2009722 トカラ列島 宝島- 準備編 戦闘班 Part1 -

 
戦闘班とは過激過ぎやしないかい?

 天文ファンは、所有する望遠鏡中、最大口径のものを主砲と呼ぶ。望遠鏡の口径から、「○○センチ砲」と言うこともある。
明らかに、軍艦や大砲の呼称に習ったものである。天体写真撮影でシャッターのレリーズボタンを押す時、「テェ〜!」と叫ぶ
天文学者がいたそうだ。「テェ〜!」とは、もちろん「撃てぇ!」のことである。
 
 どうも、天文ファンの多くは、大砲マニア・軍艦マニアの軍国主義者的傾向を持っていることは否めないようだ。
 中高年の天文ファンの中に、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」などのファンが多いのも、その証の一端である。
 
 トカラ列島が浮かぶ「東シナ海」という名を、私が初めて知ったのは、戦艦大和が悲劇の最期を迎えた海としてであった。太平洋
戦争末期、沖縄突入を目指した戦艦大和は米軍機の猛攻撃を受け、北緯30度43分、東経128度04分の東シナ海に没し去ったという。
ここは、九州の坊ノ岬や男女群島女島の南方と言うことで表現されることが多いが、沈没地点に最も近い陸地といえば、口之永良部島
や屋久島、そしてトカラ列島の島々なのである。
 
 戦艦大和が超えることの出来なかった海域を船で越え、トカラ列島の南端まで行くと思うと感慨もひとしおである。
 やっぱり自分の中に、大砲マニア・軍艦マニアの軍国主義的傾向があることは否めない。
 
  過激なネーミングながら、臨戦態勢で臨む皆既日食を「戦闘」と呼ぶのも、気分が高揚して悪くないではないか。望遠鏡のことを
「主砲」などと呼ぶ諸君には、この気分、分かってもらえると思う。
 

基本的スタンス

 日食のとき何をするかで、準備もいろいろと違ってくる。あれもこれもしてみたいが、体は一つしかない。したいこと、できること、
できないこと、を区別して、戦闘班の作戦計画を立案しなくてはならない。
 
 この目で、しっかりと皆既日食を鑑賞すること、これが大前提である。
 
 日食中は、気温や風・明るさなどの変化や、動植物の反応にも気を配ろう、とよく言われる。なるほどとも思うが、なにしろ
初めての皆既日食である。そんなことにまで気を回す余裕はないかも知れない。知ったかぶってマニア面をするよりも、初心者と
して素直に太陽に精神を集中するほうが良さそうだ。
 
 日食を「観測」するとなると、正確な時間の記録と、測定・観測用具と、専門的な知識が必要になるが、それはとても自分に出来るとは思えない。
プロの研究者や、興味のある人に任せるしかない。
 
 写真は、なんとしても撮りたいものだ。私は、天体に関しては、自分でシャッターを切らないと満足出来ないタイプの人間である。
できあがる写真は下手くそもいいところだが、シャッターを切っているとき、それが私の一番楽しい時間なのである。今回の日食も、
写真撮影を抜きにしては、遠路はるばる出かけて行く意味がない。
 
 天文雑誌などに掲載される写真にはある程度の科学性(時間や方位の正確さなど)が要求されるようだ。私には、そう言う写真を
撮ることはできそうにないから、科学性には欠けても、「日食はこういう風に見えるのだ」という写真を撮ることを、基本に据え、計画を練ることにした。
 

計画肥大化

 どのような写真を撮ろうかと、あれこれ考えてみる。日食の経過、太陽の形、ダイヤモンドリングにコロナ、・・・、できれば
プロミネンスも、皆既中に見えるという星も写したい。月の影(本影錐)の移動や、今回初めて存在を知ったシャドーバンドなる物も、
写せる物なら何でも写してみたい。木漏れ日が、欠けた太陽の形になるというのも写してみたいし、風景と日食を組み合わせた写真も
すてきだろう。1963年の北海道日食で、大学の先輩方が撮影した、ピンク色に染まるオホーツク海に浮かぶ国後島と、その上に輝く
コロナの写真は、私の大きな目標だ。
 
 動画も撮りたい。第2接触直前から、第3接触直後は、なんと言っても皆既日食のハイライトだ。
 
 日食を見る人々の様子や、周囲の風景の変化も写真やビデオに収め、旅の様子や島の風景も交えたドキュメントも作ってみたい。
 
 あれもこれも・・・欲望は限りなく広がり、計画は肥大化の一途をたどって行く。
 
 しかし、シャッターを押すのは自分一人だし、絶海の孤島に持って行ける機材も制約を受ける。それに、そもそも機材と言ったって
そんなに持っているわけではない。やれることには自ずと限界があるのだ。
 
 日食のガイドブックに、三脚を6台もセットして、一人で撮影にチャレンジしている人の写真が紹介されている。「あんな無茶をしてはいけない」
と思った。思った・・・はずなのに、どこでどう話が変わったのだろう、私が宝島に持ち込んだカメラやビデオは、彼の三脚と同じ数になっていた。
 
 たくさんのカメラで日食を追おうとした私は、皆既日食を見逃した。 古来、「二兎を追う者、一兎を得ず」と言う。
言い得て妙、というべきである。(いや、この場合は、ちょっと意味が違うか?)
 

