2009722 トカラ列島 宝島
        - 準備編 通信班 -
 
 絶海の孤島・宝島において、本土との通信手段と、情報の入手経路を確保するのが通信班の任務である。
とりわけ通信手段の確保は、自分のクビが懸かる大問題であった。
 
通信手段を確保せよ
 
 フェリー「としま」は、少しでも海が荒れると運行されない。唯一の交通手段、と言うより島の生命線という
べき船を守るため、「としま」は大切に、大切に運用されるのである。
 
 インターネットで宝島の事を検索して、いろいろな方の旅行記を読ませていただいた。台風が来て島にカンヅメ
になった話があった。週2便しかないフェリーが、2便とも欠航となり、民宿に予定外の延泊1週間。暴風に
閉じこめられて何もできないままに日が過ぎ、宿泊費も底をついてたいへん困ったという。
 
 7月でも、台風は来ることがある。万が一、島に閉じこめられたら、どうなるのであろうか。まず、しなければ
ならないことは職場に連絡して、休暇を延長することだ。そのためには、通信手段を確保しなければならない。
もし、連絡が付かずに1週間も無断欠勤、なんて事になれば、生還できても職場に机が無くなっているだろう。
 
 東シナ海に浮かぶ絶海の孤島、トカラ列島では、義務教育が行われるようになったのが学制発布から半世紀後で
あったというほどである。島の生活には現代においても、本土と比べて様々な不自由がある。人や物の行き来に
加え、通信もさまざまな制約を受けているのである。
 
 たとえば島ではドコモ以外の携帯電話は使えない。人口100人ほどの島では、いろいろな携帯会社が乗り入れて
も、利益は出ないだろうから致し方ないことだが、携帯電話さえあればそれがどの会社の携帯でも、日本中どこへ
行っても電話ができるなどと思っているのは、都会ボケした、インフラに恵まれた人である。
 
 いや、島の人々は、最初からドコモを使うだろうから、問題はないのだろうが、私にとっては大問題である。
私の携帯電話はauなのだ。これを持っていても、宝島では使えないのである。島に公衆電話があるかどうかは
わからない。人口100人の島だ、公衆電話など無いに決まっている。台風で島に閉じこめられた時、休暇を申請
できるように、通信手段=ドコモの携帯を確保しておかねばならない。
 
 ツアーの案内と一緒に、ドコモの携帯電話レンタルの案内が出ている。1週間ほど借りると新しい携帯を買う
ほどのお値段になる。財政逼迫の折り、できれば、こういう出費は避けたいものだ。
 
 身の回りに、ドコモの人はいないか?ドコモを貸してくれるありがたい人は・・・。
 いた!私の親である。父を拝み倒して、旅行中、携帯を貸してもらうことにした。おかげでタダで、仕事をクビ
にならない通信手段を確保することができた。(いい年をして、いまだにスネかじりの身とは恥ずかしい限りで
あります。)
 
 ちなみに今回乗るフェリー「としま」や「あけぼの」は完全に携帯の圏外を航行する。どこの電話会社の携帯も
使えなくなるので、船には衛星通信のできる電話が付いているという。
 
 さて、島に行ってみると、食事を頂く会場となったコミュニティセンター(通称を「コミセン」というらしい)
の玄関を出たところにある古めいた棚の中段に、昔懐かしい赤電話が、雑多な品々と共に置かれていた。海からは
随分離れた高台なのに、ここまで潮風の影響があるのだろう、だいぶさびついている。もう、使う人もいないの
かも知れない。でもこの電話、いつまでもここにあって欲しいな・・・。30年も昔の学生の頃、まだ、学生は
誰も電話など持っていなかった時代、タバコ屋の店先に置かれた赤電話から週に1回、実家に電話していたことを
懐かしく思い出した。
 
 
万能情報収集機
 
 島では、様々な情報を得ることができるのだろうか。とりわけ、天気予報と日食関係のニュースは気になる
ところであるし、我らがカープの試合結果も気になるところである。
 コミュニティーセンターでは一人10分ずつ、パソコンを使ってインターネットができると案内に書いてあるが、
200人もツアー客がいるのだ。なかなか順番は回ってこないだろう。ケータイでのインターネットというのは、
やったことが無くて、私は自信がない。(こういう新しい事を苦手とする人間を「○寄り」という。)
 
