1950年代(昭和25年〜昭和34年)
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1950年代 トピックス |
・クラブの正式名称は、「天文學会」。「學」という旧字体を使用しました。 ・1961年に発行された『天文学会7年の歩み』という冊子によれば、記録でさかのぼれる限りのクラブの起源は、1954年2月14日の「再開」例会第一回で あるといいます。再開という以上は、それ以前にもあったはずですが、残念ながらそれ以前にさかのぼれる史料は、『天文学会7年の歩み』作成時点で すでに見つからなかったようです。 「再開第一回例会」以前のクラブについて、情報をお寄せ下さい。 ・この頃のクラブの動きが詳細に分かるのは、『天文学会7年の歩み』があるおかげです。 ・1950年代後半は、米ソの宇宙開発競争が始まった時代であり、57年のスプートニク打ち上げは、人類史上画期的な出来事です。 そして、人工衛星観測は我らがクラブの歴史の中でも、大きなエポックだと言えましょう。 |
年代 | クラブの動き | 世の中の動き |
1950年 (昭和25年) |
4月19日 森戸氏 初代学長に 11月 5日 開学式を挙行 このころ(正確な年度不明。1940年代終わり〜1950年代初めと思われる) 村上先生、兵庫県の姫路公会堂で講演。礼文島金環食の記録映画なども上映。 当時小学校5年(?)だった内海先生は、その講演を聴いて天文学を志す。 |
6月25日 朝鮮戦争勃発 日本は特需景気に 7月 2日 金閣寺放火事件 7月 8日 警察予備隊発足 11月10日 NHK テレビの実験放送開始 12月 7日 「貧乏人は麦を食え」 と池田蔵相が発言 東京天文台乗鞍コロナ観測所にコロナグラフ設置 本格観測開始 オランダのヤン・オールト、「オールトの雲」を提唱 彗星の元となる太陽系外周の「雲」 レッドパージ プロ野球セ・パ2リーグに分かれて開幕。 広島カーププロ野球初参戦(セリーグに参加)。 石本秀一監督 フランチャイズ球場として広島総合球場(県総合グラウンド) 41勝96敗1分 勝率299で最下位。首位に59ゲーム差 国立大学授業料 年額3600円(1949年〜) |
1951年 (昭和26年) |
この年の初め頃 森戸学長、世界の主要大学にキャンパス緑化への協力 を呼びかける 3月 9日〜12日 第1回修了証書授与式 (教育学部2年課程) 5月頃 各方面よりキャンパス緑化のための苗、種子、寄付金などが 寄せられ始める 〜1953年8月頃まで |
1月 3日 第1回NHK紅白歌合戦 4月11日 マッカーサー解任 9月 1日 民放ラジオ放送開始 9月4〜8日 サンフランシスコ講和条約に調印、 安保条約に調印 カープ深刻な経営難 解散説が現実味を帯びる。 連盟も露骨な広島つぶし(来期、勝率3割を切ったチームは 解散など)。市民による後援会や「樽募金」がこの苦境を救う 大きな力に。 国立大学授業料 年額3600円(1949年〜) |
1952年 (昭和27年) |
11月 大学正門竣工 正門入り口の両側にフェニックスが2本ずつ、計4本植えられ、 大学のシンボルとなる 米ウエスレイアン大学の寄付金50ドルを元に購入したもの (写真を見る限り4本のようです。いつから6本になったか、 現在のところ不明。請、情報。) |
2月14日 オスロ冬季オリンピック(ノルウェー)〜25日 日本が敗戦後初めて参加を認められた 4月 9日 日本航空 もく星号事故 伊豆大島で遭難 4月28日 サンフランシスコ講和条約発効 5月 1日 血のメーデー事件 7月19日 ヘルシンキオリンピック(フィンランド)〜8月3日 9月17日 明神礁爆発 カープ、勝率が3割を超え、解散の危機を乗り越える (勝率3割を切った松竹ロビンスは翌春大洋と合併・ 解散し、セリーグは6球団へ) ラジオドラマ「君の名は」(翌年映画化) 国立大学授業料 年額3600円に |
1953年 (昭和28年) |
3月25日 第1回卒業証書授与式 8月 1日 医学部設置 |