赤道儀


 モータードライブの付いた赤道儀で、日食を追尾撮影する。これが、最優先の、希望順位 第一位である。
 
 日食のガイドブックには、小型赤道儀をスーツケースに入れて飛行機で持っていく時のコツなども紹介されているが、私の小型赤道儀は古くて、
モータードライブは付いていない。所有する唯一のモータードライブ付き赤道儀はEM-200だが、これは鉄のかたまり。大きくて、重くて、車でもないと運べない。遠路を人間の手で持って行けるような代物ではない。
 
 天文雑誌の広告を見ると、各社、日食用にいろいろ工夫した小型赤道儀を売り出している。この際いっちょ、新調するか?
お値段は、望遠鏡用のやつも、ポータブル写真儀も、赤道儀だけで6〜10万円程度となっている。これに望遠鏡をつけると当然ながら
値段はさらに上がる。世紀の天体ショーを前にして金に糸目はつけられないとはいえ、ほかにも様々な出費がある中で、これは厳しい。
 
 その上、望遠鏡業界の常識として、納期は何ヶ月も延びるのが普通だと言う。へールボップ彗星に合わせて注文した機材の納期が
三ヶ月近く遅れて、彗星を撮影出来たのは一回だけだったという苦い経験がある。今から注文して、日食に間に合わなかったら目も
当てられない事になる。
 
 借りることは出来ないものだろうか?さすがにレンタルというのはなさそうだが、友人・知人はどうだろう。
 
 十年ほど前、転勤で私と同じ街に住むことになった52-S君は、スカイメモを持っていたぞ。百武彗星のとき、貸してもらったこと
がある。いや〜、あれは具合が良かった。彼は転勤族で、また遠くに引っ越してしまったが、今でもあれを持っているのではない
だろうか?52-F君は、たしかタカハシの4センチポタ赤を持っていたなあ。いや、あれはモータードライブはなかったかもしれない。
タカハシのP型(P-2か?)を買ったのは、あの人と、あの人と・・・。モータードライブをつけていた人はいたっけかなあ・・・。
 
 脳裏を、「知人に貸りればタダ!」というムシのいい考えがよぎり始める。
 
 そうこうするうちに、それまで未発表だったツアーの詳細な情報が、順次ホームページで掲載され始めた。それによると、船に持ち
込める荷物は一つだけだという。問い合わせてみると、二つ目からは別料金になり、さらに船室には持ち込めず、コンテナ預かりだと
いう。その上、別料金の値段設定はこれからだという。これでは、赤道儀を持って行くことは、難しいのではないだろうか。
 
 その後さらに、追加発表があった。荷物を宅急便で島に送れることになったという。島には宅急便の営業所などないので、
ツアー会社と宅急便の会社で可能性を探りながらの調整が続いていたのだろう。随分出発が近くになってからの発表であった。
 
 宅急便!これなら梱包さえしっかりすれば、あの重いEM-200でも送ることが出来るのではないか?
 
 日食は小型赤道儀をスーツケースに詰めて飛行機で持って行く、と言うのが定番だが、考えてみればそれは海外へ行くからだ。
今回の日食は日本で起こるのである。そして、この日本には、宅急便があるのだ!自分は、「日食は軽い赤道儀」という固定観念に
とらわれすぎていた。先入観を排し、常識を覆してこそ道は開ける。

 そうだ、EM-200を持って行こう!このスーパーマシンならナンボでもカメラを積むことが出来るぞ!運搬中に濡れたり壊れたり
しないかという心配もあるが、こいつを買ったときだって、宅急便で送られてきたのだ。壊れたらその時はあきらめよう、と開き直る。
 
 その後、さらに発表があり、宅急便の送り状は一人につき2枚、最終案内で送付されてくると言う。送り状2枚、すなわち送れる
荷物は二つということだ。EM-200とその関連品まで含めると、宅配荷物ふたつでは納めきれない。あわててツアー会社に電話すると、
二つ以上送ってもいいと言う返事で、一安心する。
 
