2009722 トカラ列島 宝島
             - 宝島 第一夜-

突入、キスカ湾 !?



 アリューシャン列島キスカ島。かつて太平洋戦争のさなか、駆逐艦10隻をもってこの島に取り
残された日本軍守備隊を救出する作戦が決行された。濃霧に紛れ、島を包囲する米艦隊の目を
かいくぐり、キスカ湾に突入して、5千人を超す将兵を無傷で救出することに成功した、太平洋戦争
奇跡の作戦である。司令官の胆力・決断力に加え、数々の偶然や幸運も味方して、他の島では起き
得なかった奇跡の救出が可能となったのである。これは戦後、特撮でおなじみの東宝・円谷プロに
よって映画化され、私も何度かテレビなどで見たことがある。(『太平洋奇跡の作戦 キスカ』1965年
公開 モノクロ)

 この映画が戦争というものを大局的にどう捉えているかという評価は今はさておくとして、この
映画のハイライトは、なんと言っても駆逐艦隊のキスカ湾への接近・突入のシーンである。キスカ島
の沿岸は地形が複雑で、潮の流れも速い。当時は海図もなく、沿岸の航行は極めて危険であったが、
岸から離れると米軍のレーダーに捕捉される危険があるため、海岸線ギリギリの所を、舷側に見張り
を立て、座礁しないように細心の注意を払いながら船を進めて行く。沿岸の監視哨がエンジンの音を
聞きつけるが、霧で艦影が見えず、日米どちらの船か分からない。「船です、船のエンジン音です!」
と、不安と期待の入り交じった報告が島の本守備隊部に上げられる。やがて艦隊は湾の入り口に
たどり着き、入港ラッパが高らかに鳴り響く。待ちに待った脱出の時がやって来たのだ・・・。

 さて、我が艦隊、もとい、我らがフェリー「としま」である。「としま」は、濃霧ならぬ漆黒の
闇の中を、唯一の光である灯台を右舷に見ながら進んで行く。島の沿岸を回り込むようなコースを
取っているのであろう。キスカ島の沿岸を回り込む艦隊の気分である。灯台はずいぶん近くなって
きたように思えるのだが、人家の明かりや街灯はもちろん、島のシルエットさえも、どこまで行って
も見えては来ない。

 ゴトゴトゴトゴト・・・船のエンジン音だけが、単調に響き渡る。この音は、島まで届いている
のだろうか?「船です、船のエンジン音です!」と叫んだキスカの監視哨が思い出される。

 南の海では、船が立てる波で夜光虫が光ると聞いていたので海面を見下ろしてみるが、それらしい
光は見えなかった。ただ、「としま」の窓や通路の明かりが、船の周囲の海面を照らしている。

「おや?何だ?」

 何か、海面をはねるものがある。石切り(あるいは水切り)などと呼ばれる遊びがあるが、あの、
水平に投げられた平たい石のように、小さな物体が水面で跳ねて、その瞬間船の明かりでキラッと
光るのである。よく見ると、トビウオだ!海面からはねるように空中に飛び出したトビウオが、短い
距離を飛行して、また海に入って行くのである。魚が空を飛ぶのを初めて見た。そういえば、
トビウオは宝島の名物だと何かに書いてあった。

 そんなトビウオを数匹見たころに、不意に船の汽笛が鳴り響いた。入港ラッパならぬ、入港を
告げる汽笛である。今まで真っ暗だった船の行く手に、いくつかの小さな光がともってゆく。
あそこが港に違いない。「としま」の操舵室の左右にある探照灯に灯が入る。見張りの船員が探照灯を
向けた先に、港の入り口を守る突堤が照らし出された。突堤は左右から突き出していて、その間は
かなり狭い水路である。これは難所だ。ここを抜けて、我々はいよいよキスカ湾、もとい、前籠
(まえごもり)漁港に突入するのである。

