景に見とれる。かなり高度が上がってきたようだ。
まだ梅雨が明けていない陸地は、相当に湿気を含んでいるのだろう。地面は紫に淡く霞み、その上に白く水蒸気が
もやっている。山々は、高い山も低い山も、みんなてっぺんに座布団を乗っけたように、雲をかぶっていて、山裾だけが
白い座布団からはみ出している。山頂よりもう少し上には、断雲がゆっくりと行き交っている。ずっと高いところには
薄ねずみ色の一面の雲。山頂、その上、高空と、雲が三層構造をなしている。そんな景色がどこまでも続いている。
海と陸の境界が明らかだ。陸地は雲だらけだが、海の上にはほとんど雲が無い。海陸がはっきりとわかれている。
今日は土曜日で、我が職場は休日なのだが、夕方からイベントがあり、ほとんどの同僚はボランティアで出ることに
なっている。そろそろみんな集まっているころだな、と思うと、いささか後ろめたさがわいてくるが、しかし、今日は
公には休みの日なのだと自分を励まし、飛行機はさらに西を目指す。
高知沖を通過中というアナウンス。なるほど、あの海岸線の湾曲は、土佐湾のそれではあるまいか?足摺岬らしき
半島の南を通過する。節約しなければ、と思いつつもシャッターをどんどん切ってしまう。デジカメになって、枚数を
気にせずどんどん写すクセがついてしまっているのだ。日食を写すメモリが無くなってしまうのではないだろうか?
さらにしばらく海上を飛ぶ。たぶん日向灘だ。やがて正面に、まっすぐな海岸線が見えてきた。南北に長く延びて
いる。きっとあれは日向国、宮崎県の海岸線にちがいない。今日のフライトは、見えた地形と、頭の中の地図が珍しく
よく一致する。
いよいよ九州上空に入る。飛行機は高度を下げ始め、紫に霞んでいた地表が色を取り戻し始める。田んぼ、畑、建物、
道など地上のものがはっきりと識別できるようになってきた。西日が横からの光線となって、色彩もコントラストも
鮮やかである。
いままで山の頂にかかっていた雲が、次第に飛行機と同じ高さになり、その隙間から一瞬、霧島連山の一部と思われ
る、高くて大きくて美しい山が顔を出す。細長い円錐台の形をした火山だ。(後に調べたところでは、この山は夷守岳
:ひなもりだけ:だったのではないかと思う。その形から生駒富士とも呼ばれるという。)さらに降下を続け、地上の
建物の構造までわかるようにになったころ、機は湾の上に出た。桜島こそ見えないが、鹿児島湾(錦江湾)に違いない。
ついにここまでやってきたのだ。
湾の上で旋回し、北に進路を取る。再び陸地の上に戻ると、鹿児島空港が見えてきた。空港は自分が思っていたより
かなり内陸にあり、今日は南側からの進入となる。ベルト着用の「ポーン」と言うサイン、「グゥー」と車輪が下りる音。
補助翼が出て、機は着陸に向けて速度を落としてゆく。
右窓に見える霧島連山は雲をかぶっているが、全天の雲量はぐっと減って、空が晴れてきた。金色の西日に、木々や
畑の緑が際立っている。そのすぐ上を、飛行機は滑走路に向かって降りてゆく。時計は午後五時を少し回ったところ。
南国の夏空は、まだまだ日が高い。
この章の行動概略 2009年7月18日(土)
8:49 高速バス乗車
10:38 名鉄バスセンター 着
? 名鉄にて中部国際空港セントレアへ
11:30過ぎ 中部国際空港セントレア 着
15;45 中部国際空港セントレア 発 ANA355便
17:05 鹿児島空港 着
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