2009722 トカラ列島 宝島
           -期待と不安、 宝の島-
 
リンゴ樽から 一大時代考証を試みる
 
 樽の中には、もうリンゴは少ししか残っていない。底の方にわずかにあるばかりだ。いっそ、樽に入ってリンゴを
かじってやれ。少年はリンゴ樽の中に入り込んだ。
 
 そこに少年がいることなどつゆ知らず、悪人どもは樽のそばで宝の地図と船を奪おうという反乱計画を練る。
そこから始まる冒険物語・・・私が人生で最初に触れた「宝島」、小学校の演劇鑑賞であった。後に、これはイギリス
のスチーブンソンという人が書いた世界的に有名な少年向け冒険小説であることを知った。宝島、いかにも空想や冒険
心や夢をかき立てる名前である。
 
 出版社や雑誌の名前にも「宝島」というのがある。宝の島は、その名前だけで人々の心をかき立てるのだ。
 
 私が皆既日食を見に行く島は、それと同じ名前だ。ロマンはある。しかし、この年になってみると、いささか子供
じみたネーミングのような気もする、などと思いつつ色々調べていくと、なんと、トカラ列島「宝島」こそ、スティー
ブンソンの小説の舞台となった「宝島」なのだという。島内には、キャプテンキッドが財宝を隠した鍾乳洞まであると
いう。
 
十島村関連のホームページやパンフレットなどに、そんな説明が出ている。実際に島へ行ったとき、島内の案内板にも、
 
  『1824年、イギリスの海賊船が出没し、島民たちが応戦したという記録が残っている。この時の話がスチーブン
  ソンの小説「宝島」のヒントになったという。イギリスの海賊キャプテンキッドが、連邦裁判で「宝を隠した」と
  証言した島でもある。』
 
と書かれていた。
 
にわかには信じがたいが、ホンマかいな!?
 
 あわてて図書館からスチーブンソンの『宝島』を借りてきて読む。少年向け冒険小説だというが、なかなかぶ厚い
本で、読書が苦手な私はちっとも読み進められない。悪戦苦闘の末、ようやく読破したが、この舞台が遥か極東の
トカラ列島宝島なのかどうか、確信を得ることは出来なかった。(なんだか、違うようにも思えるのだが・・・)
 
 さて、上記の案内板にある「1824年、イギリスの海賊船が出没し、島民たちが応戦したという記録」については、
史実のようだ。
 
 海賊船という表現には微妙なものもあるが、 1824年(文政7年)にイギリス船が食糧を求めて来島し、牛を奪い
取ったという。(そう言う意味では、なるほどこれは「海賊船」だ!)このためイギリス人と交戦となり、鉄砲まで
持ち出され、イギリス人1人が射殺されたという。この戦のあった場所はイギリス坂という地名となって今日まで
伝えられている。
 
 この頃になると日本近海にしばしば外国船がやって来るようになり、こうしたトラブルがあちこちで起こっていた
ようで、鎖国を国是としていた江戸幕府は、1825年(文政8年)年に異国船打払令(無二念打払令・外国船打払令と
も)を出して外国船を打ち払うという強硬な方針をとることになった。一般には、文化5年(1808年)長崎で起きた
イギリス軍艦侵入事件(フェートン号事件という)が原因とされるが、フェートン号事件から発令まで、あまりに年数
が経っているから、発令前年に起きた宝島の事件などが異国船打払令発令の直接の引き金となったのかもしれない。
 
 この事件からして、宝島という地名は、江戸時代にはすでに使われていたようであるが、本当にキャプテンキッドの
宝からついた名前なのであろうか? 
 
 鹿児島で、古地図の写真をデザインにあしらったパンフレット(『感動満載 かごしま旅情報Vol.106 2009.7』
観光かごしま大キャンペーン推進協議会発行)をもらった。

 古地図は、『国立公文書館所蔵 絵図 日本與地図 日本分野図』で、江戸時代中期の地図考証家、森幸安という人が、
寛延から宝暦(1748〜63)にかけて書写収集したもの、と解説がついている。その地図の、宝島にあたる島には
「トカラ島」と筆で書かれている。列島全体は「七島」とだけ表記され、トカラ列島という表記は見あたらない。案外
この「トカラ島」がなまって「タカラ島」となり、いつしか「トカラ」が列島全体の呼称になったのではあるまいか、
などとも考えたのだが、いや、夢を壊してはいけません。
 