 船は左右の突堤の真ん中を通って行く。船体と突堤との間には、ほとんど隙間がないように見える。
操船を誤れば、舷側をガリッとこすってしまいそうだ。「としま」は、速度を落とし、探照灯を照らし、
見張りを厳重にしながら、キスカに迫る駆逐艦のごとく慎重に船を進めて行く。探照灯の照射を
受けて、突堤の先端の小さな灯台が、闇の中に白く浮き上がった。それがゆっくりと船の横を通り
過ぎて行く。見ている私まで、緊張で体が硬くなる。

 見事な操船で無事にこの難所を通り抜け、湾内に入ると、前方の光の正体が見えてきた。車の
ヘッドライトだ。車は、10台ぐらいはいるだろうか。他に工事用の投光器みたいなやつが1〜2機
立ってはいるが、車も港を照らし出す照明の役割を担っているようだ。この港には、元々は照明が
ないのだろう。(普段、フェリー「としま」は、こんな夜中に入港することはないから、照明は
いらないのかもしれない。)港湾施設も、建物も、何も見当たらない。ただ、岸壁と広場があるだけ。
これが、人口100人あまりの絶海の孤島、5級僻地とされる島の玄関口なのだ。広場の向こうの崖に、
宝島名物の巨大な壁画が見えている。ここまで来ても、人が暮らす島にあるはずの生活の灯は、
ついぞどこにも見ることはなかった。

 名瀬出航からずっと、私は上甲板で海を眺めてきたが、実はもう一人、最後まで上甲板にいた人が
いた。うら若き女性であったが親近感を覚え、「お互い、最後まで甲板にいましたね」などと声を
かける。しかしまともに取り合っていただけず、ろくろくお返事もいただけないまま、彼女は船室へ
と降りて行ってしまわれた。あちらからすれば、変なオッサンが話しかけて来たとしか思えなかった
のであろう。こんな事にめげていてはいけない。大事の前の小事、皆既の前のオッサン無視である。

 かくて午後9時、フェリー「としま」は無事に宝島・前籠漁港に接岸した。奄美を出てから3時間、
予定通りの時刻であった。ヘルメットをかぶった港の人が二人、船にタラップを架けてくれる。と、
その後ろに、大きなテレビカメラを担いだ二人組がいるではないか!「おや?マスコミはみんな
悪石島に行ったんじゃなかったのか?」と思うのだが、やっぱりテレビ局らしい。取材など受けると
煩わしそうだ・・・一抹の不安が脳裏をよぎる。

 人々がぞろぞろと下船をはじめた。私も慌てて船室へ戻り、荷物を背負って下船する。タラップを
降りたところで船員さんが乗船券を回収していた。今日の航海は、貸し切りと言ってもいいような
状態なのに、まことに律儀な事である。

 かくて、私はついにトカラ列島宝島に第一歩をしるすことができた。日食を見たいと思い立って
からここまでの道のりを思うと、感無量である。感慨にふけっていると、広場に集まれと言われ、
トイレの説明が始まった。「大小を、固めて密封90秒!」などと言っている。島では、特殊なトイレ
を使うので、真っ先にそれを説明したのであろうが、もう少し感慨に浸らせて欲しかったなあ・・・。

 説明を受けつつ、ふと後ろを振り向くと、フェリー「としま」がいつの間にか岸壁から離れ、港を
出て行こうとするところであった。「としま」は通路や窓の明かりで満艦飾、それが水面に映って、
とても華やかに見える。これから今来た道を引き返して、明日の早朝に再び奄美から出港するので
ある。本当にご苦労様な事だ。皆既が終わったら、また俺たちを迎えに来てくれよ!よろしく頼むぞ!
そんな思いで手を振って「としま」を見送りたかったが、広場ではまだトイレの説明が続いている。

   日食から帰って、旅のビデオを作った。宝島到着のシーンは、「ついに来た」と
  いうことで宇宙戦艦ヤマト(オールナイトニッポン放送劇版)のイスカンダル到着
  シーンの音楽とセリフを使った。


