2009722 トカラ列島 宝島
- 奄美大島-
月と金星
フェリー「あけぼの」の船室はエアコンが効いていて、とても快適である。エアコンがない我が家とは
大違いだ。久々の涼しさと、昨日の心地よい旅疲れとが相まって、爆睡していた私であったが、まわりの
慌ただしい雰囲気で目が覚めた。奄美大島の名瀬港へ、入港が近いのであろう。この状況も「1963721」の
函館入港の記載とそっくりだと、うれしくなって時計を見ると、入港予定の午前5時にはまだかなり時間が
ある。
「皆さん、そんなに急いで下船の用意をしなくても良いですよ、こういうときは鷹揚に構えてゆったり
行動するのがベストですよ、これだから素人衆は困るんだ」と、昔取った杵柄、山でのキャンプ生活の
経験をもとに心の中で密かに優越感を抱く。そういえば、昨夜はシャワーを浴びずに寝てしまった、
せっかくだから船中のシャワーを浴びようかと起き出してみる。ここでシャワーを使っておかないと、
行き先は水不足のトカラ列島だから、もしかしたら帰りまで風呂もシャワーも入れなくなる恐れがあるのだ。
シャワー室は空いているかしらと見に行くついでに窓の外を眺めやると、もう4時を過ぎたというのに、
外は真っ暗だ。私の住む本州の真ん中あたりでは、この時期、この時間は、もう朝である。(ちなみに7月の
下旬、私の所では日の出は4時40分ごろ、奄美は5時半を過ぎると言うから、ずいぶん違いがあるわけだ。)
遙けくも西方まで来たものだとドアを開けてデッキに出てみると、その瞬間、モワッ!と暖気のかたまりが体を
包み込んだ。まるで蒸し風呂のようだ。ウワッこれは、と一瞬たじろいだが、はるか向こうに島影と街明かりが
見えた。奄美大島だ!そしてそのすぐ上の、薄明が始まっているであろう空低く、細い月と金星が輝いている
ではないか!
月だ!月が見える!
あの月があと二日すると新月となって太陽と重なるのだ!もうここは皆既帯の中なのだ!と感動を覚え、
この美しい夜明け前の光景を記録に残そうと船室にカメラとビデオを取りに戻る。
再びデッキに出てカメラを構えるが、船が揺れて思うようにいかない。では、ビデオなら、とスイッチを
入れるとすぐに警告マークが点滅した。『結露注意!』のメッセージである。エアコンが効いた
室内で一晩キンキンに冷やされたビデオカメラは、蒸し風呂に近い外気に触れた瞬間、金属部分に結露を
生じ(あるいは生じそうになって)安全装置が作動したのである。
ちなみにこのビデオカメラは古いので、記録媒体はテープである。ドラム部分の金属に水滴がつくと、
テープがそこに張り付いて故障してしまうので、それを防ぐための安全機能がついているのだ。いったん
結露の警告が出るとそれから数時間は、カメラを使うことが出来なくなってしまうように設定されている
のである。なんてこった!
この現象は、真冬の寒い戸外から暖房の効いた室内にカメラを持ち込んだときに起こるが(マニュアル
にもそう書いてある)、まさか真夏に、しかもこの大切なタイミングで起こるとは!改めて、船内の
エアコンの威力と、南西諸島の高温多湿さとを思い知らされた出来事であった。
そうこうしながらも、薄明の空に輝く月と金星に見とれているうちに、船は湾内に入り、次第に着岸が
近づいてきた。「そうだ、船を下りる支度をしなくては!」鷹揚に構えるはずが結局最後は大慌て。シャ
ワーも浴びられないまま、ほとんど一番後から船を下りる羽目になった。
乗船した時と同じ、船の4階部分の、目も眩むような高さの出入り口を出て、ラッタルを降りる。また、
高所恐怖症という病気が重篤化しそうだと思ったが、この港では、ラッタルを2階部分まで下ると、飛行機
に乗る時に通るボーディングブリッジのような構造の水平な通路に導かれる仕掛けになっていた。2階の高さ
でしばらく進んで、それからもう一度階段を下りて、地面(岸壁)に到達するというシステムだ。乗船のとき
