2009722 トカラ列島 宝島
- 梅雨よ、明けろ-
期待
少し時間を戻して、6月下旬のある日のこと。
梅雨曇りの空が、夕方近くに晴れて来た。夏至を過ぎたばかりの夕空は、日が沈んでもなかなか輝きを失わないが、
その光もやがては白く淡く収まって行く。久しぶりの爽やかな暮れ時だ。西に向かって延びる、緑を濃くした桜の並木
のその先に、ポッカリと白い三日月がかかってた。
ついに来た!いよいよ月は、日食前の最後のサイクルに入ったのだ。この三日月が、満ちて、欠けて、やがて新月に
なる。その時こそが、まさに皆既日食が起こる時なのだ。とうとうカウントダウンが始まった、と思うと、気持ちの昂ぶりを
押さえられない。
6月下旬と言えば本州はまだ梅雨半ばだが、もう沖縄では梅雨が明けるころだ。そこから奄美大島、そしてトカラ
列島、九州と、「梅雨明け」は着々と北上して来るのである。
「梅雨明け10日」という言葉がある。梅雨明けから10日間ほどは、天気が安定して落ち着いた晴天が続くと言う
ことである。自分のイメージでは、本州の梅雨はだいたい例年7月の20日頃には明けるから、日食の起こる22日には、
本州でも梅雨は明け、「梅雨明け10日」の安定した天気に入るであろう。トカラでは日食の日には「梅雨明け10日」
を過ぎているかも知れないが、大丈夫、真っ青な夏空が広がるさ。(楽観的すぎる?)
夏は日差しが強いから、地表付近の空気が暖められて上昇気流が発生する。とりわけ午後になると、その影響は
大きくなり、天候が不安定になるという。夕立などが、その典型的な例である。しかし、皆既日食は午前中に起こる
から、天候は安定していて、心配は不要である。(これまた、素人の楽観か?)
インターネットで、過去の天気を検索してみると、宝島に一番近い場所では奄美大島の名瀬のデータが見つかった。
距離も近く、地理的な条件も大差ない(と思われる)から、宝島も同じような天気であろう。
過去10年分くらい、7月の記録を眺めてみる。異常気象の年を除いて、7月はほとんど毎日「晴れ」マークである。
曇りや雨のマークは月に3日ほどしかない。それは、主に台風によるものであった。台風と異常気象という突発的で
変則的なことさえなければ、この時期のあのあたりは、毎日晴れるのだ。楽観は確信に変わる。皆既日食は頂いたも
同然である。
いや、ちょっと待て。「梅雨明け10日」や「午後の天気」は、標高の高い、私の地元の山岳地帯だけの話だったかな?
梅雨明け
2009年7月14日、関東甲信の梅雨が明けた。例年、東北の北の方を除いて本州各地の梅雨明けは7月20日ぐらい
だと記憶しているから、かなり早い梅雨明けである。しかも、四国も、中国も、近畿も、東海もまだなのに、関東甲信
だけ梅雨が明けたという。変な話であるが、まあ、いいさ、天文趣味に梅雨明けは朗報である。関東甲信で梅雨明けと
言うことは、はるか南のトカラ列島では当然もう梅雨は明けているはずだ。トカラは、まるで皆既日食を歓迎するかの
ような、晴天が続く時期に入ったのだ。後は台風が来ないことを祈るだけだ。
梅雨が明けて、さわやかな夏空が広がり、太陽撮影のリハーサル、と行きたいところだがすでに望遠鏡以下ほとんど
の道具は宅急便で送ってしまった後である。北極星を使わずに極軸合わせをする方法など、細かいことではまだまだ
やらねばならないこともいろいろ残ってはいるが、暑さに体を慣らし、体調を整え、あとは旅の途中の鹿児島や奄美で
どうやって過ごすかでも考えて過ごそう。出発まであと一週間ほどである。 ウン? 夏空が広がり・・・?
他の地区はいまだ梅雨のさなかだが、関東甲信だけ梅雨明けが発表されている。7月14日に梅雨は明けたはずなの
だが・・・。
ある朝、ものすごい雨音で目が覚める。こんな事は我が人生で初めてだ。外は豪雨、早朝5時であった。
別の朝には、窓から見える電線で鳥が2羽、雨に濡れながら寄り添っていた。
毎日毎日こんな具合で、まるで梅雨末期と変わらない天気である。本当に梅雨は明けたのだろうか?