 旅の最終案内が送られてくる前日、ツアー会社から電話がかかってきた。宅急便の送り状は何枚いるのかと言う。私が電話で、
送れる荷物の数を問い合わせたのを覚えていてくれたのであった。千数百人分の案内状を発送している多忙な時に、わざわざ私に
連絡をくれた細やかな心遣いはとてもありがたかった。この時期によくぞここまで丁寧にと、驚きもした。今でもこの点は大変感謝している。
 
 ということで、私はEM-200という、日食用としてはかなり大きくて重い赤道儀を宝島に持ち込むことにした。きっと、同じような経過を経て、
宅急便を使って大きな赤道儀を持ち込む人も多いことであろうと、この時は思っていたのだが・・・。

 

主 砲

 1993年11月にあった水星の日面通過以来、タカハシの最も初期の、5p屈折(F=700oアクロマート)直焦点で太陽を撮って
きた。この望遠鏡は学生の頃、すでにOBになっていたM51-N氏から譲り受けた由緒正しき?もので、1970年代前半、今から40年
近く昔の製品である。学生時代53-F君が同じものを夏合宿に持ってきており、子持ち星雲として知られるM51を見せてもらったのだ
が、そのとき横にあった15p反射よりも鮮やかに見えたので、大変な優れモノだと感じ入ったことがある。(今思えば、あのときは15
p反射鏡には夜露がついていたのだと思うが・・・)作られてから40年近く経った今でも、これぞ望遠鏡、というカッコ良さを誇っ
ている(と自画自賛)。
 
 ただ、このタカハシ5pはアクロマートレンズの悲しさ、周辺減光が著しい。風景などを直焦点で撮ると、真ん中だけが明るくて、
四隅は暗い写真になってしまう。最近は、小口径の屈折も高級化が進み、フローライトやEDレンズのアポクロマートがたくさん
売り出されている。短焦点化が進んでF値も明るく、しかも周辺減光や収差もほとんどなくて、写真用レンズとしても使えるほどで
あると言うが、当然にお値段もそれなりにそれなりである。
 
 我がタカハシ5pは、何度か(といっても水星や金星の日面通過を狙った計3回に過ぎないが)太陽を撮るのに使ってきたので
使い慣れているし、自作の減光フィルターなどもだんだん改良が進んで来ている。また、700oという焦点距離は、太陽が実にほど
よい大きさに写るのである。このように大義名分をいくつも立てて、タカハシ5pのすばらしさゆえにあえて他の望遠鏡を買い求める
必要はないのだと、自分を納得させる。新らしい望遠鏡を買わないのは、経済的理由からではない。買う必要がないのである・・・
ウ〜ン、苦しくも悲しい言い訳だ。(ない袖は、振れないのですよ・・・)
 
 こうして、古式ゆかしいタカハシ5pを搭載したEM-200を、我が「主砲」に決定した。この主砲にかかれば、太陽が月に隠されて
行く過程や、ベリービーズ、ダイヤモンドリング、コロナなどがバッチリ捉えられるはずである。さらに、700oという長焦点は、
プロミネンスだって見事に描写してくれるだろう。
 なによりEM-200は、5p屈折にはゼイタク過ぎるほどのシロモノだ。重くて頑丈な架台は、少々の風などには、ビクともしない
頼もしさがある。震動というガイド撮影の天敵から、カメラを完璧に守ってくれるに違いない。対ショック防御、用意よし、である。
 
 かくて、強力な「対日食撮影用の主砲」が誕生した。戦艦大和の四十六センチ砲も、恐るに足りず!である。
 
 「目標、第2接触ダイヤモンドリング!シャッター用意、テェ〜!」だ。
 

300ミリ望遠
 
 太陽の周りに広がるコロナを撮影するには、300o程度の望遠レンズの画角が有効であるという。バイブル『1963721』にも、300o
レンズを苦労して入手したことが書かれていた。
 天体写真は単焦点レンズで撮るものであって、ズームレンズなどもってのほかである、と、昔、何かの本で読んだ気がする。だが、
今、市販されている単焦点レンズの300oは、何十万円もする超高級品ばかりなので、当然ながら持ち合わせはない。しかし、考えて
みれば、太陽は極めて明るいのだ。フィルターをかけて高速シャッターを切るにしても、絞りは相当に絞り込むことになる。日食ガイド
ブックによれば、様々な理由から、絞りはF11が良いなどと書いてある。ここまで絞ってしまうならば、F値の暗い安物のズームレンズでも、
高級な単焦点のレンズと大差ない写りが期待できるのではないか、と考える。(君の考えは、きっと甘い!)
 