あれほど怖かった4階までの高くて長いラッタルは、ここでは二段の構えになっている。一気に4階分を下りず
に済んだからだろうか、今回は私のような高所恐怖症人間もあまり恐怖を感じずに、無事に船をりることが
出来たのであった。ヤレヤレ。
ようやく白み始めた空を背景に、船の煙突の上に先ほどの細い月がかかっている。フェリー「あけぼの」、
お世話になりました。大きな、頼りがいのある船でした。
名瀬港
「岸壁をそのまままっすぐ進んでください」という案内を受けて、前進する。下船するのが遅かった上に、
下りてからも船と月をゆっくり眺めていたせいであろう、もう私のまわりには誰もいない。知らない場所で
一人、というのは心細いもので、どこまでまっすぐ行けばいいのだろう、ずいぶん来たが・・・と不安に
なったころ、右手に上がる階段が目についた。上はどうも改札や待合所になっているようだ。ここから
外に出るに違いない、それにしても、この方向を変える大切な地点に案内人なり看板なりを用意して
いないとは、旅行会社もけしからんものだ、いや、オレが遅くなりすぎたのか、などと思いつつ階段を
上り、建物に入る。そこは駅のコンコースのようになっていて、壁には皆既日食のポスターが貼ってある。
書類記入用の机の上にも、皆既日食のパンフレットがたくさん置かれていた。いやー、いよいよ来たぞと、
それらを眺め入ったが、待てよ、この建物には、どこにも人の姿がないではないか。「みんな、もう改札を
出てしまったのだろうか?」と不安は益々募ってくる。辺りを見回すが、旅客はもちろん、改札関係の人さえも
いない。完全な無人状態だ・・・。
おかしいなぁ・・・どうやら私は迷子になってしまったようである。マズイ、ここで置いて行かれたら、
すべてはパーだ!動揺する心を抑えつつ、最初から考え直してみる。
「岸壁をそのまままっすぐ進んでください」・・・船を下りたところでそう言われた・・・あれから
曲がれと言う案内は無かった・・・と言うことは・・・まだ横に曲がってはいけなかったのか?来た道を
引き返すべきなのかも知れない。外に出て、先ほど昇ってきた階段を降り、もういちど進路を「まっすぐ」に
取る。前方にも誰も見えないので本当に前進して良いのか、確信が持てないが、今は信じるしかない。こんなに
進んでもいいのか?と思うくらい長い距離を歩く。私の左手は海。右手には長〜い建物が、ずっと続いている。
さすがは、大型船用の岸壁だ。船を下りてからずっと、その建物に沿って歩いてきたのだが、とうとうその
長〜い建物も通り過ぎてしまい、右手は港の内と外を隔てる金網フェンスに変わった。これまた延々と続いて
いる金網フェンスに沿って、さらに進むと貧相な出入り口があって、そこに係の人が立っていた。ようやく自分の
行くべき場所にたどり着けたようだ。「岸壁をそのまままっすぐ進んでください」って、こんなに長くまっすぐに
進むとはねえ・・・。
金網フェンスを出たところに何台かのバスが駐車中で、それに乗るように案内される。どのバスも、もうほぼ
満席で、やっぱり私が一番最後だったのかなあ、みんなを相当待たせてしまったのかなあ、などと思う。ここで
旅行者の人から奄美大島での緊急連絡用の電話番号が発表され、「迷子になったら、ここに電話して下さい。」などと
言われる。私は、この電話番号を聞くより前に、港の構内で迷子になりかけたのである。危ないところだった。
奄美では終日自由行動だと事前の案内にあった。それは言葉をかえれば、奄美大島に放り出され、行く当ても
ないままに亜熱帯の島で昼間を過ごさなくてはならないと言うことだ。いよいよバスから追い出されて、長い
放浪の一日が始まる・・・と思っていたら、我々はバスでホテルに連れて行かれるのだという。
「ホテル?」聞いてなかったけど、炎天下にほっぽり出されると思っていたのでうれしかった。(地元に帰ってから、
よくよく見たら、膨大なツアーの資料のごくごく片隅に「いったんホテルに案内」と1カ所だけ記載があったのを
発見しました)