 ここは一つ、古式ゆかしくともラジオを持って行こうではないか。島は周りに遮る物がないから電波も良く届く
に違いない。鹿児島を出航したら、ナイター中継を聞いて、ニュースと天気予報を聞いて、娯楽に、情報収集にと、
ラジオは大活躍するであろう。さらに、ラジオに入るノイズから、雷雲の発生をいち早く察知することもできるの
である。
 
 ラジオといえば、かつて『1963721』の旅に先輩方は、皆既日食を撮影する際の時間の正確さを期するため、JJY
を受信できる短波ラジオを持って行かれたという。自分も若い頃、友人からJJYを聞かせてもらったことがあるが、
なんだかすごいことを教えてもらった気分になったものであった。現在、JJYは、短波放送は廃止され、電波時計
用のものが福島県と佐賀県から発信されている。時刻合わせはそちらに任せるとしても、やはりラジオは秘境の
旅の必需品、世界のどこにいても、あらゆる情報を収集できる万能情報収集機である。持ち運びを考えて、小さな
AM/FMラジオを新調した。
 
 
通信手段は、電話だけではないのだ
 
 宝島には郵便局がある。島からだって、郵便を送ることができるのである。郵便物とても、すべては週に2回
しか来ないフェリー「としま」で運ばれるので、いつ着くかはわからないが、郵便である以上、とにかくいつかは
相手に届くはずである。
 
 皆既日食当日の消印の付いた暑中見舞いを出すのも一興であるとガイドブックに書いてあるのを見て、これは
良いアイディアだとさっそく飛びつく。普通なら絶対にこんな事に手を染めないのであるが、やはり皆既日食で
気分が異様に高揚しているようである。
 
 皆既日食の暑中見舞いを見て、きっとみんな羨ましがるだろう。遠路はるばるトカラ列島まで行くかいがあると
いうものだ。気分は最高、鼻高々である。こうなれば、なるべく大勢に暑中見舞いを送りつけねばなるまいて!
 
 皆既日食の島からの暑中見舞いに、なにを書くか?「皆既日食見ました!」と書くに決まっている。
 いつ出すか?皆既日食を見た後に決まっている。皆既前に「見ました」ではウソになる。
 
 ハガキは、何枚用意しようか?日食自慢がしたくて、送りたい枚数はふくれあがっていく。
 
 だが、考えてみれば、自分は日食終了後、数時間で島を離れることになっている。その間に望遠鏡やカメラを
かたつけ、荷物を宅急便で発送し、自分の持ち物もまとめなければならない。郵便局まで、どのくらい時間が
かかるかわからない。何より、この数時間の間に暑中見舞いを何枚も書いているヒマは無いだろうと言うことに
気がついた。
 
 そうなると、あらかじめハガキの文面と宛先は書いて置かなければならない。文面に何を書くか。「皆既日食
見ました」でいいかなあ・・・?
 
 万々が一にも、そんなことは絶対に無けれども、万々が一、曇ったりして日食が見えなかったら、ハガキを出す
わけに行かなくなる。そんなことは万が一、億が一にも絶対に無いはずだけれど・・・。
 
 ハガキに「見えた」・「見えなかった」と両方の選択肢を書いておいて、結果を○で囲んでから投函しようか。
日食後の時間がない中で、何枚ものハガキに○をしていられるかどうか・・・。いや、「見えなかった」などと
言う選択肢を作るなどとは言語道断、たるんどる!そんな非国民的言動は許されない。
 
 現実の問題として、日食終了後にハガキを投函しに行く時間があるかさえわからないので、前日に投函して
しまうほかはないようである。
 
 そうなると、内容は必然的に「明日の晴天を祈って、宝島にて。」ということにするしかない。
 
 さらに、万々一にもフェリー「としま」の欠航などで、島に渡れないような事態が発生すると、このハガキは
すべて無駄になる。1枚50円×発送枚数が無駄になる。お金は惜しまなければならないから、切手を貼って
いない私製ハガキに文面を印刷して、宝島入りが確実になった段階で切手を貼ることにする。
 
 2009年7月20日夜、私は予定通り宝島へ渡る事ができた。皆既日食の前日7月21日に、予定通りこれらの
ハガキをポストに入れた。そこまではすべて予定通りであったが、7月22日だけが「予定通り」と行かなかった
のは痛恨の極みである。
 
 トカラへの旅から帰って1週間〜10日ほどして、このハガキはようやく各地に届いたようだ。トカラ列島と
いう場所で生きることの不便さ・大変さを改めて実感したものである。
 
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