 カメラを買ったときセットでついてきた、安いが一応はカメラメーカー純正の75〜300oのレンズは、ズーム時に鏡胴を手で引き
伸ばすタイプである。残念ながら天頂に向けるとレンズの自重で鏡胴が縮んで焦点距離が75oになってしまい、300oを維持でき
ない。高級レンズが無いなら、せめて純正レンズでカッコつけようと変な見栄を張ったのだが、どうもこのレンズは日食時の太陽を
追尾して撮るのには向かないようである。
 
 もう一本、中古で手に入れた28〜300oというとんでもないズーム比のレンズがある。1年前、長男が高校野球をやっていた時、
保護者会の記録係を拝命し、応援席の近景も、100メートル先の選手も、レンズを交換せずにこの一本で速写出来るように、と手に
入れた物である。こいつは、天頂に向けても300oの焦点距離が動いてしまうと言うことはない。カメラメーカーの純正品ではない
上に、28〜300というズーム比を考えると設計上も相当無理をしているのだろうと思われるが、もはや他に選ぶ道はない。これに
自由雲台をつけて、EM-200に載せることにする。
 
 あ〜あ、きっと、皆既日食を見に来るような連中は、みんな高級な300oの単焦点レンズを持ってくるんだろうなあ・・・。
あのレンズには、高貴で畏れ多い雰囲気があるんだよなあ・・・。
「いや、広角から望遠まで一本でまかなえるこのレンズこそ、旅には便利なんだ」と、くじけそうな心を叱咤激励する。
オレはいったい、何の写真を撮りに行くんだ?
 

デジタル一眼

 日食の2年前、職場にデジタル一眼がやって来た。CanonのEOS KissDX、1050万画素。使わせてもらってその威力に驚いた。つい
にデジカメもここまで来たか、という感じであった。画質も、使い勝手も、価格も、デジタルと銀塩に差がなくなったと驚いたものだ
った。息子の野球部保護者会の記録係という大義名分を盾に、これの購入を妻に認めてもらった。
 
 デジタルの良さはフィルム代がいらないことと、1回の撮影可能枚数がやたらに多いことである。この2点に関しては、銀塩は
デジタルの足元にも及ばない。息子が高校2年の秋の新人戦から3年夏の最後の大会まで、練習試合でも公式戦でも、せっせと写真を
撮った。その数、1試合につき数百枚。1年間でなんと1万5千コマもシャッターを切ったのであった。おそらく今までの人生の中で
押してきたシャッターの回数を、この1台、この1年間で軽く上回ったのではないだろうか。銀塩なら破産しているところである。
日食の経過を追って撮影するには、撮影可能枚数が多い方がいいに決まっている。うんとたくさん撮れば、そこから動画だって作れる
かも知れない。
 
 また、デジタルカメラは撮った写真をその場で確認できるから、露出の修正やピント・構図の確認にも極めて有利である。
 
 もう一つ、デジタルの長所は撮影後の画像処理がパソコンで手軽に出来ることである。デジタルで写したコロナの画像を合成して
処理を施せば、太陽からコロナが吹き出している様子が分かると、日食のガイドブックに書いてある。そうとなれば、主砲の5p屈折
には、ぜひともデジタル一眼をつけたいものである。
 
 広がったコロナを写すための300ミリは、どうしようか?これもぜひデジタルで撮りたいが、我が家にはデジタル一眼は1台しかない。
 
と・・・そうだ、これと同じカメラが職場にあるではないか!今は皆既日食という国家の非常時だ。お国のために、これを供出して
もらうべき時だ!?
 職場では、特別な行事でもない限りこのカメラを使うことはないだろうし、今は携帯にカメラがついているから、必要なら皆さん、
おもちゃみたいなケータイのカメラで撮っておいて下さいな、というわけで、公私混同も甚だしく、2台のデジタル一眼を持って行く
ことにした。
 
 この2台はまったく同じ機種である。当然のこととして操作方法が同じなので、日食の撮影中の混乱を最小限に押さえられるという
メリットもあるはずだ。
 
 CanonのEOS KissDXには、残念ながらファインダー内の像を液晶画面で見られるライブビュー機能は無い。同じシリーズのカメラ
でも後から出たものはライブビュー機能がついている。太陽のピント検出時に、ファインダーをのぞくのとライブビュー機能を使うの
とでは、その便利さに雲泥の差がある。さらに新型は、一眼レフのくせにハイビジョンで動画撮影まで出来るようになっている。当然、
新型機種が欲しくなったがやはり国家の非常時である。予算が逼迫していてそんな余裕はどこにも無い。
スローガン!「欲しがりません、勝つまでは!」
 