マングローブの林
案内されたのは、大きな観光ホテルの2階にある大広間であった。学校の講堂みたいなステージまで付いている。
結婚式や講演会などに使われる部屋なのだろう。ステージ側2/3ほどには畳が敷き詰められ、「どうぞご自由に
出発までの時間をお過ごしください」と言う。おそらくここに集められたのは、私と同じG-2コースの参加者たち
だろう。とするとここにいるのは約200人?皆さん車座になったり寝そべったりして思い思いに船旅の疲れを
癒している。朝も早いから、もう少し眠りたい人も多いことだろう。
出口側には長机が並べられ、ここも自由に使えるが、さっそくパソコンを広げてなにやら盛んに打ち込んでいる
人が目についた。「ウ〜ム、日食撮影のプログラム修正に余念がないのか・・・」と彼らの天文マニアぶり、
猛者ぶりに舌を巻く。(実はブログの書き込みをしている人がほとんどだったようだが・・・。)
さて、本日、私は、この名瀬の町から数キロの大浜海浜公園を訪ね、タラソ奄美の竜宮なる屋内プール施設で、
直射日光に当たらずに海水浴を楽しもうという計画を立てている。
今はまだ朝も早いので、少しこの大広間で休んでから、と思っていると、昨日知り合ったNさんは、どこからか
いろいろな島内ツアーのパンフレットを入手してきて、あれがいいか、これが良いかと検討を始めた。なにせ
彼は、仮に日食が見えなくても、南九州の山々を巡り歩ければそれでOKというナチュラリストだ。
金作原(きんさくばる)原生林探検とか、マングローブの森をカヌーでくだるとか、勇ましくて体力を
消耗しそうなツアーの案内に見入っている。そしていつの間にか、彼を中心に数人のグループが形成されていた。
夕べ彼はずっと私と一緒で、これらの人たちとの交流は無かったはずなのに、いったいいつ仲間の輪をひろげた
のであろうか?すごいリーダーシップである。
彼は原生林探検はどうかと、私たちに提案した。膝に爆弾を抱えている私としては、鬱蒼としたジャングルの
中で膝の痛みが再発して歩けなくなる事態だけは避けたかったので、「年寄りにはそれは酷すぎるツアーだ」と、
恥を忍んで反対する。考えてみれば、別に彼や彼らと本日の行動を共にしなくてもかまわないわけだから、
「ごめんくださって・・・」
と、当初の計画どおりに大浜海浜公園に一人で出かけたっていいわけだが、こうして旅に出て、次第に人間関係が
出来てくると「旅は道連れ、世は情け」という言葉が実感として湧いてきて、やっぱり一人よりは道連れがあった
ほうがいいと思えてくる。
さて、私の反対に同情してもらえたのか、大方の意見は、マングローブのカヌー下りに傾いたようである。
カヌーなら膝は大丈夫だろう。くたびれるかもしれないが、何とかおつきあいできるかも・・・。しかし、
その場所は、この大きな奄美大島を縦断したはるか彼方にあり、しかもそこまで路線バスで行くのだという。
そんなに遠くへ行って、時間までに帰ってこれるのだろうか?彼らは、都会の人間ばかりで、田舎のバスが
いかに本数が少ないかを知らないのではあるまいか?
彼らは帰りの時間など全然気にしないで、マングローブカヌー下り!ということで衆議一決した。何人もの
人間が戻ってこなければ、ツアー主催者も少しは待ってくれるだろうと開き直って、不安を抱きながら私も
連れて行ってもらうことにした。(大浜海浜公園計画の相談に乗ってくれた後輩よ、スマン、計画は変更に
なってしまった。許してくれ!)
参加メンバーは老若混淆だが、男ばかりが5人ほど。一番若そうな、いかにもスポーツマン風の彼などは、
「カヌーなら3時間ぐらいは漕がないと」と、敬老精神のかけらもないようなことを平気で言う。エラいことに
ならねば良いがと不安を抱えつつホテルを出てバス停へ向かう。まだ早朝なので、ほとんど人通りはない。
名瀬の街は事前に地図で見ておいたのだが、まったく土地勘がつかめない。方角も分からない。こんなことで
本当に遠路をバスで往復できるのだろうか?
