2009722 トカラ列島 宝島
             - 鹿児島B-


桜 島

 仙巌園の停留所から右に曲がり、バスは海沿いの道を走る。夏の休日を磯や砂浜で遊ぶ人の姿が見える。
程なく、桜島行きのフェリー乗り場に到着した。市内の見学にだいぶ時間を使ったが、まだ昼を少し過ぎた所、
日食ツアーの集合時間まで、4時間ほどもあるので、計画の当初から行こうと思っていた桜島へ、やっぱり渡って
みようと思い立って、ここでバスを降りることにした。

 フェリー乗り場の外壁はガラス(プラスチック?)製で中が透けて見える近未来的な建物である。
中に入ると、乗船口は二階だというので、エスカレーターで二階に上がると、唐突に、場末の小路みたいな食堂が
並んでいた。近未来と場末とが同居する、このアンバランス感が、えもいわれない。おばちゃんの呼び込みに
つられて、鹿児島ラーメンの店に入る。屋台みたいな開けっぴろげな店構えで、通路と店を仕切る壁も戸もない。

 中はカウンターになっていて、1、2個しかないテーブルが、半分通路にはみ出して置かれている。壁には、
年季の入った品書きが貼られていて、運動部のジャージを着た高校生が席の大半を占めていた。若者に囲まれ、
身を縮めて片隅に座ったオジサンは、「
さつまラーメンと、チャーハン餃子麺は大盛りに!」と
オーダーする。
 困ったお人だ、ハラも身のうち、自分のお年を考えたらいかがですか!? 

 店の土間の、木の丸イスに置かれた扇風機が、汗をかいた体にありがたい。

 桜島行きのフェリーは、昼間は10〜15分おきに出ているので、時間を気にせず乗船できる。瀬戸内海で
良く見かけた、航空母艦状の甲板の四隅に柱を建てて、客室を持ち上げている形のフェリーである。それが
3隻ほど、交互に運行している。桜島までの所要時間は20分ほど。宮島航路とよく似た雰囲気である。
24時間営業だというが、深夜でも需要があるのだろうか?

 青い空の下、マリンブルーの鹿児島湾は穏やかで、静かな波に陽光がきらめいている。甲板に出て眺めて
いると、桜島がぐんぐんと迫って来る。旅に出るまえの計画では、桜島の島内を、路線バスに乗ってかなり
遠くまで行く予定であった。島の奥地には、溶岩に埋もれた鳥居や、展望台なども有るそうで、ぜひ行って
みたかったのだが、時間が足りそうにない。午前中、西郷さん巡りで半日を使ってしまったので、いたしかた
ないことである。

 桜島に到着。フェリーを降りて右に歩く。火山の島だから、あまり人は住んでいないだろうかと思っていたの
だが、ここはけっこうな街場である。道はしっかり整備されて、信号もたくさんあるし、農協のスーパーや
公園やグラウンドなんかもある。少年たちが野球の練習をする声が聞こえてくる。永渕剛が野外コンサートを
開いたと言う広場を横目で見ながら進むと、遊歩道に出た。

 桜島の噴火で流れ出た溶岩が、海に達して固まったのであろう。海岸に沿ってゴロゴロと、焦げ茶色の溶岩地帯が
続いていて、そこに遊歩道が作られている。ここを時間の許す限り歩くことにした。海辺はすべて、溶岩で出来た
磯である。砂浜は、どこにも見あたらない。当然、今はもう溶岩は冷め切っているが、真っ赤な溶岩が海水に接した
時は、さぞやすさまじい光景であったろうと想像する。

 溶岩はせり上がったり、窪地になったりして、複雑な地形を作っている。ひからびた鏡餅みたいな割れ目から
木が生えていたりもする。まだ溶岩が流れ出てからそれほど長い年月は経っていないようで、樹高はあまり高くはない。
松が多いが、ドングリの木みたいなのもある。昔見た、軽井沢の鬼押し出しもこれとそっくりな光景であったことを
思い出す。そう言えば、鬼押し出しの浅間山も、桜島とよく似た形をしているから、溶岩の性質も似ているのであろう。