 ついでに記しておくと、これを書いている2010年現在、Canonのカメラはライブビューの液晶画面がボディーに固定された形で
あるが、NikonやSonyはこの液晶画面が可動式になっていて、角度を変えて見ることが出来る。天頂付近で起こる日食を写真に
撮ろうとする場合、構図やピント合わせには、この液晶画面可動式が極めて有利である。天頂プリズムを使うのと同じ事になるから
である。
 この機能がないばかりに、望遠鏡の真下に潜り込み、クビを90度後ろに曲げ、大変苦しい姿勢で息も絶え絶えにファインダーを
のぞくことを強いられた。その上、顔の真っ正面から真夏の太陽が照りつけて来る。ピントを合わせ終わるとクラクラと立ちくらみが
する。次回の日食までに、可動式の液晶画面を手に入れたい物である。
 
 
新兵器

 Canonの高級機EOS-Dシリーズには露出時間・撮影枚数・撮影間隔を制御できる機能がついた電子レリーズ(タイマーリモート
コントローラー:別売)がある。しかし残念ながら、私が持っている普及版のEOS-kissシリーズとは接点が違うので使えない。EOS-kiss
用のレリーズもあるのだが、そう言った高度な機能は付いていないのである。

 だが、天文雑誌の広告で、タイマーリモートコントローラーの接点をEOS-kissシリーズ用に改造したものが売られていることを知った。

 今回の日食は、第1接触から第4接触まで約三時間かかる。その間、ずっと炎天下でシャッターを押していたのでは体力が持つか
不安だし、長い時間の間には押し忘れだって起こるだろう。だが、タイマーリモートコントローラーを使えば、一定の間隔で自動的に
シャッターを切り続けることが出来る。撮影間隔が正確になる上に自分にも余裕が出来る。時計とニラメッこし続けなくても済むし、
日陰で休むことも、他の作業をすることも出来るはずだ。
 
 さらに、このタイマーリモートコントローラーは、一定間隔でインターバル撮影をしている間でも、必要ならば手動で追加のシャッターを
切ることも出来るスグレモノである。
 
 赤道儀によるモータードライブにこの「新兵器」が加われば、理想の日食撮影システムができあがる。
財政厳しき折、いささかお値段も張るので苦しいし、改造品なのでメーカー保証も付かないが、これは「買い」である。この一品に財源を集中しよう。
 
 デジカメは二台ある。では、タイマーリモートコントローラーも二台・・・、というわけにはフトコロは許してくれない。一台の
タイマーリモートコントローラーで、二台のデジカメを動かすことは出来ないか・・・これは技術班のところで述べることにします。
 

連続写真
 
 時間の経過と共に太陽が形を変えていく様子をカメラを固定して、一枚のフィルム上に5分おきくらいに連続して写し込んでいく
のが、日食の連続写真である。
 
 学生の時、大学の屋上で、クラブの仲間と部分日食を見た。初めて見た日食であった。そのとき、52-O君が連続写真を撮った。
西の空に傾いて行く部分日食の太陽と夕焼けた雲、その下に広がる市街地が、見事な色で表現されていた。彼は、レンズにフィルター
をかけ、絞りを絞り込んで、一定間隔でシャッターを切っていった。そして最後の一コマは風景も写し込むために絞りをぐっと開いた
のだという。

 52-O君の見事な撮影テクニックとエクタクロームの抜群の発色によって、それはそれは素晴らしい作品であった。この
写真は、何度も何度も、サークル主催のスライド映写会で使われ、こんな写真を撮ってみたいと、私はずっと思って来たのであった。
 
 また、1963721の北海道日食というと必ずと言っていいほど引き合いに出されるのが、東京理科大の撮った国後島の上に輝く皆既
前後の太陽の連続写真である。我らが先輩達も連続写真ではないがオホーツク海と国後島の上に輝くコロナを写している。私の日食へ
のバイブルの写真である。
 
 そう、日食と言えば、連続写真なのである。それも美しい風景入りの!
 
 今回の皆既日食のガイドブックによると、近頃は1枚のフイルムに露出を重ねてゆくのではなく、デジカメで1コマずつ写しておい
て、後から合成するのが主流であるという。時には望遠レンズで撮ったものを縮小して、計算上の太陽の位置に並べることもあるとい
う。これって、「連続写真」って言えるの?と思うが、「その答えは個人個人に任せます」と書いてある。まあ、そうだわなあ。写真の
撮り方に決まりはないもんなあ・・・。
 1枚のフイルムに多重露出するのは、カメラが動いてしまったり、フイルムが巻かれてしまったり、シャッターを切り忘れたりと、
リスクが多いのも事実である。ガイドブックや天文雑誌に、多重露出を解除しわすれたまま、連続写真に記念写真を重ねて写して
しまった、という失敗例もいくつか紹介されていた。
 