バスに乗って名瀬の街を抜けると、あとはずっと緑濃き田園地帯。ほとんど集落も見ず、揺られること
1時間あまり、記憶が定かでないが、後で地図で見ると住用町というところであろう、マングローブ原生林が
あるという山の中の停留所でバスを降りた。料金は確か800円を超えていた。これは学生時代に、星空を
求めて山奥までバスで出かけたときの料金と大差ない。すごく遠くへ来たという感を強くする。
バスを降りたとき、私は帰りの時刻表を確認した方が良いと思ったのだが、他のメンバーは誰もそんなこと
気にもしない。やはり都会住まいの人たちばかりなのだろうか?私もつい長い物に巻かれてしまい帰りの時間を
確認しないまま、しかし後ろ髪を引かれる思いでバス停を後にした。本当に帰れるのかなあ・・・。
すぐにマングローブパークという立派な施設に到着。鉄筋の、大きくてモダンな案内所のドアは開いていた。
中に入り、フロントの呼び鈴を押すが誰も出てこない。おかしいな、と思いつつ待つこと数十分、開園時間に
なったのか、ようやく受付の人が現れた。こんな立派な施設が一晩中無人で、カギも掛かっていなかったの
である。・・・さすが奄美大島、のどかなものである。
さて、「マングローブの林をカヌーで下りたい」と申し込むと、今日はすでに予約で一杯だという。1時間も
かけてはるばる来たというのに、なんということだ!どうしたらいいのか?途方に暮れるメンバーを尻目に、
Nさんは動ずる風もなく、あたりの偵察に出かけていった。まもなく戻ってきた彼は、この上に別の業者が
あったから、そちらに行こうという。その行動力に舌を巻く。この人はプロのツアーコンダクターではないかと
思えてくる。
坂を上りきってたどり着いたのは、西部劇のバーと時代劇の峠の茶店をたして二で割ったような建物で、
マングローブ茶屋というらしい。先ほどの立派な施設とはだいぶ趣が違うが、こちらの方が野趣がある。
インストラクターが一人ついて、カヌーに乗せてくれるというので、ここにお願いすることに決定。
我々はその店でワゴン車に乗せられ、山を下りて、河原に案内された。
救命胴衣を着け、草むらをかき分けて進むとカヌーが係留されている乗り場が現れた。インストラクター
のお兄さん(オジサン?)の手を借りて一人乗りカヌーに体を収める。川と言っても、ここは河口に
近いので、潮の干満で水深が変わるという。今は引き潮で、水深は浅くなっているようだ。流れも
ほとんど感じられず、穏やかな水面である。激流を下るようではおそろしいが、これなら安心。パドル(櫂)
を漕ぐと、我ながら調子よくカヌーはスルスルと進んで行く。川の両岸にはマングローブの林が広がっている
両岸から川面まで、枝が鬱蒼と茂った下をカヌーで進むのかと想像していたのだが、川幅が広いせいか、
木が小さいのか、頭上には広々と青空が広がっている。
かねてから聞いていたとおり、マングローブの親木から落ちた、サヤインゲンみたいなタネがいくつも
浅瀬の泥に突き刺さり、そこから新たな木が育っているのが見える。そのタネは実に整然と、直線的に並んで
突き刺さって、そこから新たな木が育ち始めている。田植えをした後の苗状とでも言おうか、まるで人の手で
規則的に植えられたように見えるのが印象的であった。
水路は結構複雑に入り組んでいる。仲間とはぐれないように気をつけねばならぬが、そのあたりはさすが
インストラクター氏、さりげなくみんなをまとめて、誘導してくれる。参加者全員、そろって彼に写真を
撮ってもらい帰路につくが、実はここからが、お年寄りには大変なのであった。ほとんど流れはないと
思っていたのだが、川は緩やかに流れていて、我々はここまで、流れに乗って楽に川を下って来たので
あった。帰りは川を遡らなくてはならないので、パドルを漕ぐのに結構力がいるのである。腕に疲労を
感じつつ、それでも懸命に漕いでいるうちに、私はルートを誤って浅瀬に入り込んでしまった。
川はどんどん浅くなり、次第に舟底を砂利がこするようになってきた。まずいな・・・と思ううちにカヌーの
動きが止まってしまったではないか。座礁だ!パドルで川底を思い切り押してみたけれど、カヌーは前にも
後ろにも、まったく動かなくなってしまった。
こういうときどうすればいいのか、さすがのインストラクター氏は、事前にちゃんと教えてくれていたので
あった。すなわち、カヌーから下りて、水の深いところまでカヌーを引っ張って歩けばいいのである。簡単な
ことなのだ。その教えを実践する時が来たとばかりカヌーから下りようとして、思わず「あっ!」。