2月 1日 テレビ本放送開始 庶民には高嶺の花、街頭テレビに人気 (白黒テレビは14型で17〜8万円) 3月14日 バカヤロウ解散 3月23日 中・ソからの引き揚げ第一陣、真鶴に入港 5月29日 エベレスト初登頂 英のヒラリーとシェルパのノイゲル 12月25日 奄美群島本土復帰 日本プロレス協会結成 力道山など セ・リーグ6球団に 公衆電話1通話10円 異常気象で凶作 カープ 石本秀一監督から白石勝巳選手兼任監督に 国立大学授業料 年額3600円(1952年〜) |
1954年 (昭和29年) |
2月14日 再開第一回例会。出席者5名。 (2011年現在で分かっている広大天文學会に関する最古の記録) 3月 2日 kanko(関西光学工業)20センチ反射 到着し披露 3月12日 20pで初観測 それまでの10センチと比べて素晴らしいという感想 4月 新入会員8名 例会は月2回水曜午後3時から。論文や雑誌の紹介・批評など 観測会は金曜日の晩 同一の変光星を全員で観測する 惑星・月は個人でスケッチ 太陽黒点は月水金の昼休みに観測 会費月10円 東亜天文学会に加盟 |
2月 2日 国際航空路線、再開 日本の国際線就航は敗戦で禁止されていた 3月 1日 米、ビキニ環礁で水爆実験、第五福竜丸被曝 4月21日 造船疑獄 指揮権発動 7月 1日 自衛隊発足 9月26日 青函連絡船洞爺丸、台風で遭難 11月 3日 映画「ゴジラ」封切り 「原爆許すまじ」の歌 マリリン・モンロー来日、広島にも来訪 シャープ兄弟VS力道山・木村 初のプロレス国際試合 国立大学授業料 年額3600円(1952年〜) |
1955年 (昭和30年) |
1月14日 3インチ屈折赤道儀が到着。黒点観測に力を入れる 3月25日 第1回大学院学位記授与式 4月 新入生12人 先生も含めて全員で26人となる 6月 例会で本の輪読を行うことになる テキスト『望遠鏡なしの天文学』(クセジュ文庫) 6月20日 日食 観測体制を整えるも雲量10 流星・星食・惑星・黒点などの観測を中心に活動 |
5月 5日 原爆乙女、治療のために渡米 5月11日 宇高連絡船紫雲丸沈没事故 8月 6日 第1回原水爆禁止世界大会。 8月24日 広島原爆資料館(広島平和記念資料館)開館 当初の名称は広島平和会館原爆記念陳列館 8月 8日 長崎平和祈念像除幕 11月14日 保守合同で自由民主党結党(55年体制はじまる) トランジスタラジオ 自動電気炊飯器 三種の神器(冷蔵庫、洗濯機、テレビ) 太陽の季節 国立大学授業料 年額3600円(1952年〜) |
1956年 (昭和31年) |
1月25日 大学の学章 制定(フェニックスの葉をデザイン) 1月 会費月25円に会報の発行を決める 3月 創立時のメンバー中3人が卒業 4月 新入会員8名 5月5・6日 広島で東亜天文学会総会が開かれる(開場:浅野図書館) 広大天文学会・広島天文気象協会の共催 広大天文学会は、黒点に関する共同研究4本を発表 読書会テキスト『天文学の歩み』(クセジュ文庫) 例会とは別に計算関係の会合も行われた 星食・天体力学と三体問題・ケプラーの運動・位置推算・軌道決定など 「惑星・流星・黒点などで少数精鋭で精度の高い粘り強い観測がおこなわれエポックをなす年であった」と、『7年の歩み』に書かれている |
1月26日 コルティナ・ダンペッツォ冬季オリンピック(伊) 猪谷千春、冬季五輪で日本人初のメダル 5月 1日 水俣病を公式に確認 5月 9日 日本登山隊 マナスル初登頂に成功 7月 1日 気象庁発足 10月 砂川基地闘争 11月 8日 南極観測船宗谷、出発。初の南極観測隊 11月22日 メルボルンオリンピック(豪)〜12月8日 12月12日 日ソ共同宣言 日ソ国交回復 12月18日 日本、国連に加盟 神武景気 もはや戦後ではない 国立大学授業料 年額9000円に |
1957年 (昭和32年) |