 ここは節を屈して、私もデジタルで合成しようか? リスクも少ないし・・・。風景を写し込む時も、52-0君のように一発で露出を
決められればいいが、なかなかそうは行かないだろう。風景は皆既の前か後で落ち着いて何枚でも写せばいいから必ず適当なものを
写すことが出来るはずだし・・・。
 
 と、ここまで考えて、もはや適当なデジカメの持ち合わせがないことに気がついた。すでに2台、EM-200に搭載してしまっている。
どうしようか。そこでたまたま実家に帰ったとき、聞いてみると、CanonのG-7 というコンパクトデジカメがあるという。このカメラ、
レンズ交換は出来ないが、その他は一眼に匹敵するような機能が付いている。マニュアル露出もできるのである。これなら、使えそうだ。
しかもこいつは主砲搭載のデジタル一眼と充電池が同じ型式なので、不自由な島では何かと都合もいいだろう。このカメラは、父と母には
宝の持ち腐れ、よって、供出してもらうことにしよう。時あたかも非常時である。国家総動員法だ!
 
 計画では、広角で日食の第1接触から第4接触までの全行程を同じ画角に収まるようにするつもりである。(もちろんG-7で一枚ずつ撮って、
あとで合成写真にするのである)
 
 だが、Canon G-7の試験撮影を始めると、思わぬ事が分かってきた。このカメラ、充電池の容量からして電源を入れたままで日食の
全行程を撮り切るには不安がある。そこで、節電モードにすると、一定時間ごとに電源が落ちる。そして、電源が落ちるとレンズが
ボディに収納される仕掛けになっている。

 ピントはオートではうまく∞に合わないのでマニュアルにしているのだが、再び電源を入れた時、ピントは∞からはずれていて、
設定を一からやり直さなければならない。しかも、レンズを回すのではなく、カメラボディーの裏側のダイアルを回して∞に合わせ
直すので大変にやりにくい。ものすごい手間と時間を費やすし、カメラも動いてしまいそうである。

 しかも、電源が落ちるたびに、レンズはボディに完全に収納されて、ご丁寧にフタまで閉まってしまう。その時にレンズにつけた
自作フィルターが外れて落ちるのである。レンズが引っ込んでも落ちないフィルターの作成をあれこれと試みたが、うまくいかない。
 
 だめだ!このカメラでは、連続写真は撮れない!
 
 供出された戦時物資が、結局お蔵入りしていたという話は良く聞くところ。Canon G-7による連続写真はあきらめざるを得なかった。
 
 では、連続写真はどうするか。考えはめぐりめぐって、原点に戻ってきた。そう、銀塩フィルムに多重露出をすればいいのである。
幸い、銀塩 かつ マニュアルフォーカス という二世代前のレトロな一眼レフなら、何台か持っている。これに35o程度のレンズを
つけ、発色の良いリバーサルフィルムを装填して5分おきに多重露出をすれば、あこがれの写真に近づけるであろう。選んだカメラは
Canon AE-1プログラム。軽さがメリットの、懐かしい一台である。
 
 カメラも決まり、連続写真のリハーサルを始めた。今回の皆既日食は太陽高度が高くて大変条件がよいと言われている。

 だが、やがて、これが自分の目指す連続写真には致命的な事だと分かってきた。

 カメラをおおよその太陽高度に向けてみると角度が上過ぎて、地上の風景はまったく写野に入らないのである。トカラ皆既日食は、
その条件の良さゆえに、逆に52-0君や北海道日食の時のようなすばらしい風景入りの写真にはならないのである。がっかりだよ!
 
 カメラを望遠鏡の下にでも置いて、無理矢理に赤道儀で前景をつくり出すか?これは昔、あまりのわざとらしさに、「ザートラ写真」
と言われてヒンシュクを買ったテクニックである。しかし、日食中は望遠鏡のあたりで色々忙しくやっているから、ここに三脚をおくと蹴飛ばす
恐れが大いにある。連続写真の三脚は、絶対に動かしてはいけないので、カメラを望遠鏡の下に置いて前景を作るという案は、採用出来なかった。
 

動 画


 日食は、テレビ中継があるはずである。世界最高レベルの日食の動画がテレビで見られるのである。日食の動画を入手したければ、
テレビを録画すればいいだけのことである。日食の時、自分はテレビを見られる環境にはないだろうが、誰かに録画を頼んでおけば
いいだけのことだ。自分で撮る必要はない。

 ちなみに我が家にはビデオカメラはないが、別に自分で撮る必要もないのだから、日食のために新規購入する必要もないのである・・・
・・・というのが、最初の計画であった。
 
 でも・・・・・はるばる東シナ海の孤島を訪ねるのであるから、旅の様子をビデオでまとめるのも悪くないな・・・。
フェリー「としま」の様子や島の自然、人々の様子は出来ることなら動画でも残したいものだ。
 