 桜島の山頂は、相変わらず雲で覆われているが、ここまで来ると見上げるような高さである。そして、驚いたのは
桜島の斜面が実に急峻なことである。切り立つような溶岩の壁だ。水の浸食によるのか、溶岩の流れ方のせいなのか
分からないが、山肌には深い襞が縦に走っている。ロッククライミングの心得がないと、これは登れそうにない。
そもそも、こんな活火山で登山は認められているのだろうか?ともあれ、桜島という火山の表情が見られただけでも、
ここまで来た甲斐があったというものである。

 太陽の前をよぎる断雲が、桜島に光と影を交互に落として行く。対岸には、鹿児島の町並みが白く広がっている。

 この遊歩道は、中々に感動的な風景ではあるが、どこまで行っても終わりにならない。景色も、と溶岩ばかりなので
変化には乏しい。帰りの時間もあることだし、そろそろ来た道を引き返すことにしよう。

 港近くまで戻ると、そこに火山博物館と温泉があった。時間的には、どちらか一方ならいけそうだ。日頃から、
知性と教養と向学心をもって知られる私は(ウソです。真っ赤なウソです!)当然、後者を選択した。

 その名もマグマ温泉という、鉄鉱泉のお風呂である。海の方向は全面ガラス窓で、桜島フェリーが行き来する海の
大パノラマを、赤茶色のお湯につかりながら眺めることが出来る。ウ〜ム、極楽、最高のゼイタクだ!

 思えば、昨日もセントレア空港で、飛行機の発着を見ながら風呂に入った。今日は海の景色を見ながらの温泉だ。
これは極上の旅だと一人悦にいる。

 洗い場に「洗濯禁止」の札が懸かっていた。それを見て、この旅での衣料事情が頭に浮かんで来た。昨夜ホテルで
洗濯ができたので、衣類には多少の余裕が生まれていたが、しかし、この先何が起こるか分からない。トカラへ渡って
しまえば洗濯は絶対に出来ない。今日着ていた服はすでに大汗をかいているから、これを洗わぬまま放置すれば、
悲惨なことになるのは明らかである。温泉の洗い場は「洗濯禁止」だが、脱衣場の洗面台でTシャツを洗うぐらいは
許されるのではあるまいか。濡れたタオルを絞るのと大差なかろうと勝手な解釈をする。(よい子はマネをしないで
下さい)幸い、着替えも持って来ている。(この洗濯は計画的犯行か!)

 まだ日は高いが今日一日の汗を流し、服も洗ってさっぱりして、私はフェリー乗り場へと戻ってきた。

 乗り場には、車が長蛇の列をなして乗船待ちをしている。まるでお盆の、高速道路の料金所みたいな渋滞風景だ。車を
満載したフェリーが次々と出港して行く。小型フェリーの甲板に車がスシ詰めになる光景は、瀬戸内海ではあまり見た
ことがない。鹿児島市と大隅半島を車で行き来するには、錦江湾をぐるりと回るより、桜島フェリーでまっすぐに横切る
方がよほど近いので、相当な需要があるのだろう。このフェリーが24時間休まずに営業している理由は、たぶんここに
ある。

 さあ、鹿児島へ戻ろう。私はフェリーの上甲板 最後尾にあるベンチに座り、遠ざかる桜島を眺めやる。潮風が風呂上がり
に心地よい。そうだ、この手すりに、さっき洗ったTシャツを干したら、すぐに乾くんじゃないだろうか?旅の恥はかき捨て、
という。人目もはばからずシャツとタオルを手すりに掛けると、洗濯物は風をはらんで、ハタハタと翻る。

 ここで一句。

「梅雨明けて 夏来たるらし 桜島 衣干したり 船の甲板」

         
選者評:古来、和歌では本歌取り、漢詩では典故などと言って、いにしえの作品をふまえた
              句作りが推奨されてきたわけではありますが、これでは完全に盗作です。


「船には洗濯物がよく似合う」(ほれ、また盗作だ!)

 桜島を仰ぎ見る特等席を私と洗濯物に占領されて、他の人はさぞや迷惑だったことだろう。



走れ!メロス(鹿児島編)Part2

 フェリーの中で、ふと気がついた。船というものは、着岸してもすぐに下船できるものではない。船をロープで
固定し、前のゲートを上陸用舟艇のように陸地にのし上げて、ようやく人や車が出られるのである。もしかしたら、
あの大量の車を先に出して、人は後、なんてことはないかしら?