  (重厚にアレンジされたテーマ曲をBGMに、艦長が艦内放送のマイクを握る。)
  「ヤマトの諸君、艦長の沖田だ。我々は・・・ついにイスカンダルへ来た!
   見たまえ、今、諸君の目の前にイスカンダルがある。この機会に、艦長として
   諸君に一言申し上げたい。ありがとう・・・以上だ!」

   
「ヤマト」を「としま」に、「イスカンダル」を「宝島」に置き換えたパロディで、
   笑いを取るつもりであったが、ビデオに編集しているうちになぜか涙が出て、
   止まらなくなってしまった。
    個人的思い入れが強かったせいなのかもしれないが、この音楽とこのセリフには、
  ものすごい力があると実感した。これを創った人々の素晴らしさを思わずにはいられ
  なかった。(いや、歳をとって、私の涙腺がゆるくなったのかもしれない。)



キャンプ場

 広場に集合した群衆の中に、ふと見ると、私と同じ麦わら帽を持った男性がいるではないか。この
麦わら帽こそ、炎天下の日食観測に必要不可欠でありがなら、もっともカッコ悪いアイテムとして
電車や飛行機に乗るとき私を苦しめてきた代物である。お仲間がいたので私はすっかりうれしく
なってしまった。コンプレックスを共有する仲間が欲しいという心理は、かの芥川龍之介が小説『鼻』
の中で詳細に描いている人類普遍のテーマの一つである。きっと彼も、恥ずかしい思いをしながら
ここまでこの麦わら帽子を持って来たのに違いない。

 さっそくこの男性に声をかけてみる。「これは会社の運動会で支給されたものです。」彼はことも
なげにそう言った。こんなものを身に着けて遠路はるばるやってきたことに、この人は何の
コンプレックスも感じていないのか!? 私は、自分の人間としての器の小ささを思わずには
いられなかった・・・いや、私が小さいのではない。彼の器が大きいのである。なんとなれば彼は、
皆既日食観測10回目という超ベテラン、超猛者なのであった。そんな立派な方と同じアイテムを
持っているのだから、それを誇りに思えば良いのだが、この期に及んでも私にはこの麦わら帽が
ダサく思えて仕方がない。やっぱり私の人間の器は、とても小さいようだ。

 係の指示で割り振られた車に分乗し、キャンプ場へ移動する。車はワゴンやマイクロバスで、本土
から持ち込んだものであるらしい。真っ暗な中、でこぼこ道を進む。ヘッドライトに照らされた道の
両側は、背の丈3メートルほどもあろうかという草むらだ。ここは一体どんなところなのか、
ジャングルの中ではないのかなどと不安になったころ、草むらが無くなって、開けた場所に車が
止まった。ここがキャンプ場であるらしい。牧場の柵のようなもので囲われた中にドーム型のテント
がたくさん張ってある。真っ暗で周りの様子はまったく分からない。ツアーの説明書によれば、
ここはたしか海のすぐ側のはずだが、どこに海があるのかも分からない。

 牧場の柵のように見えたのはハブよけのネットであった。柵には、細かい網目状の布が、上から
下まで全面に張られている。布は、地面に接してさらに数十pの余裕があり、その部分はキャンプ場
の外側に向けて広げられている。そこに土をかぶせて、地面との隙間が出来ないように、ハブが侵入
できないようになっているのである。ハブよけネットはキャンプ場を完全に一周取り囲んでいるので
心強いが、よく見ると所々で覆土が無くなっている。ここからハブが侵入して来たらどうするんだろ
うか?

 ハブよけネットに沿って歩いて行くと、板でできたこれまた牧場風の出入り口があって、そこから
キャンプ場内に入る。ハブの侵入を防ぐため、この出入り口は必ず閉めるようにと指示される。

 柵の内側、出入り口付近は広場になっていて、その奥にドーム型のテントが、密集してたくさん
張られている。緑色の、クラゲみたいな形のテントがウヨウヨ立っている様子は、宇宙戦艦ヤマトに
出てきた冥王星の原生生物のようだ。(ああ、語彙不足!)この中から自分の指定されたテントを
捜さなければならないのだが、みんな同じ型のテントなので迷子になりそうだ。テントの入り口に
番地表示みたいな札がついていて、それを頼りにようやく自分のテントを捜し当てる。テントは
二人で使うことになっていて、いわば相部屋である。すでに同室の方はご到着で、Tさんと
おっしゃり、埼玉からおいでとのことであった。