この年は長雨が続き、関東甲信を除く本州各地は8月に入ってもまだ梅雨は明けなかった。そしてこの年、東北地方
はついに梅雨明けは宣言されなかった。異常気象である。地球温暖化が叫ばれながら、8月半ばまでは冷夏であった。
こうなってくると、7月14日の関東甲信の梅雨明けも、マユツバものである。雨の降りぐあいからすると、実は明け
ていなかったのではあるまいか。
まあ、本州はさておき、遙か南の海に浮かぶトカラは、どうやったって梅雨明けしているはずである。心配は無用の「はず」
である。
鹿児島・奄美情報
出発の日がだんだん近づいてくる。今まで自分は宝島のことばかり考えてきたが、旅の途中、鹿児島と奄美でもほぼ
一日ずつを過ごすことに思い至った。初めて訪れる土地である。それなりに有意義な時間を過ごしたいではないか。
鹿児島出身の友人はたくさんいた。彼らから聞いた鹿児島の印象は、イモ焼酎と桜島の火山灰である。桜島へ渡って
火山にまつわるところを巡ってみようか。温泉もあるとう。
奄美の印象は、なんといってもハブだ。ハブ撃退用の長い棒は、今でも道端に本当に置かれているのであろうか。
奄美の北部には、風光明媚な珊瑚の海岸がたくさんあると言うが、島の北部は皆既帯に入るから、日食見たさの
人でごった返してしているかもしれない。うっかり島の北部へ行くと道が混んでしまって、宝島行きフェリーの出発時間
までに戻ってこれなくなるのではないか。第一、交通手段もあまりないだろう。そうなると、すべてが台無しになるから、
フェリー「としま」が出る名瀬港から、そう遠くへは行かない方が無難だろう、などと考える。
あれこれ調べ、名瀬港から数キロ離れた海辺の公園(大浜海浜公園)を観光の候補地とした。海水浴場と屋内遊泳
施設(タルソ竜宮城というそうな)があり、送迎バスも出ているらしい。海水浴でもして、風呂にでも入って、その
あと水着は公園の水道で洗って干して(炎天下の長旅と水不足のトカラ列島を思うと、どうしてもこの発想から逃れら
れない)、そこからなら、もしバスなどが無くても、なんとか歩いて港へ戻る事もできる。そして時間が余れば、図書館か
何かで涼しく過ごす、という計画を立てた。
ここまで考えて、ふと思い出した。大学時代の天文サークルの後輩に、潜水が好きで奄美へ何度も行っている男が
いる。(この人のことは「- 今からでも、遅くない -」の章で触れた。奄美はすでに皆既日食ムード一色に染まっている
という情報を半年ほど前に彼から聞いた、というハナシ。)奄美の観光のことなら、彼に聞けば良いではないか。
きっと良いアドバイスをしてくれるに違いない。懐かしい声も聞きたいし、なんと言っても今回は、皆既日食を見に
行くのだと、鼻高々に自慢もしたい・・・。私は心弾ませて、何のためらいもなく、彼の電話番号をプッシュした。
出発を2週間ほど後に控えた、日曜日の晩であった。
雨男伝説
かつて、『天文と気象』という雑誌があった。この雑誌の名前のように天文と気象と、両方に興味のある方は幸せで
ある。晴れても曇っても雨が降っても、興味の対象が常に空にあるからである。ところが、天文には関心があるが、
気象にはあまり興味がない、という向きには雲は邪魔者以外の何者でもない。そして神様は、往々にして我々天文
ファンの期待を裏切りたもうては、空に雲をお広げになる。
いや、それを神様のせいにするのはバチ当たりというもの、まさしく神をも恐れぬ所行である。そこで人は、天気が
悪いことの責任を神様以外の何者かに転嫁したくなる。こうして、雨男伝説が流布する下地は作られていくのであった。
たまたま彼がいたとき、よく雨が降ったというだけで、「犯人はこの男だ!」と身に覚えのない言いがかりをつけられ、
弁明は一切受け付けてもらえず、「雨男」というレッテルが貼り付けられる。しかもまずいことに、彼が行く先々で、
まるで彼が雨男であることを証明するかのように、やっぱり雨が降るのである。
ああ、神様はなにゆえに、このうな過酷な試練を彼に課されたもうのであろうか?
我々の学生時代の仲間内にも、スケープゴートとなった「雨男」がいた。天文クラブのイベントで星が見えないとき、
彼はその責任を一身におわされて、肩身の狭い日々を送ってきたのである。
さて、奄美大島の話である。
ダイビングが趣味で、奄美を何回も訪れている、大学時代の天文サークルの後輩O君は、電話の向こうから
懐かしい声で、色々と親切に相談に乗ってくれた。
私 「このツアーは、奄美大島で船待ちのために、丸一日の自由行動があるんだけど、悪く言えば奄美大島で
ほっぽり出されるということらしいんだよ。奄美でいったいどうやって過ごせばいいのかなあ?インターネット
などで調べてみたがどうしていいか見当が付かないんだよ。炎天下に、わずかな日陰を捜して道ばたに
座っているなんて、哀れな姿だよね。なにか、お勧めの場所はない?」
O君「いや〜皆既日食ですか。いいですね。部分日食とか、金環食とかありますけど、やっぱり皆既は特別ですよ
ね。金環食なんて、部分日食の延長みたいなもんだし。」
私 「そうなんだよ、やっぱり皆既を見なくちゃね。コロナやプロミネンスやダイヤモンドリングは、金環では
見られないからね。次元が違うんだよ、次元が。(鼻高々!)」
O君は、やはり奄美には詳しかった。観光スポットをいくつもあげて、いろいろアドバイスをしてくれた。日食で
交通渋滞なども有るのではないか、という私の心配も計算に入れてくれ、結局私が考えていた、港から数qの範囲に
ある大浜海浜公園と、タルソ竜宮城という屋内プールあたりが妥当であろうという結論に達した。
私 「オレは、山国の人間だから、どうしても海がいいんだよね。いい年こいたオッサンが一人で海水浴なんて
ブキミだけど、大浜海浜公園はたぶん地元の人が中心だろ?華やかな観光客はもっと遠くの海に行くだろう
から、恥ずかしくないよね?大丈夫だよね?」
O君「地元の人は紫外線が強すぎるということで海水浴なんてしないんですよ。するにしても日光の弱い朝か夕方
だけです。どうしても海に入りたければ、Tシャツなんかを着ていないと、日焼けして悲惨なことになりま
すよ。それも黒いTシャツでないと。タルソ竜宮城の屋内施設だけにしておいた方が無難ですよ。海水
プールも有るようですから。」
今は、紫外線がそれほどに強く降り注ぐようになったと言うことか。これは貴重な情報だ。知らずにいたら、体中
日焼けして痛くて、日食どころではなくなってしまうところだった。
奄美に関する有意義な情報をたくさん聞くことができた。昔話にも花が咲いた。懐かしい友との会話は、明日からの
エネルギーになる。今日は電話をして本当に良かった。
そして最後に、彼はこう教えてくれた。
「奄美地方は、先日梅雨明けしたそうですよ!」
おお、これは! 奄美の梅雨明けはトカラの梅雨明け、やったぞ!