 フェリーの航海時間を20分と計算して、日食ツアーの集合時間にキッチリ間に合うように考えていたのだが、
20分というのは単に海を渡るための時間であって、下船するにはさらなる時間がかかるはずだと今頃になって
気がついたのである。

 船を下りたら、いずろ通りへ行って、朝、写真屋へ預けたCFカードと、データを焼いてもらったCDを受け取ら
なければならない。ホテルに立ち寄って、預けた荷物ももらわなければならない。今晩と明朝の食べ物や飲み水も
買わねばならない。さらに、集合場所近くにある、十島村役場も、見ておく計画である。フェリーで20分かけて戻り、
その後40分ほどでそれらの用事を済ませて、ツアーの集合場所には指定の4時より少し前には着くつもりだったのだが、
本当にその計算で良いのだろうか?だいたい、フェリー発着場から写真屋やホテルのある場所まで何分かかるか、歩いて
計ってみたわけでもないではないか・・・。
日食ツアーの集合時間に遅れたら、すべてはパーなのだ!

「もっと余裕を見ておけば良かった」

と、焦りと不安が大きく膨らんできた。

 船は予定通り20分で着岸したが、案の定、着岸までで20分だ。オレが船を降りるための時間は入っていない。
幸い、人と車は別出口で、車の下船を待たされる事はなかったが、計画より、ここですでに5分ほどは遅れが出た。
老いさらばえた足を励まして、走って船を下りる。マズイ、マズイ!そればかりが頭をよぎる。

 建物の外に出ると、タクシーが客待ちをしている。地獄に仏とは、このことだ。「これだ!」とばかり飛び乗って、

「いずろ通りまで!急いで下さい!」と行き先を告げた。

 タクシーは、フェリー発着場前のロータリーを回って、道路へ出ようとして信号に引っかかった。ふだんなら、電車通りへ
出るにはこの信号を直進するのだが、今日は祇園祭のためにそちらは進入禁止、この信号を左折するという。

 ところが、私の進むべき方向に続々と車がやって来て、道が詰まってしまった。信号が青になっても、あふれた車が
交差点の中まで連なっていて、タクシーは前に進む事が出来ない。交差点に入ることすら、いや、停止線から前に進む
ことすら、全く出来ないのである。

 「あれ、まあ」と思っているうちに信号が変わる。また続々と車が押し寄せて来て、こちらが「進め」になる頃には、
前の道は、また車で埋まってしまった。

運転手さんが言う。

「今日は祇園祭で交通規制だから、車はみんなこっちの通りに迂回して来るんですよ。」

しまった!電車通りの交通規制の事は知っていたが、この道がモロにその影響を受けようとは気がつかなかった!
こいつは計算外だ!
この道路、昼頃はガラガラだったのに!

 すべては後の「祇園」祭り。信号が何回変わっても、同じ事の繰り返しで、タクシーは全く前に進めない。
ジリジリして待つが、時間ばかりがいたずらに過ぎて行く。

「ああ私は、なんとしても4時までに、ドルフィンポートにたどり着かねばならぬのだ!」

 またしても「走れ、メロス」だ。雨で増水した川を渡れず途方に暮れるメロスの気分になってきた。メロスは
やがて意を決し、ザンブとばかり濁流渦巻く川に飛び込むのだが、私もこの車の流れを泳ぎ渡るべく意を決し

「ここで降ります!」

と言った。

 乗車してから、20メートルくらいしか動いていないのに、信号から出られなかったおかげで、距離・時間併用の
タクシーメーターは、すでに初乗り料金を超えている。

 濁流を泳ぎ切ったメロスは、その後、山賊どもを打ち倒すのだが、私は、まさか「この山賊タクシーめ」と文句を
言うわけにもいかず、恐縮する運転手さんにお金を払って車外へ出た。

 私をトカラ列島へ渡らせまいと、こんな所に、ワナが仕掛けられていようとは!