 自分は仕事の関係で、少しだがビデオ編集をやったことがある。ビデオ編集は大変時間と手間がかかるが、それでも今はパソコンで
ずいぶん手軽に出来るようになってきた。

 編集したビデオを人に見せて、それがウケてしまうと、ちょうど初心者がパチンコで勝ったとき心理と同じで、その世界にはまって
しまうものである。旅の様子を織り込みながら皆既日食を紹介し、ウケを狙う場面もどこかに挿入しよう・・・。BGMはピンクフロイドが
良いに決まっている・・・Dark Side Of The Moonか、太陽賛歌だ、などと、妄想はどんどん膨らみ続ける。
 
 時に、職場には、ビデオカメラが・・・二台ある。一台くらい借りたって・・・いい・・・か・・・な?
またしても公私混同が頭をもたげてきた。
 
 家に、その昔、カメラ屋でジャンク品として千円くらいで手に入れたレンズがあった。これを職場のビデオカメラのフィルターネジ
につけてみるとなんとピッタリである。焦点距離がかなり伸びる事が分かった。光学ズームをいっぱいに伸ばすと、主砲のタカハシ
5pf=700oの直焦点で写したのと同じくらいの大きさに太陽が写るではないか!思わず血が騒ぎ出す。
 
 旅と、日食の途中までは風景や人々の様子を撮って、いよいよ皆既が近づいたらEM-200に乗せて、太陽に向けたらどうだろうか。
いや、日食の時はあわただしいから、最初から赤道儀に乗せておくべきだ。そうだ、主砲EM-200にはガイド鏡がないから、ビデオの
液晶画面に映し出される太陽でガイドをしたらいい。これならいちいち接眼部をのぞき込まなくて良いから、とても楽だ。
 ウ〜ム、I'ts a very good idea!
 
 しかし、日食中の風景や人々の様子もぜひにも撮りたいものである。どうするか?さすがに二台目のビデオまで貸してくれと職場に
頼むほど、私は強心臓ではない。ネットで見るとビデオカメラのレンタルもあるが、けっこうなお値段になる。万が一海が荒れたり
してトカラ列島に閉じこめられた場合、延滞料が驚くほど高い事になるようだ。下手すると新品を買うほど取られてしまう。
 
 そこで思い出したのが、連続写真で使用をあきらめたCanon G-7である。こいつはデジカメながら動画も撮れるのである。動画撮影
中はレンズのズームが効かなくなるのは残念だが、とにかくデジタルビデオ並みの画質の動画が撮れるのである。
 これで風景や人々の様子を動画撮影しよう。皆既の前後は色々やる事があって、あちこち写している暇はないから、三脚に固定して
自分を中心に映せばいい。
 

もっとカメラを

 皆既中には空が暗くなって一等星や惑星が見えるという。太陽の周りには、ちょうど冬の豪華な一等星群が並んでいる。
これも写真に写したい。
 コロナは満月ぐらいに明るいというから、けっこう空は明るくて、星野を写すのにそんなに長い露出はかけられない。いっぺんに
多くの星を写し込むために広角レンズを使って、露出は数秒から20秒位、固定撮影で十分だろう。もはやデジタルカメラは底をついて
いるので、これにも銀塩のマニュアルカメラを動員することになる。
 
 さらに、皆既中のコロナを背景に、記念写真なんてどうだろう。
    @ 自分を照らすためのストロボ(外付け用)を用意し、それに合うようにカメラの絞り決める。
      皆既中は暗いから、ストロボの発光にシンクロしさえすればシャッタースピードは速くても遅くても、自分の姿は
      バッチリ写るのである。
    A 絞りは@で決まっているから、シャッタースピードで調節して、コロナが良く写るようにする。
      コロナは満月ぐらいの明るさだというから、シャッタースピードは本などの情報や実写テストで事前に決めておく。
    B @・Aで調整したカメラで写せば、コロナを背景にした自分の姿がバッチリ写るはずである。
 今のカメラは露出もストロボも自動化が進んでいるのでこんな芸当は出来るかどうか分からないが、銀塩・マニュアルフォーカスと
いう昔のカメラに、これまた古いストロボがあれば、これが出来るのだ!これぞ、「ザートラ写真」の真骨頂なのである。これを撮ら
いでおくべきか!
 広角レンズなら構図もピントも、大雑把で大丈夫だ。