 テントの中は、真ん中を通路として、その両脇にサマーベッドが2台置かれている。これでほぼ
一杯である。通路にペットボトルの水が数本と、期間中レンタルさせてもらう電池式のランタンなど
が置かれている。そして、なんと、宅急便で送った荷物も、そこに置かれているではないか!出発前
に問い合わせた感じでは、荷物はコミュニティセンターかどこかにまとめて置いてあって、そこまで
自分で取りに行くものだとばかり思っていたので、これは予想外のことであった。さすがはプロ、
ちゃんと個別配送をしてくれたのだとうれしくなる。(荷物運搬装置を作って来たことは無駄になった
わけだが・・・。準備編 運行班のページを参照

 さて、私の宅急便の荷物は大きなのが5つもある。これらがスペースを占領していて、足の踏み場
も無いほどだ。対してTさんは段ボール箱が一つだけ。これはマズイではないか!「すぐにかたつけ
ますから・・・」と、夜露に濡れても安全なプラスチック製のRCボックスを二つ、急いでテントの
前に出していると、闇の中からヌッとマイクが突き出されてきた。

「すごい荷物ですね、観測の道具ですか?」

しまった!マスコミの取材だ!不意打ちを食らって、オタオタと慌てふためく。

「あ、はぁ・・・」

まともに答えられない。

「皆既日食では何が見たいですか?」

「コ、コロナと、ダイヤモンドリング・・・です。」


 そんなの、誰だって言えることだ。もう少し気の利いた、天文部のOBらしいハイレベルな事を
言えないものかと、もどかしく、情けない気分になるが、あとは何を聞かれたか、動揺してしまって
記憶も定かではない。インタビュー第一撃、強烈なインパクトであった。

 向こうのテント前で、小型の赤道儀を組み上げてどこかへ運んでいく人がいる。さっそく天体写真
でも撮るのであろうか、やはりここに来ているのは猛者ばかりだ。自分も、望遠鏡を出そうかとも
思ったが、真っ暗でまったく周りの様子が分からない。ヘタに動くと海に落ちるかもしれないし、
ハブも怖い。星空も、海辺ゆえに霞んでいるのか、あるいは雲があるのか、よく見えるような、そう
でもないような、いいのか悪いのかよく分からない空である。疲れていることでもあり、今日の所は
おとなしくテントに入ろうと自分を納得させる。明日の午前中は炎天下での撮影リハーサル、午後は
島内一周のツアーも予定されているのだ。


第一夜

 二つ外に出したとはいえ、私の大きい段ボール箱がまだ三つも、デ〜ンとテントの床を占領している。
しかし、Tさんは温厚篤実な方で、不満もおっしゃらない。ありがたき相部屋人である。お互いの
自己紹介などをし、まもなく寝ることになった。

 時刻は10時半ぐらいだろうか、普段はまだ寝るには早い時間であるが、今日は早朝のマングロー
ブ林の川下りに始まって東シナ海渡航、宝島到着と色々なことがあったから、疲れてよく眠れるで
あろう。テントの中でサマーベッドに寝るという、今まで経験したこともないゼイタクも出来るわけ
だし。

 このテントは前と後ろに出入り口がある。それを開け放しても、蚊帳が付いているから虫が入る
心配はない。少し風が出ているようだが、涼しく寝るために両の出入り口は開けて寝ましょうと提案
すると、Tさんもそれがいいとおっしゃる。数日間ここで泊まり込んでいるというツアースタッフも、
テントは風通しが良くて涼しくて、よく眠れると言っていた。今宵は快適な睡眠が約束されている
はずであったのだが・・・