2月 8日 医学部が呉市から広島市に移転 3月16日 大学歌制定 国際地球観測年(略称:IGY)の一環として、人工衛星観測網が読売新聞の スポンサーの元に組織され、広大天文学会も参加。 4月 1日 政経学部が,江波から東千田へ移転 4月 クラブの新入生勧誘を人工衛星観測班員勧誘と兼ねる 5月 人工衛星観測方法の検討、予行演習 6月 1日 人工衛星観測班結成式 平和記念会館にて 大阪の人工衛星観測本部より高城氏が臨席 7月7日 読書会テキスト『星と宇宙』読了 アストロコーラス発足 10月 2日 人工衛星観測用具一式届く 観測用望遠鏡10台・受信機・クロノグラフ・電源同調機・電鍵 アンテナ・アース・コード類・等 10月 4日〜 スプートニク打ち上げにより、マスコミの往来が頻繁化。 クラブの全精力が人工衛星に注がれることになる 10月10日 人工衛星観測場所を皆実分校プール横グラウンドに設置 (2011年現在、そこは附属中・高になっている) 10月14日 早朝 正式の第一回人工衛星観測 先生以下24名参加。 雲量0なるも発見できず 10月18日 四回目の人工衛星観測 4時26分北斗七星の北にスプートニクを捉える 光度3.5〜2等 10月25日 人工衛星観測時の防寒対策、交代制・等、今後の体制作りを 話し合う 11月15日 人工衛星観測を3班に分けて行うことになる 12月 6日 東亜天文学会で発表予定の2発表を例会で特別講演 『人工衛星観測、広島班報 No.1』を発行、各方面に送られる (後に野尻抱影氏から夢中で読んだ旨の返信を受け取った) 12月 8日 慰労会 兼 忘年会 不二屋・タカキベーカリーで 席上、来年4月の金環日食観測に京大チームの一員として 会のメンバーが種子島へ行くことになったと発表される 入会金不要 会費半年100円 読書会テキスト『星と宇宙』(岩波新書)、『宇宙』(クセジュ文庫) 例会は金曜日夕方 市民球場のナイター照明が観測に影響し始める |
1月29日 南極観測隊、オングル島に昭和基地を建設。 2月28日 南極観測船宗谷、氷に閉ざされ動けなくなり、 ソ連のオビ号に助けられる 4月26日 攻撃的核兵器保有を違憲とする政府統一見解 4月 アラン・ローラン彗星明るさ0等級に 5月 6日 水星日面通過 7月 1日 国際地球観測年(略称:IGY)始まる 〜1958年12月31日まで 7月24日 広島市民球場、球場びらき (中国地方初のナイター設備) こけら落としの試合は対阪神 1−15で● 8月20日 日本初の観測用ロケット打ち上げ 糸川英夫博士による「κー4C」1号機 8月22日 ソ連 大陸間弾道ミサイル(ICBM)を開発。実験 に成功。.R7ロケット。米国をミサイルの射程に 入れると共にスプートニクやボストークの原型となる 8月27日 東海村の原子力研究所で、初の臨界 8月下旬 ムルコス彗星 10月 4日 ソ連スプートニク1号打ち上げ 初の人工衛星 1957α スプートニクショック 11月 3日 ソ連スプートニク2号打ち上げ ライカという名の犬を乗せる 11月 7日 皆既月食 12月 米、人工衛星打ち上げに失敗 スプートニク・ショック拡大 日教組勤評反対闘争 五島プラネタリウム(渋谷)開館 スプートニク・ショック カープ 白石勝巳監督、選手兼任から監督専任に 国立大学授業料 年額9000円(1956年〜) |
1958年 (昭和33年) |
1月19日 『人工衛星観測、広島班報 No.2』を発行 1月30日 大阪の人工衛星観測本部より高城氏が来広 3月 種子島金環食に向けて荷造り 3月29日 広島復興大博覧会、天文科学館で公開予定の15p屈折 の組み立て。 4月 1日 広島復興大博覧会 クラブは天文科学館に協力。 会員が常時4名ほど、天文科学館に詰め、望遠鏡の管理や 博覧会の説明役を担当。 天文台設置の必要性をアピール 4月19日 金環食、各地とも快晴 ・京大チームに合流の種子島遠征隊5名 (種子島南種子小学校) ・先生もNHKに協力して種子島へ ・広島復興博 天文科学館の15pで写真撮影 ・皆実分校で20p、8pを使って観測 5月23日 各分野に責任者を置くことを決める 月・惑星、流星、星座、星雲・星団、計算理論、太陽、 カメラ、機械、アストロコーラス、宇宙論 6月27日 例会100回記念で先生のお話を聞く 6月30日 人工衛星観測、アメリカの物は小さいので、条件の良い物に限定 することに 9月14日 大阪の人工衛星観測本部より高城氏が来広、今後の対策を協議 会員に疲れが出てきていることも事実ではあった 9月下旬 前ローウェル天文台長ウイルソン博士来広 会員と宮島を散策 12月31日 国際地球観測年(略称:IGY)が終了し、東京天文台・ハーバード 大・スミソニアン観測所から、感謝状をいただく。