 太くたくましい腕をふるって泳ぐメロスのごとく、太いだけの足を懸命に動かして、私は電車通りに出た。
なるほど、そこは、歩行者天国。色とりどりのハッピを着た人々であふれかえっている。これから、この道
いっぱいに踊りが来り広げられるのだろう。もうすぐ祇園祭りが始まるようだ。

 写真屋、ホテルと必死に歩き回って、荷物を受け取る間にも、時は無情に過ぎて行く。もう、十島村役場なんか
見ているヒマはなくなった。ホテルを出ると、そこは昨日、「日没までに!」と急いだ道である。今日の事態は、
昨日よりさらに深刻だ。

 4時までに、何が何でもドルフィンポートの受付へ! 走れ!メロス。

 老人性ヒザ関節症、なにするものぞ!必死で城壁のようなドルフィンポートの向こう側に飛び込むと、その一角に、
コンビニがあった。

「そうだ、今夜のメシ!」

 手当たり次第にパンと飲み物をカゴに入れ、4時きっかり、日蝕館前に設けられた受付デスクにたどり着くことが
できた。昨日のメロスは日没に間に合わなかったが、今日のメロスは、あっぱれ、約束の刻限を守ったのであった。

 しかし、この状況下で、食い物の確保を優先した彼の行為をどう評価するべきかは、議論が分かれるところである。



トカラ皆既日食ツアー、開始


 受付デスクで最初に提出を求められたのは、免許証や健康保険証など身分を証明するものであった。住所氏名を
しっかりチェックされて、申し込んだ本人と証明できないと、トカラ列島には渡らせてもらえないらしい。この
あたりは中々に厳しいようだ。

 本人確認が済むと、首から提げる名刺大のツアーパスや関連の書類が渡される。
 ツアーパスはあらゆる場面で必要になるので、常に首から提げているよう指示される。宝島コースは、青を基調
とした、なかなか感じの良いカードであった。あとで知ったことだが、このパスはコースによって色分けされており、
悪石島コースのパスは灰色っぽくて、あまり良い色とは思えなかった。
 やっぱ、宝島でしょ!南の島にはブルーがよく似合います。

 続いて、事前の通知にあった、協賛企業からのプレゼントがドサドサと渡される。
 「トカラ皆既日食」のロゴ入りの日食メガネ(これはお宝だ!)、虫除けスプレー、腕時計型の電子蚊取り線香、
トカラの塩をつかったアラレ、などである。虫除け製品のメー-カーであるキンチョウのマークがでかでかと胸に
描かれたTシャツもある。プレゼントをもらってケチをつけてはいけないが、Tシャツには今回の皆既日食がらみの
デザインを期待していたので、皆さん、一様に苦笑いである。

 事前通知には、「プレゼントは現地で渡される」と書いてあった。「現地」とは当然トカラ列島のことだと想定
していた私は動揺した。というのも、船への持ち込み制限を気にしながら荷造りをしてきたのに、ここで思いがけず
荷物が増えてしまったからである。手荷物の数が増えると超過料金を取られるかも知れないのだ。それらをどうやって
リュックに詰めようかと、四苦八苦する。(実際には、乗船時にうるさいことは言われなかった)

 ドルフィンポートの芝生の中を通る道にバスが2台止まっている。係に人に「あちらへどうぞ」と誘導されて、
私は後ろのバスに乗り込んだ。

「バスに乗り遅れるな」という言葉が一世を風靡した時代があったそうだが、見よ!私はちゃんとバスに間に合った。
これで、トカラ列島への渡航は、保証されたようなもの、すなわち皆既日食観測の成功は保障されたようなものである。

 バスの座席はすでに満席に近いが、なんと、昨日、日蝕館でご一緒した女性(お名前をIさんとおっしゃる)のお隣が
空いているではないか。旅は道連れ世は情け、こいつは春から(夏から?)縁起がいいぜとばかり、その席にお邪魔して、
今日の鹿児島巡りの様子や、祇園祭りの渋滞でエラい目にあったことなど、あれこれ親しくお話しする。

 バスに十数分揺られて鹿児島「新」港に着く。ここはコンテナが山積みされた貨物港、ドルフィンポートのあった
華やかな鹿児島港とはずいぶん雰囲気が違う。ドヤドヤとバスを降り、コンテナが城門のように積み上げられている
入り口を通り、古びた木造の待合室を抜けて、広い岸壁に向かう。先発のバスから降りた人も大勢いて、通路は
ごった返している。

 Iさんは、ここでお友達数人と合流。てっきり一人旅だとばかり思っていたのに(たしか昨日、一人だとおっしゃったでは
ないですか!)私がその中に割ってはいる余地など当然あるはずもなく、旅の友がいなくなる。世の中思うようにはいかない
ものである。

 ま、いいさ、目指すは皆既日食ただ一つ! いざ諸君、東シナ海へと乗りだそう!

おお、見たまえ!目の前に、巨大な船がデ〜ンと接岸しているではないか!


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