   注記: この地図では、口之島から悪石島までは、現在と同じ呼び名が、同じ漢字で表記されています。宝島だけが、現在と名前が違って、
       「トカラ島」と書かれています。
       小宝島は字が小さくて、○眼の私にはなんと書いてあるのか、わかりませんでしたが、今はインターネットの時代、国立公文書館の
       ホームページのデジタルアーカイブで、現物の写真を拝見できました。拡大しても拡大しても、なかなか分かりませんでしたが、
       どうも「島子」と読めるようでした。小宝島は、かつては宝島の一部として扱われていたとのことなので、「トカラ島の子の島」
       という意味かと解釈いたしました。小宝島を宝島の「子島」という言い方はあるようですから、それがひっくり返ったものでしょうか。
       「日本分野図』は伊能忠敬以前の地図です。実際に現地を訪れ測量して作られた地図ではないと思われますので、あるいはいろいろと、
       微妙なエラーが有るのかも知れません。
       しかし、こんな古地図をネットで見られるとは、便利な世の中になったものです。
 
 「宝島」と「悪石島」。トカラ列島の中でこの二島は、名前のインパクトにおいて群を抜いているが、今回日食の
条件が最高だと言われる悪石島は、なんだかあんまり縁起が良くなさそうな、気味悪そうな名前である。それはその
地形から来ているとも、また平家の落人が他人を寄せ付けないために不気味な名前をつけたのだとも言われていると
いう。
 
 蛇足ながら瀬戸内海の島でキャンプをした時、「ひょこりひょうたん島」という名の島が実在することを知った。
テレビの黎明期を飾ったあの、『ひょこりひょうたん島』とどちらが先に名付けられたのかは分からないが、たしかに
ひょうたんの形をしているから、こんな名前をつけてもご愛敬だなと思ったものであった。島の名前を調べると、色々
おもしろいことが見えてくるかもそれない。
 
 ともあれ、その名もめでたい宝島で、天文現象のお宝中のお宝である皆既日食を見るのである。すべてが首尾良く
行くに決まっているではないか!
 
 
ハートの形
 
 「みなさん、窓の下に、トカラ列島の宝島が見えています。ハートの形をしています。今日はこの島が見えて、
皆さんラッキーですね」旅客機がこの島の上を通るとき、機長から乗客にこんな案内があるという。
 
 衛星写真を見ると、なるほどハートに見えないこともない。
 
 海賊の宝に続いて、ハートの形とは、いよいよミーハーではあるが、私が行く島の縁起の良さは益すばかりである。
 
 宝島は周囲13キロあまり。サンゴが隆起して出来た島であるという。今までにもサンゴの海は何回か見たことが
あるが、その美しさはたとえようもない。さぞや宝島の海も透明度が高く美しいのであろう。
 
 しかも、宝島にはサンゴの入り江に海水浴場があるという。トカラ列島の有人島7島のうち、5つは火山島で活火山
もあり、地形も険しくて海水浴に適した砂浜などは無いという。(絶海の火山島というと、手塚治虫のマグマ大使に
出てきた、アース様のいる島を連想してしまうのは、私だけでしょうか?)
 
 この宝島と隣の小宝島だけが隆起サンゴで出来ているが、小宝島にも海水浴場は無く、トカラ列島で海水浴場がある
のは唯一、宝島だけだという。これまた、天は我に味方したものである。サンゴの入り江の海水浴場、水中の風景は、
さぞや絶品に違いない!
 
 サンゴの海の欠点は、固く鋭いサンゴで足をケガしやすい事であるが、ここは人工的に砂を入れて、裸足でも安全に
海水浴が出来るようにしてあるという。至れり尽くせりである。島の小中学校の水泳の授業もここで行われるとのこと。
私はいい年こいたオッサンではあるが、これは是非ともシュノーケリングなどに挑戦したいものである。
 
 しかも、隆起サンゴ=石灰石で出来ているため、鍾乳洞があるという。上述したキャプテンキッドの宝も、鍾乳洞に
隠されている可能性が高いという説まである。鍾乳洞といえば、秋吉台の秋芳洞が有名だ。あそこまで大規模でなくと
も、鍾乳洞を見るのも大いに結構なことである。
 
 さらに宝島には、鹿児島百景に選ばれた高台に立つ白亜の灯台(荒木崎灯台)があって、周囲の海を一望できるうえ
に、島の最高峰イマキラ岳山頂には、鹿児島県の天然記念物トカラ馬をかたどった展望台まであり、島バナナも採れる
という。なんと見所の多い、素晴らしい島であることか!
 