下りようとしたとたんにカヌーは極めて不安定になって、横倒しになってしまったのである。腰から下は
スッポリとカヌーの中に収まっているので、動きが取れない。とっさに立ち上がることが出来ない。お腹の
部分に置いていた、カメラとビデオの入ったナップザックを瞬間的に左手でつかんで高く掲げ、水没を
防いだのはさすがであった(これが濡れたら、日食撮影は絶望的だ)が、左手のこぶしを空高く掲げたまま、
私は水の中で寝転んだような姿になってしまった。左手を動かすわけにいかないこの姿勢では、カヌーから
下半身を抜いて起き上がることが出来ない。水が入ってきて、腰から下がずぶぬれだ。
インストラクター氏に助けてもらってようやく立ち上がり、カヌーを引いて浅瀬を歩く。なるほど、流れを
遡って漕ぐより歩く方が楽である。ほどよい深さまで来たので、もう一度、今度は慎重にカヌーに乗り込んで、
なんとか出発地点の船着き場へ戻る事が出来たのであった。
別れ際にインストラクター氏は、サヤインゲンを固くしたようなマングローブの種を拾ってきて、
おみやげだと言って私たちに一本ずつくれた。水の入ったペットボトルに入れて持ち帰れという。
客は俺たちばかりだろうと思っていたのだが、船着き場にはもう次の客が大勢いて出発の用意をして
待っている。インストラクター氏は巧みに時間を調整して、本日第一陣の客である我々をここへ連れ戻し、
効率よく次の客の案内に移るようだ。
この間、約30分。私の体力にはちょうど見合ったマングローブ林のツアーであった。もし、
次の客がいなくて、時間を三時間に延長しよう、などと若い仲間が言い出したら、たいへんなことに
なるところであった。してみると、カヌーツアーが賑わっているのは、私にとっても結構なことだった
わけである。
ハブの話
再びワゴン車に乗せてもらってマングローブ茶屋に戻る。
帰りのバスの時間を調べると、思ったよりは数があって安心したが、次のバスが来るまでしばらく
時間があるので、茶店の外に置かれたテーブルとイスに座って、濡れた下半身を天日で乾かす。バスを
待つ間に乾いてくれるといいのだが、こんなビショビショのズボンでバスに乗ったら、それこそ
ヒンシュクものだ。
茶店の人によると、奄美大島には、やはりハブは多いという。ハブも人間を恐れているので滅多には
襲っては来ず、たいていは逃げていくのだが、人が草むらなどに入り込んで気がつかないうちにハブを
踏んでしまったような場合は危ないのだそうである。また、体長が1メートルを超すような大きなハブは、
自分に自信があるので襲ってくることもあるという。奄美大島には、ハブを撃退するため道ばたに
長い棒が置かれていると、学生のころ奄美出身の友人から聞いたことがあったが、そういう棒が今でも
あるかどうかは、うっかり聞き忘れてしまった。トカラ列島にも、宝島と小宝島には、毒は弱いが
トカラハブというやつがいるという。毒は弱くてもハブはハブだ。いささか心配になって来た。
そんな話をしながら飲み干したペットボトルに水を入れ、先ほどもらったマングローブの種をしまい込む。
こんな方法で、無事にこの種を家まで持って帰れるのだろうか?まあいいではないか。これはあくまで
話の「種」、土産話の「種」なのである
。
小一時間ほど待つと名瀬行きのバスが来た。下半身はまだ半乾きだが、次のバスまで待つ余裕はない。
シートが濡れて大きなシミが出来て「オモラシだ!」と誤解されぬ事を祈りつつ、一番後列の真ん中の
席に座る。この席は前の通路に足を投げ出して、楽に座れるのが魅力であるが、疲れてウトウトして、
前に転がりそうになってしまった。隣の席に座っていた坊主頭の高校生が心配して
「席、替わりましょうか」
と親切に言ってくれる。お気持ちはありがたいのだが、ここで席を替わるとシートが濡れているのがバレて
しまうので、鄭重にお断りする。
彼は坊主頭なので野球部かと思って聞いたらバレー部であるという。とても礼儀正しい、爽やかな
高校生であった。名瀬の高校まで、毎日バスで長距離通学しているのかな? それとも、普段は名瀬に
住んでいて、今は夏休みだから実家へ戻っていたのかな、などと想像を巡らしているうちに、バスは
名瀬市へと戻ってきた。
まだズボンは濡れているが、幸いなことにシートにシミは出来なかったようだ。何食わぬ顔をして
バスを降りる。あ〜、危ないところだった。
名瀬の街
今朝は出発が早かったので、あれだけの距離を移動して、あれだけのことをしたのに、名瀬に
戻ってもまだ昼前であった。半日をとても有効に使えた気分だ。早起きは三文の得、とはよく
言ったものである。