アメリカから記念 バッジも贈られる 読売から種々の機材、人工衛星観測本部から月々2千円の現金が提供され ていた。 読書会テキスト『宇宙の開拓』 例会では読書会・雑談・天文トピックスを話す・アストロコーラス、と言うパター ンが定着 人工衛星・広島復興大博覧会・など、各方面に渡って活躍した年であり、マス コミの注目度も高く、充実した年であった。 |
1月31日 米エクスプローラ1号の打ち上げに成功 米初の人工衛星 3月 9日 関門トンネル開通 3月30日 国立競技場完成 4月 1日 広島復興大博覧会〜5月20日 第一・二会場:平和公園・平和大通り 天文科学館でスプートニク1号の 模型展示、望遠鏡公開など 当時の平和大通りはまだ更地で あった 第三会場:広島城 復元天守閣が郷土館に 4月 1日 売春防止法施行 4月19日 金環日食 トカラ列島・種子島・八丈島などで 5月24日 東京でアジア大会〜 6月1日 国立競技場ほかで。 7月29日 米NASAを設立 11月 1日 東海道線で特急「こだま」運行開始 初の電車特急 12月23日 東京タワー完成 12月31日 国際地球観測年(略称:IGY)終了 チキンラーメン(インスタントラーメン第1号)35円 スバル360(自動車大衆化の先駆け) 一万円札発行 国立大学授業料 年額9000円(1956年〜) |
1959年 (昭和34年) |
4月 歓迎演説・写真入りポスター・食事付きを謳ったポスターなどで 新入生を積極的に勧誘 新入会員多数入会するも、定着率は低かった 広大生協発行の『フェニックス 写真が語る広島大学』 (1992年3月20日刊)に、この年の天文学会新入生勧誘 店出し風景の写真が掲載されています。15p反経を前に 10人ほどの会員の姿。(掲載許可を求めたいのですが、 写真提供者の連絡先等不明。請う、情報。) 新入生歓迎ピクニック 6月 5日 会の運営について議論 10月9・10日 ジャコビニ流星群をグループ観測 11月20日 人工衛星に関して、今まで通り続行することに決議 11月23・24日 比婆山ハイキング 12月20日 クリスマス会 学生集会所にて 参加者 24名 会費100円、 50円のプレゼントを交換 1959年広天学会10大事件をあげる 1.山本一清先生死亡(東亜天文学会を創設) 2.木星観測 3.流星観測(ジャコビニー流星群) 4.太陽観測 5.東亜天文学会出席 6.人工衛星 7.佐藤さんアサヒグラフにのる 今年は残念ながら 7つまでしかあがらなかった。 20時過ぎ一次会解散 二次会 三次会、、、 西村製作所、当時国産最大60cm反射望遠鏡を制作。同架された20センチ 屈折の対物レンズは、広大天文学会会員が設計した。 読書会テキスト『新星座巡礼』(角川)、『宇宙と星』(岩波) 『宇宙と星』は12月の146回例会で読了 例会でissueを行う 合唱盛ん 親睦会 たなばた お月見 ピクニック クリスマス忘年会などの行事盛ん |
1月 4日 ソ連ルナ1号 月に6千キロまで接近 1月14日 前年南極昭和基地から連れ帰れなかったカラフト犬、 タローとジローの生存を確認。 3月 4日 米パイオニア4号 月に6万qまで接近 4月10日 皇太子成婚 5月26日 東京が1964年のオリンピック開催地に決定 6月 5日 尺貫法に変わってメートル法に 9月14日 ソ連ルナ2号、史上初めて月に到達。 晴れの海に命中 9月26日 伊勢湾台風 10月 6日 ソ連ルナ3号、初めて月の裏側の撮影に成功 27日、写真を公開 11月27日 安保条約反対のデモ隊、国会に突入 国民年金制度発足 岩戸景気 全学連 週刊少年サンデー・少年マガジン創刊 国立大学授業料 年額9000円(1956年〜) |
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