いいことを聞いたものだ!
が・・・しかし・・・である。受話器を置きつつ、思い出した。彼はかつて、我が天文サークルののスケープゴートとして、
「雨男」の名をほしいままにした男だったのだ。よりにもよってその男から、梅雨明け宣言を聞くことになろうとは・・・。
トカラ日食が悪天候で悲惨な結果に終わって、しばらくして、O君の友人のI君から聞いた話。
(I君も我が天文サークルのメンバーで、O君とは同学年であった)
O君はI君にこういったという。
「日食ツアー出発前に・・・かけて来たんだよ、電話を・・・」
それを聞いて、日食を見られなかった悔しさが一気に笑いに(失礼!)昇華していきました。
O君、ごめんなさい。電話をかけてイヤなことを思いをさせてしまったようです。私、雨男なんて非科学的な伝説、
信じていませんからご安心を。(カオに「ウソ」と書いてあるぞ)
「敵に塩を送る」・「青菜に塩」などと言う言葉があるが(なんでこんな例を出さねばならないのか?)、私はトカラ産
の塩を土産に、お礼と報告とお詫び(!)を兼ねて首都圏に住むO君を訪ねた。電話では時々話していたが、会うのは
十数年ぶりだったと思う。日食が(雨雲が?)導いてくれた縁であった。
彼と二人で、新宿の大きな書店をいくつか回ってみたが、あれほど積まれていた日食関連の本は、もはやどこにも
なくなっていた。日本中が大騒ぎした皆既日食から2ヶ月あまり、ビッグイベントも、終わればすぐに忘れられて行く、
あわただしい時代なのである。
南西諸島方面の天気について
九州の南方から台湾にかけて点在する島々を総称して南西諸島と呼ぶ。トカラ列島も、この南西諸島の一部をなす
島々である。
トカラ列島から帰った報告をしたところ、気象庁に勤務する先輩から、南西諸島の気象に関して、メールを頂いた。
それによると、7月下旬の南西諸島は暖湿気流のため天気が悪く、小笠原の方が晴れる可能性が高い、ということであった。
暖湿気流というのは、太平洋高気圧の西側や、梅雨前線の南側にあって、にわか雨や雷雨などの不安定な天気を
もたらす気流であるという。太平洋高気圧の中心部にはこの気流が無いという。したがって、太平洋高気圧の中心が
位置することの多い小笠原方面の方が、この時期は気候的に安定するのだという。
トカラ列島は大荒れで黒雲に包まれ、小笠原方面の洋上に繰り出した豪華客船群の上には栄光のコロナが輝いたあの
2009年7月22日の天候は、起こるべくして起こったと言うのであった。
「行く前に、プロである私に相談してくれたら・・・」と先輩はメールに書いて下さったが、後の祭りである。
インターネットで調べた私の情報では、この10年ほど、奄美大島 名瀬の7月の天気は、ほとんど毎日晴れだったん
だけどなあ・・・。
地面の安定した陸地を選ぶか、揺れてもいいから晴天域に移動可能な船を選ぶかは、それぞれの価値観であると思うが、
今回の日食では、様々な意味で陸地組のハンディとなったのは、それが見られる日本の陸地部分がほんのわずかな島嶼部で
あったと言うことではある。交通や受入体制のハンディに加えて、気象的なハンディまで負っていたとは・・・。
来るべき2035年9月2日の皆既日食本土決戦では、皆既帯は幅広く本州中部を横断する。
そのとき我々は、今度は船ではなく車に乗って、晴天域を求めて陸上をあちらこちらと移動することになるのだろうか?
今から、観測候補地をいくつかピックアップしておくべきかも知れない。
いや、願わくば、
その日は、その日だけは、抜けるような青空が、日本全国に広がってくれますように!
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