学校か、海岸か、それが問題だ
 
 トカラ列島皆既日食ツアー名は、北の島から順にアルファベットでコードがつけられている。たとえば一番北の
口之島へ行くのはAだ。北から7番目となる宝島へ渡るのはGと言うことになる。

 宿泊先などによってさらに細かい区分がされていて、これは数字で表記される。宝島ではG-1コースからG-4コース
までの四コースがあり、私が申し込んだのはG-2コース、宿泊先が学校の体育館か海岸のキャンプ場かであるという。

 海岸でのキャンプには大いに憧れるが、テントは一張りを二人で使うと言うから、一人参加者の私は体育館になるのかも
知れない。荷物の多さや、スコールなどに遭う可能性を考えると、体育館の方が保管には都合がよいかも知れない、
などと空想を膨らませながら待つが、旅行業者はギリギリまで人数調整に追われているのだろうか、どちらになるのか
という通知はいつまで待っても届かない。ツアーの集合場所へ行くまで分からないのかもしれない。
 どんな場所に赤道儀を据えることになるのか、早く知ってそれなりの覚悟というか、準備をしたいではないか。
 
 中之島は、トカラ列島の中では人口も多く、様々な施設も集まっていて、かつては村役場も置かれており(役場は
今では鹿児島市内にある!)、飛行場まであるという。現在は定期便は無いそうだが、アスファルト舗装がされており、
ここを皆既日食の観測場にするという。ついては、一人に割り当てられる観測場所は1.8メートル四方である、と発表
があった。1.8メートル四方!これでは狭くて機材を置くのに厳しすぎる!写真など撮らず、寝そべってみるだけに
しても、まだ狭い。宝島はどうなのだろうか、これについての発表はないが、あるいは推して知るべしかも知れない。
どうしよう、あまり機材を持っていない人に頼んで、土地を貸してもらうか?土地を巡ってご近所といさかいになった
らどうしよう。これも現地へ行くまで不安材料だ。
 
 観測場所はどこになるのか、望遠鏡を前夜から設置できるのか、海外のツアーでは主催者が子午線の目安になるよう
なものを地面に描いてくれたこともあるというがそれは今回はあるのか、電源は、地面の状況は、宅急便で送った荷物
はどこに届いていてどこまで取りに行けばよいのか、食糧は大食漢でも満足できるほど供給されるのか、飲み水は足り
るのか、島民との交流会が有ると言うが何をするのか、船はちゃんと運行するのか、台風は、暑さは、トカラハブは、
衰えたヒザは、骨折した手首は、体力は、新型インフルエンザは・・・etc、etc。

 期待の半面、不安材料もたくさんある。いや、不確定要素があってこそ、ハプニングがあってこそ、旅は面白いのだ。
 (あんな悲劇的なハプニングが待っていようとは、思いもしませんでしたが)
 
 宝島では、港につくと崖の断崖に描かれた巨大な壁画が旅人を出迎えてくれるという。期待に胸おどらせて、旅に
出ようではないか!

キッドの財宝について、もうひとこと

 昭和12年(1937)2月4日、「MODERN MECHANIX」(1936年11月刊)というアメリカの雑誌に掲載された島の地図を添えて、
「西南諸島にキッドの宝がある」、と言う投書が外務省にあったという。翌日の読売や東京日日(今の毎日)などの新聞に
記事が載り、やがてその島が宝島であるらしいと言うことになったという。

 その後、宝を探し求める人が、今日に至るまでしばしば来島しているという。

 近いところでは、2006年、日本テレビが24時間テレビの企画として、宝島の島民も巻き込んで宝探しを行ったというが、
そのきっかけは雑誌「MODERN MECHANIX」掲載の地図が、宝島に酷似していたためだそうだ。

 宝の存在の真偽は別として、たしかに宝島は「宝の島」として注目を集めてきた歴史があったのである。

   以上は、インターネットで集めたネタです。とりわけ日本トレジャーハンティング・クラブ(代表)の方のホームページ

    http://home.f01.itscom.net/yaeno/Cap.Kidd01.html

   が包括的によく整理されていますので参照させていただきました。24時間テレビで宝探しを行った人だそうです。
   昭和12年の新聞記事や、雑誌「MODERN MECHANIX」掲載の地図の写真が出ていて、この地図と宝島の類似点も指摘
   されていました。

   お宝に興味のある人は訪れてみると楽しいかも。もしかしたら一攫千金のヒントが隠されているかもしれませんぞ。


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