 さらに、本影錐という、月の影の移動を写すのにも、広角レンズが有利であるという。
 さらに、さらに、日食中の風景や人々のようすも写しておきたいではないか。

 皆既中の星々も、コロナを背景の記念写真も、本影錐も、日食中の風景も、時間的に考えて1台のカメラで兼用できるだろう。

 若い頃、父親から譲り受けたCanon NewF-1という往年の高級マシンを、これら四種類の撮影に当てる事にする。

 私の父は何を思ったか、こんな高級機を持っていたのである。その上、ウエストレベルファインダーという物まで一緒に買ってあった。
普通のファインダーと交換して使うことができる。ウエストレベルファインダーは、見口がやたらに大きくて、かなり目を離しても構図が
分かる上に、ファインダーが360度回転できて、カメラの位置が低いときは、上からファインダーをのぞき込むことも出来るのである。
短い三脚にカメラをつけて高々度を写すときなど、天頂プリズムを使ったのと同じ原理になるので、極めて具合がよい。

  オートフォーカスのカメラが出始めたとき、もうマニュアル機の時代は終わったなどと言葉巧みに父を欺き、このカメラを、未使用の
ウエストレベルファインダーともども、まんまと手に入れたのである。罪作りな話ではあった。
 

トカラ列島は光害のない絶海の孤島だから


 余裕があれば夜、星の写真も撮ってみたい。トカラ列島は光害のない絶海の孤島だから、さぞや星空も素晴らしいことであろう。
 
 持って行くカメラの中でも、デジタル一眼はバルブ時にはかなりの電力を消費する。その後、現地でバッテリーの充電が出来るかどうかは
分からない。日食の時は、かなりの枚数を撮影する事になるから、バッテリーも、データ記録用のメディアカードも、十分に容量を残して
おかなければならない。少なくともバッテリーに充電ができる見通しが立たない限り、デジタルを星空の撮影用には使うわけに行かない。
対日食用の主力機として、皆既当日までなんとしても温存しなければならない。

 Canon AE-1プログラムは長時間の露光には向かない。バルブで撮影すると、露出中ずっと電力が必要で、あっという間に電池を
消耗してしまう。

 持って行くカメラの中で唯一、Canon New F-1だけが、バルブで露出しても電池を食わない。他に選択の余地はない。これをEM-200に
乗せて公害のない素晴らしい星空をガイド撮影することにし、28o・50o・200o・などのレンズを持って行くことにする。 


このカメラに与えられた、5種類目の撮影任務である。


こうして


  私が宝島へ持ち込んだカメラ類は以下の通りである。
 
   EM-200 メタル三脚仕様 に搭載
      タカハシ5p f=700o + Canon EOS Kiss DX(デジタル一眼)・・・・・・・・・・・・・・・・太陽直焦点撮影用
      300o望遠レンズ(28〜300ズーム) + Canon EOS Kiss DX(デジタル一眼)・・・・コロナ撮影用(旅の記録にも)
      Sonyデジタルビデオカメラ(DVテープ仕様 テレプラスレンズ装着)・・・・・・・・太陽・コロナの動画撮影用(旅の記録にも) 

   写真用三脚(3台持参)に固定
       Canon G-7 (コンパクトデジカメ)・・・・・・・・・・・・・・・・・日食時の風景などの動画用
       Canon AE-1プログラム + 35〜70oズーム・・・・・・・・日食の連続写真 用(旅の記録用にも)
       Canon New F-1 + 17o・・・・・・・・・・・・・・夜の星空、本影錐、皆既中の星野、日食中の風景、コロナをバックの記念写真  用

   その他
       Canon FDレンズ 28o・50o・200o・・・・・・銀塩カメラ用レンズ 夜の星空撮影用
       Canon EFレンズ 18o〜55oズーム・・・・・・デジタル一眼常用広角レンズ
       Canon EFレンズ 50o F1.8・・・・・・・・・・(もしかしたら、デジタル一眼で夜の星空撮影用にするかも)
 
 先にも書いたが、日食のガイドブックに、三脚を6台もセットして、一人で撮影にチャレンジしている人の写真が紹介され
ていた。あんな無茶はしてはいけないと思ったはずだったのに、計画ができあがってみれば、結局私はその人と同じ数のカメラや
ビデオを、日食中に一人で動かすことにしていたのであった。やろうとしていることはきっと彼よりも複雑だと思う。
 
 心ある人は問う。「君、こんなに欲張って、本当に大丈夫なのかね?」
 
 「何を言うか、たるんどる! あとは特訓あるのみだ! 財力と機材と人手と知恵が足りない分は、精神力で補え!
  精神一統、何事かならざらん。ゼイタクは敵だ! 皆既日食の撮影訓練は、月・月・火・水・木・金・金!
  コロナの写真は血の一滴。 すすめ一億、日食だ! 撮ってぇ来ぅるぞと、勇ましくぅ〜。 行くよ一途に宝島!」


 (あ〜あ、とことん、軍国調になっちまった)



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