 眠れないのである。暑くて寝付けないのである。Tさんは?と耳をそばだてるが、静かである。
きっと暑い埼玉からおいでのTさんは、このくらいがちょうどいい気温なのであろう。「テントは
涼しい」と言っていた先ほどのスタッフも。きっと暑い地方の人なのだろう。ただ、高冷地から来た
私にはこの暑さは耐え難い。

 仕方がない、眠くなるまで、プロ野球の結果や天気予報でも聞こうとラジオを取り出してイヤホンを
耳に入れる。するとどうだろう、世界中の電波がものすごい出力で入って来て、どこをどうチューニング
しても、ピーヒャラ・ピーヒャラ、ワーワー・ガーガー、ジャカジャーン・ガガーンと、聞き慣れない
言葉と音とノイズの洪水で、日本語はまったく聞こえないのである。これが絶海の孤島というものなのかと、
びっくりする。ここは日本だぞ!と腹を立て、しばらくがんばったが、どうやっても日本語の放送
を受信することが出来ず、ついにラジオを断念する。これでは台風などが接近しても、気象情報を聞く
ことすら出来ないではないか!ゴジラでも来たら、どうするんだ!


 今度は音楽プレーヤーを取り出す。これには皆既日食前後の撮影スケジュールを録音した音声ガイ
も入っている。これでも聞いていればリハーサルにもなるし、かったるいから眠くもなるだろう。
あとはピンクフロイドの太陽讃歌だ。皆既の朝、登り来る太陽を、これを聞きながら讃美しようと
入れて来た曲だ。これも、お経みたいな音楽だから眠くなるに違いない。

 しかし・・・眠くならない。とにかく暑いのである。だんだん耐え難くなって行く。風はゴーゴー
と音を立てて、テントを揺らしながら吹いている。テントの前後の口は開けてある。いくら気温が
高くても、風が通って涼しいはずなのに、ちっとも涼しさを感じない。風向きが悪いのであろうか?
これだけ風が吹けば、風向きなんか関係なくテントの中を風が通っていいずだ。なのに、どうやっても
暑くて眠れないのである。

 もう、限界だ。じっとしてなどいられない。Tさんには申し訳ないが、起き出して、リュックから
冷却スプレーを取り出し、プシューッと体に吹きかける。とTさんもなにかごそごそやり始めた。
起こしてしまったかなと思ったら、実はTさんも暑くてずっと眠れなかったのだそうだ。なんだ、
埼玉の人でも暑かったのか。いや、今や都会の人は、家にエアコンが必ずと言っていいほど設置されて
いるだろうから、かえって暑さには弱いのかもしれない。

 冷却スプレーが効いたのか、少しまどろむ。しかし、また暑くて目が覚める。じっと我慢して、
我慢が出来なくなって、冷却スプレーをまた使う。そんな繰り返しだ。考えてみたら学生時代、夏の
キャンプの時、テントの中で寝たなんて事はほとんど無かったではないか。あの涼しい高原でも、
外で寝ると実に快適だったではないか。ここは亜熱帯の海辺だ。暑いに決まっている。いっそ、外で
寝てやろうか、などと思うが、外に行くとトカラハブに噛まれるかもしれないし、海に落ちるかも
しれない。じっと我慢の一夜が続く。


人のぬくもり

 眠れないときは、トイレに行くのも一つの気分転換だ。今回の日食で使われるトイレは、災害時に
使用するために開発されたもので、水を使わずに衛生的に処理が出来ると言うスグレものである。
トカラ各島では水不足が深刻なので、このトイレが採用されたというわけだ。

 トイレはキャンプ場のはずれのテントの中に設置されている。懐中電灯で足下を照らしながら、
立て込んだテント団地の中を進むと、ハブよけネットのすぐ脇に、それは立っていた。トイレ用の
テントは、背の高いほっそりした四角錐で、中にほのかに明かりがともっている。さっそく入り口の
チャックを開こうとするが、チャックはちっとも動かない。