Nさん以外は今だにお名前も知らないのままなのだが、お近づきになった皆さんと一緒に名瀬の
商店街を歩いてみる。規模はあまり大きくはないが、小ぎれいなアーケード街で、ちょうど夏祭りの
飾り付けがされていた。皆既日食に関しては、あまりアピールされていないようだった。
昼時なのでみんなで小さな食堂に入る。テレビがついていて、
悪石島に日食ツアー客が上陸
と言うニュースが流れていた。フェリー「としま」から下りて来る大勢のツアー参加者が映し
出されている。いよいよだと言う思いが湧いてくる。このフェリーが今、こちらに向かって
航行中なのだ。今日の夕方、我々を乗せるために、名瀬までやって来るのである。
さらに、テレビでは、
宝島の日食ツアースタッフが朝の散歩中に転んで
頭蓋骨を骨折、ヘリが出動して鹿児島市の病院に
収容された
というおそろしいニュースが報じられている。宝島とはいったいどんなところなのだろうという
不安と、いざとなれば助けのヘリが来ることが証明されたと言う安堵感とが交錯する。
昼食後、何人かはハブとマングースの決闘ショーを見に行くのだと言って出かけていったが、誠に
ご苦労様なこと、私は体力を温存するとしよう。ホテルの近くにコインランドリーを見つけたので、
今朝のカヌー転覆で濡れたズボンと、ここまで着て来た服とを洗ってもおきたいのである。この先、
トカラ列島へ渡れば、洗濯は絶対に出来ない。ここでコインランドリーを使えれば、衣料事情は大いに
好転するので、ぜひ洗濯をしておきたいのである。商店街の薬局で、小分けされた洗剤を買い、
建物も機械もかなり古びた、場末の雰囲気をたっぷり漂わせるコインランドリーに入る。洗った物を
干す場所はないので乾燥機も使ったのだが、ここの乾燥機は非力なのだろうか、わずかな夏の衣類を
乾かすのに、時間とお金をずいぶん消費させられた。
真夏の昼下がり、名瀬の街は、あまり人通りもない。白く塗られた郵便局の壁が、強烈なの太陽を
照り返している。その横に、天幕を広げて果物を売っているおばあさんがいた。果物の入った白い
段ボールがたくさん並んでいる。見たこともない果物だ。キュウイフルーツを3倍くらいに大きくして、
色と形はそのままに、表面をつるりとさせたような感じの果物だ。聞いてみるとパッションフルーツだと
いう。食べ方も分からないので「皮をむいて食べるんですか?」と聞くと、おばあさんは先端部分を
ナイフでスパっと切った。丸く開いた口から中を見ると、内側は白い皮でコーティングされていて、
アケビの実の内側みたいだ。中にはオレンジ色の、液状のものが入っている。「かき混ぜてすするんだよ」
といって、一つすすめてくれた。いただいてみると、甘酸っぱい南国の味だ。おいしい。ごちそうになっ
たら、買わないわけにはいかなくなるのは人情というもの。一箱買って、家に送ることにする。横には
うまい具合に(?)郵便局。送りの伝票はもちろん郵パック、見事なタイアップ商法だ。おばあさんは
おまけとして何個か、パッションフルーツを私にくれた。
「トカラには店がないから土産を買うなら奄美大島にいる間に」と、奄美フリークの後輩からアドバイスを
受けていたが、この商店街には、いわゆる土産物屋は見当たらなかったので、ちょうど良いタイミングだった。
奄美大島では、いわゆる土産物を売る店は、もっと観光地に行かないとないのだろう。
ホテルに戻って休憩。大広間とはいえ、エアコンが効いた中、畳に寝そべってゴロゴロ出来るのは、誠に
ありがたいことである。
午後4時頃、ホテルの前に迎えのバスが来て、港へと向かう。バスは大型ホテルが立ち並ぶ街の中をグルグル
回って行くので、まったく方向感覚がつかめず、どこにどう連れて行かれているのか、皆目見当がつかない。
どうも、朝着いた港とは別の港に着いたように思うが、バスを降りると、桟橋の入り口だった。
傾き始めた日に焼かれながら、行列を作って待つことしばし、白い船体に青いロゴマークが
美しいフェリーが入港してきた。フェリーと言っても、瀬戸内海で見かける航空母艦スタイルのフェリーではない。
波の荒い外海用に作られた船体である。昨日乗ったフェリー「あけぼの」より二回りほど小さいが、頼りがいの
ありそうなその船は、桟橋の手前でゆっくりと向きを変え、接岸した。
トカラ皆既日食のことを調べ始めて以来、あこがれ続けたフェリー「としま」、
トカラ列島へ渡る唯一の交通手段、それが今、目の前にある。
私はついに、ここまでやって来たのだ。
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