「あれぇ〜、しょうがね〜なあ。もうチャックを食い込ませちまったヤツがいるのか!これだから、
素人衆は困るんだ!」

と、ブツクサ独り言を言いながら、力任せにまたチャックを開こうとするがやはりダメである。仕方ない、
どこかそのあたりで用を足すか。幸いあたりは漆黒の暗闇だ・・・とテントを離れると、中からごそごそと
人が出てきた。あららっ!ご使用中だったんですね。きっと中の人は、テントを開けられそうに
なったので、必死でチャックを押さえていたにちがいない。「入ってます」というノックをしようにも、
布製のテントでは、音も出ない。言葉で「入ってます」なんて言うのは憚られるから、どうにもできなかった
のであろう。

 これは、大変、失礼をば、いたしました!用を足していいる最中に、入り口を開けられそうになっては、
さぞやお焦りになられたことでありましょう。

 考えて見れば、トイレテントの中に明かりがともっていると言うことは、「使用中」を意味していたたのである。
常に灯がともっていると考えた私が浅はかであった。

 改めてよく見ると、テントの脇に「使用中」と書かれた札がかけられていた。この札、テントのチャックの所に
かければわかりやすいのだが、中に入ってチャックを閉めてから、この札をテントの前にかけるのは至難の業である。
一人では出来ないから、テントの脇に置くようになっていたのであろうが、これではなかなか気がつかない。

 かくして、中に人がいるかどうかわかりにくいという、災害用トイレテントの弱点を洗い出すことが出来た。
この経験を、今後のこのトイレの改良に大いに役立てていただきたいところである。

 さて、いよいよ私の番、誰かに入り口のチャックを開かれないか、びくびくしながらの用足しである。
このトイレの使い方はちと面倒くさい。島に上陸してすぐに説明されたことを思い出しながら準備にかかる。

 トイレは、洋式である。のぞき込むと便器の中に、青いビニール袋がセットされている。最初にそこに、
粒状の、暗緑色の凝固剤を、計量スプーンに1杯入れるのである。それから、大なり小なり用を足す。我が分身が、
ビニール袋をつたってぬめり落ちて行く感触や、おしりのすぐ下にそれらがたまっているという感じは不気味である。
ビニールのヒダに引っ掛かって、袋の底まで落ちないヤツも有るのではあるまいか・・・。用が済んだらスイッチを
押す。すると機械音がして、ビニール袋の口が熱でシールされ、密閉されて切り離され、外に出てくるのである。
待つこと90秒、青いビニール袋に包まれた物体が、自動販売機から品物が出るように、パサッと小さな音を立てて、
便器の下から滑り出て来た。

 これを手に持って、外にある大きなポリバケツに捨てるのである。完全にビニールで包まれ、凝固剤で
固められているとはいえ、かなりの抵抗感を感じつつ、おのが分身を手に取ってみる。
 柔らかく・・・温かい。人肌のぬくもりである。益々不気味になって、トイレテントを出る。
テントの脇には、昔懐かしい、ゴミ収集用によく使われていた大きなポリバケツが二つ置かれている。
フタを開くのもためらわれるが、意を決し、己が温もりを生々しく残すその物体を、バケツの中に
放り込む。すでに青いビニール袋がいくつも底にたまっている。ポリバケツはほどなく、この青い袋で
一杯になるだろう。明日になれば日が昇る。ポリバケツは一日中、亜熱帯の日光の直射を受け、中は相当な
温度になるに違いない。ビニール袋の中味はどうなるのであろうか。暑さと発酵とで空気が膨れ、袋のシールの
部分が破れ、内容物がタラタラと・・・。想像するだに恐ろしい。

 水不足の島に島民の倍以上の人数で押しかけているのである。このくらい我慢できないでどうしますか・・・。
これは、災害用に開発された水を使わない衛生トイレなのだぞ!と、己の不謹慎なる態度を叱責しても、
昔から下ネタになると筆が進むのを押さえられません。

 トイレへ行ってくる間は風にも吹かれて、涼む事が出来たが、テントに戻ると、相変わらずの蒸し暑さ。
寝苦しい夜は、朝まで延々と続くのであった。しかし、どうしてこんなに暑いんだろう?


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